二十代に書いた短編のレジュメ前書き付き俳句 佐々木敏光 二十代、短編小説を多く書いた。原稿はすべて行方不明。 その中に、「Oh No」という短編があつた。 普段はあまり考えることのない男の「脳(No)」が、男が珍しく思索にふけると、騒々しく、 暑すぎると言つて家出をしてしまう話である。 わが脳はどこかに家出秋の暮 二十代、短編小説を多く書いた。原稿はすべて行方不明。 その中に、「妊婦バス」という短編があつた。 主人公は若い男性。来たバスにのると、妊婦ばかりであつた。保健所に着いた。流れの中で不本意ながら 列に並んだ。医者に「おめでとう。妊娠です」と告げられた。帰つたら恋人は「よかつた。あなた産んでね」 と言つた。 妊婦バス師走突き抜け未来へと 二十代、短編小説を多く書いた。原稿はすべて行方不明。 その中に、「小便小僧」という短編があつた。 いわゆる大学闘争(紛争)時代の京都の少年である。歩いてゐたら、火炎瓶が転がつ てきた。尿意を感じていた時で、好奇心から小便をかけてみた。消えた。 それから少年は、陰ながら消火にはげむこととなつた。少年の自信は膨張した。 最後「これなら原爆だつてけせるぞ」と興奮して火炎壜のとびかう最前線に飛び出す。 その後フランス滞在の一時期、ベルギーのブリユツセルの町角の小便小僧の像にもまみえた。 伝説がある。爆弾の導火線を小便をかけて消し、町を救った少年がいたというその伝説は、 小説発想時には知らなかつた。 小便の霧のかなたの冬の虹 二十代、短編小説を多く書いた。原稿はすべて行方不明。 その中に、「*(こめじるし)氏は太つた」という短編があつた。 *氏は平凡な、いやむしろうだつのあがらないサラリーマンであつた。ところがある日、とある プラス思考を刺激する本に出会い、奇特にも人がすつかり変わつてしまつた。積極的になり、仕事 にも大いに熱がはいつた。食欲もぐんぐんわいてきた。その結果大いに太つた。太りに太つた。限 界ぎりぎりというまで太つた。 充実の毎日、安堵のある時、プツリと小さな音が聞こえた。その後もときどき響いてくる。気にか からないわけではないが、積極的に聞かないふりをして過ごした。 最後の夕べ。駅におりたち、団地への道を家にむかつた。通奏低音のようにその音は静かに鳴りつ づけた。その中で意識がもうろうとしてきた。 翌日、奥さんが団地のドアをあけると、おが屑めいた線があるのをみつけた。 それをたどると駅の方まで続いてゐた。 底しれぬ心の軌跡春の闇 二十代、短編小説を多く書いた。原稿はすべて行方不明。 その中に、「マツカーサー」という短編があつた。 太平洋戦争終結五、六年後のことだつた。子供たちは群れて遊んでゐた。 彼らの前に、浮浪者気味で少し頭のたりないような大人がいた。子供たちの遊びの一つに その男をからかうことがあつた。罵声をあびせる。遠くから石を投げることもあつた。 健太は石をなげなかつた。やがて仲間のなかでそのことに気づいたものがいた。 なぜ投げないのかと詰問された。結局石をなげるように追い込まれてしまつた。 蝉が鳴いてゐる。健太は石をもち彼に近づいた。みんなが背後で見てゐる。石を投げたら、 その石が体を貫いて、その男は死ぬことになるんじゃないかとも思った。 男は何やら、つぶやいてゐる。蝉の鳴き声がやんだ。 「トンツーツー、マツカーサー、たすけに来てください。子供たちに攻撃されています。 トンツーツー、マツカーサー、たすけに来てください、B29で。」 マツカーサー来たる原爆投下以後 ******* 個人俳句誌「富士山麓」(2016年十二月号〜2017年四月号) トップへ
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