『形見』



クラナッハ「ヴィーナス」(部分)


  一

時は今、一四五六年、
おれはフランソワ・ヴィヨン、学生だ、
顎をちゃんと引き、手綱をきちんと引締めて、
心乱さず考えてみよう、
自分のやったことは自分で考えなくては、
ローマの賢人、大学者の
ヴェジェースも言っていることだ、
さもないと大変な間違いを犯すことになる。

  二

今言ったまさにこの年、
クリスマスのころ、もの皆死んだような季節、
狼は食う物もなく、風を喰らって生きている、
人間は家に引きこもって、
氷霧を避け、残り火にあたっている、
その時、一つの考えが浮んできた、
おれの心をめちゃめちゃにしていた
あの恋愛の牢獄をぶちやぶってやろうと。

  三

このように決心したのも、
目の前であの女が、
あんたなんか死んでおしまいと言ったからさ、
別にあいつの得になるわけでもないのに、
辛いことだ、この嘆き天にも直訴するぞ、
あの女に罰がくだるように
あらゆる愛の神々にお願いする、
そして、この恋愛の苦しみ軽くしてもらうように。

  四

優しい瞳、愛くるしい笑顔に
惚れてしまった、
腹の底に染みいるまでにね、
ところが、まやかしの甘さだった、
とんだくわせもの、みかけは良馬だが、
肝心な時、走ろうとしない、
別の畑に種をまくか、
他の鋳型で鍛えなおさなくちゃ。

  五

あの眼差しに射すくめられてしまった、
おれには不実で冷酷な女なのに、
なんの悪いこともしていないのに、
死んでおしまいとか、生きていなくてもいいわとか、
勝手な言いぐさ、
助かる道があるとすれば、逃げることだけ、
あの女はおれの心からの哀願をきこうともせず、
愛の絆を断ち切ろうというのだ。

  六

あの女のわがまま放題からこの身をまもるためには、
最善の方法は、思うにこの地から出ていくことだ。
さらば! おれはアンジェへ行く、
あの女は、ひとかけれらの愛情をも
見せてくれはしないんだから、
あの女のせいで、おれは死ぬ、
五体健康そのものなのに、
要するに、おれは愛の聖者たちのひとり、
恋の殉教者てわけさ。
(注)アンジェ:1456年クリスマスのころ、ヴィヨンは仲間たちとコレージュ・ド・ナヴァールに窃盗にはいっている。
その後、しばらくパリを離れている。そのアリバイ捏造のため、女との別れにはじまるこの『形見分け』を書いた
という説もある。古記録では、仲間のタバリがヴィヨンはアンジェに行ったと自白している。
 ただし、アンジェには「女を抱く」という意味もあり、慎重なヴィヨンは「他の女を抱きに行く」と言うだけに留め、
具体的な言及を避けていることも充分考えられる。
  七 この別れがどんなにつらかろうと、 あの女のもとを立ち去るしかない、 この哀れな頭でもちゃんとわかっている、 ほかの男が、あの女と一緒に糸を紡いでいるのだ、 そのことで、おれほど喉の乾いているものはいまい、 たとえブーローニュの塩漬鰊だってさ、 これは、おれにとってはみじめな事態だ、 神よ、この嘆きを聞きとどけてください。   八 さて、出発をしなくちゃあならない、 帰りがどうなるかわからないが、 (このおれにも弱い所がないわけじゃない、 鋼鉄や錫でできている身体でもない、 人間の生は不確かで 死んでしまったらどうしようもない) ──とにかく、おれは遠い国へ旅立つ── そういうわけで、この形見分けを作成する。   九 初めに、父と子と 聖霊の御名により、そしてまた、 その恩寵によりなにものも滅びることのない、 光輝に満ちた聖母マリアの御名により、 おれは養い親のメートル・ギュヨーム・ヴィヨンに わが名声をうやうやしく贈る、 その人の名のおかげで鳴り響いた名声だ、 あわせて天幕、大小一つずつ。   一〇 一つ、先ほど言った女、 おれには喜びを許さず、 あらゆる楽しみ奪い、 つれないまでにおれを追い払った女には、 箱に入ったわが心臓を贈る、 まっ蒼に、哀れに、血の気無く死んでいる、 彼女のせいでこんなどうしょうもないことになったが、 せめて、神よ、あの女にもお慈悲を!   一一 一つ、たいへん恩義をうけた おかまの気のあるメートル・イティエ・メルシャンには、 おれの鋭い鋼鉄製の剣を贈る、 おなじくメートル・ジャン・ル・コルニュにもこの剣を、 といっても、この剣は質草になっている、 七スーばかりの飲み代の形にね、 この文面を証拠に、 買い戻せるなら、二人に渡して欲しい。   一二 一つ、おいぼれのサン・タマンには 白馬と雌騾馬を(といっても酒場の看板だがね)、 そして、金持ちのブラリュにはダイヤモンドと 尻を思いっきり後ろに突き出す縞馬を(これも看板だよ)。 <男でも女でも>年に一度告解をするべしという 教皇の勅令の権利を托鉢修道会のやつらにも与えようと言う カルメル派の教書に対抗して、教皇の勅令をきちんと 実行するように、あらためて僧侶たちに教皇の勅令を贈る。   一三 そして、高い山も谷(ヴァレ)も見分けのつかない、 高等法院の使い走りの見習い生、 元学友のメートル・ロベール・ヴァレには 主なる形見として、脛当てという名の酒場に預けてある おれのズボン下の短いやつを すみやかに渡してもらいたい、 あいつの情婦のジャンヌ・ド・ミリエールの 頭を立派に飾りたてるためにね。   一四 やつは立派な家柄の出だ、 もっと良いものをあげなくちゃならないかな、 聖霊もそう勧めている、 やつは知能も金もないときている、 おれなりによくよく考えてのことだ、 記憶をしまう箱など持っちゃいない馬鹿者だ、 せめて「阿呆の王」のところで、 『記憶の極意の書』を手に入れて、やつに与えてやってもらおう。   一五 一つ、上記のロベールが ちゃんと生きていけるよう、 どうか、恨まないでくれ、 わが親族の皆さんよ、おれの鎖かたびらを売ってくれ、 その金で──全部は使わなくてもいいよ──、 復活祭までには、このがきに、 サン・ジャック教会のそばの 代書屋の小店一つ買ってやってくれ。   一六 一つ、よけいな条件をつけない贈り物だ、 わが友、ラシャを商っているジャック・カルドンには おれの手袋と絹の頭巾付のマントを贈ろう、 そして、柳の植え込みになるあまり使いでのない団栗と、 毎日ふとった鵞鳥一羽、 それに、たっぷり脂ののった去勢鶏、 チョークのように濁った白葡萄酒を樽十個分、 それにまた、訴訟を二つ、肥りすぎないためにね。   一七 一つ、貴族にして大泥棒の レニエ・ド・モンティニーには、犬三匹を贈る、 警吏(いぬ)を生業としているジャン・ラギエには おれの全財産から今では通用していない硬貨で百フランを。 何だって? それにはいまから稼ぐ分は 入っちゃいないよ。 身内の財産からはあまりくすねないことだね、 仲間や親類にはあまり金を無心するもんじゃない。   一八 一つ、訴訟好きのグリニーの領主殿には 廃虚となったニジョンの塔の管理をまかせて、 さらには、モンティニーより多い六匹の犬と、 これも廃虚となったヴィセートルの館と塔を贈る、 また、あの不作法な鬼っ子、 領主殿を告訴しているムートニエには、 あぶみ革での鞭打ち三回と、 足枷をはめてゆっくりやすめるようにしてやろう。   一九 一つ、夜警隊の隊長には 兜(酒場の看板で勘弁願おう)を贈る、 また、屋台を手探りしながら、 用心深く夜警に回る徒歩の警吏たちには、 立派な盗品を一つ、 そして、ピエール・オ・レ街にある角燈の看板を贈る、 本気で、おれをシャトレの牢に連行するというなら、 ベッドつきの三百合(みつゆり)牢にしてくれ。   二〇 酒飲みの料理長メートル・ジャック・ラギエには 酔い覚めにポパンの水飲み場を贈る、 病人のためになるバーチの魚料理、アーモンドの白ソースをかけた若鶏も、 毎日、なにか良いものが選べるように、 酒場の松毬亭の「穴」とよばれている地下ホールも、 そこは雨風のこない安全な避難場所だ、足裏を火にあぶるのも良い、 ジャコバン僧のように長いマントにくるまり、 打打発止といちゃつきたいなら、どうぞいちゃついてくれ。   二一 一つ、メートル・ジャン・モータンと メートル・ピエール・バザニエには、 騒乱や 極悪な罪などを逃さず取り締まる やつ等の主君、パリ奉行の御寵愛を贈る、 また、わが代訴人フルニエには、 この冬の凍りつく寒さをのりきるため、 夏用の短い帽子となじみの靴屋につくらせた 薄皮の靴底付の股引を。  (注)「主君」:パリ奉行、『遺言書』139節でもでてくる。ロベール・デストゥートゥヴィル。
ヴィヨンをなにかと庇護したと思われる。
  二二 一つ、屠殺業のジャン・トルーヴェには、 質の良い、時には固く時には柔らい羊を(ただし看板だよ)、 売りに出されている王冠を被った牛(これも看板) のための蝿叩きを、 それに同じく看板の牝牛をも、もしその牝牛を 肩にしょっている百姓を捕まえられたらのことだが、 もし、看板に描かれた百姓が渡さないときには、 その牛の首の綱でやつを吊るしても、絞め殺しても良い。   二三 一つ、ラ・バールの私生児と呼ばれている 警吏のペルネ・メルシャンには、 名代の遊び人のゆえ、 藁を三束贈る、 地面にそれを広げて、その上で 色事商売をすることができよう、 その稼ぎで生きて行くよりほかはない、 他の商売はしらないからな。   二四 一つ、同じく警吏のル・ルーとショレには、 それぞれ、鴨を半羽ずつ贈る、 いつものように、夜になって、 堀端の城壁のところで捕まえた鴨だ、 さらに、めいめいに乞食坊主が 着ている 足でも何でも隠せるたっぷり大きいマントを贈る、 薪と炭と、バラ肉いりのえんどう豆のスープ、 甲の欠けた長靴もやるから、隠してもっていけ。   二五 一つ、哀れみの情にかられて、 以下この書き物に名をあげる 三人の裸の子どもに贈る ──履くものも着るものなく、 虫けら同然 すっ裸、 無一物の哀れなみなし児 (せめてこの冬を越せるように 何か恵んでやっていただきたい)──、   二六 第一には、コラン・ローラン、 次は、ジラール・ゴッスアン、最後はジャン・マルソー、 この三人財産も縁者もない、 手桶の柄すら持っていない、 おれのあるはずのない財産からめいめいが一抱え出来る分だけ、 それとも、その方が良いと言うなら、ブラン貨幣四枚を贈ろう。 三人よりずーと若いおれが、年寄りになったころには、 たらふく食えるようになるぞ、せいぜい長生きすることだ。  (注)実は、三人は老人で、金持ちの商人である。   二七 一つ、おれが大学からもらった あまり効果的とは言えない聖職就任権を 譲り状をそえて、 法規に則ったこの書き物に名をあげた この都の哀れな二人の学僧の 窮状を救ってやるために贈る、 慈悲と自然の心が、そうさせたのだ、 なにしろ、すっ裸な二人を見てしまったものな。   二八 その二人とは、メートル・ギヨーム・コタンと メートル・ティボー・ド・ヴィトリだ、 ラテン語をしゃべるこの二人の貧乏学僧は、 控え目で、聖歌はお上手、 穏やかな子どもで、言い争いなどはもってほか、 二人には、ギヨ=グードリのとかく問題のある借家の 家賃を贈ることにする、 万一うまくいったら、家賃を手にすることができるかも。  (注)実は、二人は老人で、裕福な、ノートル=ダム寺院の教会参事会員である。
「家賃」:問題の家賃が滞納されていたことは当時有名。
  二九 一つ、二人のすでにもっている聖職者用の杖のほか サン・タントワーヌ街の看板に描いてある杖を贈る、 それとも、遊び好き色事好きの二人には玉突用の棒にするかな、 この二人、入牢するはめになるかもしれないが、鳥かごに入れられた どうしようもない囚人鳩には、 毎日セーヌ川の水を壺に一杯、 きれいな、手頃な鏡を一つ、 牢番の妻の寵愛を贈る。   三〇 一つ、施療院には 蜘蛛の巣を張りめぐらせた窓枠を贈る、 屋台の下に寝ている宿なしには、 めいめい、目の上に、拳固を一つ贈呈する、 寒さに顔をしかめ、震えている、 やせて、髭はのび放題、水洟たらし、 寸たらずの股引、すりきれた服、 凍えて、身体は傷だらけ、夜霧にぬれている。   三一 一つ、わがなじみの床屋には 切ってもらった髪屑を そっくりそのままなんの留保もなく、 靴直しには、おれの古い靴を、 古着屋には、おれの古着を 所有権を放棄した時のそのままに、 新しいものほどの価値はないが、 お慈悲で、やつらに贈る。   三二 一つ、托鉢修道会の修道士たちと 神の娘やベギン会の修道女たちには、 美味あふれるおいしい料理を贈る、 食用の去勢鶏、魚のパテ、脂ののった雌鶏だ、 また、最後の審判の「十五のお告げ」を説教する権利を、 パンであれ金であれ両手一杯かき集める権利を。 カルメル会の修道士は近所の女に馬乗りになったりする、 だが、おれには関わりのないこと、たいしたことじゃない。  (注)托鉢修道士たちの美食と好色を揶揄している。   三三 一つ、金持ちの香料問屋、 ジャン・ド・ラ・ガルドには、黄金の乳鉢を贈る、 痛風病人のためのサン・モールの松葉杖も贈るので、 芥子を砕いて粉にするために使うがよい。 おれに対しての残酷なたくらみを 率先して仕組んだ男には、 サン・アントワーヌの熱病で焼かれてしまえ、 ──やつへの形見分けはこれだけだ。   三四 一つ、ラシャ商人のメールブッフと 御用金徴収役のニコラ・ド・ルーヴィエには、 めいめい、今では使われていないフラン貨と昔のエキュ貨の たっぷり詰まった卵の殻を贈る。 グーヴィユの沼の管理人、 ピエール・ド・ルッスヴィルには、 お金とはどんなものかちゃんとわかるように、 芝居の座頭の阿呆の王が道でまく紙の金貨を贈る。   三五 今夜、一人で、機嫌よく、 構成をかんがえたり、書き直したりして、 この形見分けを書いていると、 ついに、ソルボンヌの鐘が聞こえてきた、 毎晩九時に天使の予言した 救いの祈りを告げる鐘だ、 それで、おれは筆を置き、これ以上書くのをやめた、 心の命ずるままに、おれは祈った。   三六 祈りながら、おれは意識を失っていった、 酒を飲んだためではない、 おれの精神は、枷をはめられたようになってしまった、 その時、記憶夫人が、自分の箪笥の中に、 その本来の力を補う能力、 正しいか間違っているかを判断する能力、 また、他の色々な知的能力を、 引き取り、しまい込んでしまうのを感じた。   三七 そして特に、価値判断能力を、 その能力のおかげで、結果予知能力や、 概念識別能力や概念形成能力が生まれるのだ、 こういった能力の混乱により、人間は 毎月、馬鹿になったり、狂ったりするように なることがしばしば起きる、 おれは、かつてアリストテレスにそう書いてあるのを、 何度か読んだことがある、記憶に間違いがなければね。   三八 その時、感覚能力が目覚め、 それが想像力を駆り立て、 おれのすべての感覚器官を蘇らせ、 理性という最高の部分をとりもどさせた、 理性は、精神の麻痺を示すためおれの体内に ひろがっていた忘却に圧迫されて、 その活動を中断し、無力になっていたのだ。   三九 とにかくおれの精神は安らぎをとりもどし、 悟性も混乱を脱したので、 この書き物を仕上げたいと思う、 ところが、インクは凍ってしまい、 蝋燭は消えてしまっている、 火を得る手段もない、 そういうわけで、マントにくるまって寝ることにする、 他の終りかたは出来ないよ。   四〇 この『形見分け』前述の日付に その名も高きヴィヨンによって書かれた、 その男、いちじくもなつめ椰子も食わず、 パン焼き窯の掃除棒のようにひからびて色黒、 天幕も、大きいのも小さいのも 仲間にやってしまったので持っていない、 小銭がわずか残るばかり、 それも間もなくなくなってしまうだろう。
◆ 冒頭へ ◆


(総合注)時は15世紀、所もフランス。形見を贈ると言う形で、当時の色々な階層の人びとを揶揄、風刺することになる『形見分け』は、その人物がどんな人であるかわからないとその面白みが充分伝わらない。注が必要になるわけである。ただ、注を見ながら読むと流れが中断される。ヴィヨンが通読されにくい理由がそこにある。そこで、「ヴィヨン」のページでも「新訳にあたっては、若い世代にも読みやすいように、時には隠された意味を含めた大胆な意訳を採用することもある。」と書いたように、本文をなるべくそのまま読めるように、最小限というか、極小限の配慮をした。ただ、その最小限さえ翻訳にとりいれると不自然になる場合もあり、きわめて例外的に、該当の節のおわりに、一行に押さえた注(場合によっては、二行)をいれた。そのうちに、ヴィヨン詩の面白さに焦点ををあてた簡単な注を加えるつもりだが、当面はこの場所で最低限の補足をおこなうことに止める。

新訳の工夫の中でごく簡単な例を 一つだけ上げてみる。
十一節は、そのまま訳すと、
「一つ、たいへん恩義をうけた
 メートル・イティエ・メルシャンには、
 おれの鋭い鋼鉄製の剣を贈る、
 おなじくメートル・ジャン・ル・コルニュにもこの剣を」、
ということになる。
とりあえず、ここでは次のように原文にはない「おかまの気のある」を入れてみた。
「一つ、たいへん恩義をうけた
 おかまの気のあるメートル・イティエ・メルシャンには、
 おれの鋭い鋼鉄製の剣を贈る、
 おなじくメートル・ジャン・ル・コルニュにもこの剣を、」
これで細部までははわかるわけとは言えないが、「剣」が男根を意味していること、そのことによって、彼等を本当の理由はともかく、とりあえず揶揄しようとしていることぐらいはわかるかもしれない。
なお、性的なくすぐりは多い。たとえば、四節の「別の畑に種をまくか、他の鋳型で鍛えなおさなくちゃ。」とか、三三節では「乳鉢」は女陰、「松葉杖」は男根を意味するとかいったように。

ヴィヨンの詩句は、風刺に満ちており、かならずといっていいぐらい隠された意味がある。直接表現された意味とは反対の意味にとった方がいい場合が多い。たとえば上記の「たいへん恩義をうけた」も実は反対の意味である。

実物の代わりにそれの描かれた看板を贈るということがしきりに出てくるのは、もとより何も贈るつもりがないのとともに、当時の学生たちが気晴らしに看板を盗む風習が反映されている。

三七節以降、ヴィヨンはわざと難しいスコラ哲学の用語を使っている。難解なスコラ哲学への風刺ともいえるし、また、何かをカモフラージュしようとしているともいえる。1456年クリスマスのころ、ヴィヨンは仲間たちとコレージュ・ド・ナヴァールに窃盗にはいっている。その後、しばらくパリを離れている。そのアリバイ捏造のため、女との別れにはじまるこの『形見分け』を書いたという説もある。

◆ 冒頭へ ◆

(1996.9.24 (C) 佐々木敏光・初出)
(改訂の日付は更新の日であり、ここでの記述は省略します)


Le Lais(フランス語)

「ヴィヨン」へ

to [Texte de Villon]