全一八六節。以下の詩が挿入されている。
一 おれが三十歳の年だった、 ありとあらゆる屈辱を飲まされたが、 そのためにまったくの馬鹿にも、とりわけ賢くなったわけでもない、 多くの苦しみ責苦にもかかわらずだ、 その苦しみ責苦はオルレアンの司教、チボー・ドオシニーの裁判権のもとで、 拝受したってわけだが、 たとえやつが司教で、街を祝福を与えながらねり歩いても、 おれの司教ではない、断じてそうじゃあない。 二 おれの主君でも、おれの司教でもない、 荒地だろうがなかろうが、封地というものはもらったこともない、 忠誠の誓いもたててないし、奉仕のしるしもやっちゃあいない、 おれはやつの小者でも小姓でもない、 やつは夏中おれにほんのちっぽけなパンのかけらと 冷たい水しかくれなかった、 よそでは気前がいいのかしまりやかは知らないが、おれにはひどいけちだった、 神さま、やつがおれにしたように、やつにもしてやって下さい。 三 誰かがおれを非難して、 おれがやつを呪っているというかもしれぬが、 そうじゃないんだ、おれの言いたいことがわかればわかるはずだ、 やつを全然呪っちゃあいない、 やつについて言いたい悪口はこれだけだ、 やつがおれに慈悲深かったとすれば、 天国の王、イエスさま、 やつの魂にも体にも、同じ様な慈悲をかけてやって下さい。 四 また、もし司教が、口には語りつくせないほどに、 つらく残酷におれにあたったとするなら、 天罰を下される永遠の神が、やつに 同じ程度に、同様なことを してやっていただくようおれは望む。 だが、教会の教えでは、敵のためにも 祈らなければならいということになっている、 そこでおれは言おう、「どんなことを、やつがおれにしたとしても、 おれが受けた迷惑と屈辱は、神の判断にゆだねる。」 五 そして、おれはやつのために、心から祈るとしよう、 今は亡き、酒飲みで善人のコタールの魂にかけてね、 どうやればいいかな? 心の中だけで気ままにやるか、 実際に読んだり口にだすのはめんどうだ。 ピカールの異端派の祈りでいくかな、 その祈りを知らないなら、おれを信じて、 遅くならない内に、流行っているフランドルのドゥエか、リールに 習いに行け。 六 しかし、この祈りでやつのために何を祈ったか やつが知りたいなら、その中味はだれにも公言はしないよ、 おれの洗礼うけた信仰にかけて、教えてやろう、 やつの期待に沿うものだってことがわかるはずだ、 牛皮でも山羊の皮製でもない、練習用の詩篇の聖歌の中から 〈わたしのほめたたえる神よ(デウス・ラウデム)〉という聖歌の 第七番目の節を歌ってやろう、手元にあるからその気になればできるからね。 (注)実際は第八番「その日を少なくし、その財産をほかの人にとらせて」。伝統的な冗談。 七 というわけで、困難な時いつも加護を求めている 神の至福の御子に祈るのだ、 おれの貧しい祈りを受け入れてもらえるよう頼もう、 この身も心もその方に主君のように負っている、 その方には、おれの数知れない侮辱から守って頂き、 不吉な力から解き放って頂いた。 御子よ、讃えられよ、聖母マリアも、 おれを恩赦で牢獄から救って下さったルイ王、善良にして勇壮なフランス王もまた。 八 神よ、王には、子孫繁栄のあのヤコブの幸福と ソロモンの栄華をお与えください、 ──王は、武勲は充分すぎるほど立てられ、 勢力も同様にお持ちだ、このこと真実おれの魂にかけて誓う── 神よ、このうつろいやすい現世にあって、 この現世ができるだけ長く、広い範囲に渡って続く限りは、 王の名が人々の記憶に留められるように、 九百六十九歳も生きたマチュサレと同じ位の長寿を王にお与え下さい。 九 その高貴な、王家の血筋をひく 男子ばかりの立派な十二人の御子に恵まれますように、 その御子たちは、正当なる結婚によって生まれ、 あのシャルルマーニュ大帝の様に勇ましく、 軍神マルスにも比すべき聖マルシアルの様に勇敢になるのです。 元の王太子であり、現国王には、そのようになって頂きたいのです、 余計な不幸など望みはしません、お幸せに、 死後は、天国に行かれますように。 一〇 どうも体が衰弱して行くように思える、 といっても、財布の中味の衰弱の方が激しいわけだが、 分別がきいてる内に、 (ほんの少しだが、おれの分別は神が下さったもので、 他の誰に借りたわけではない) この遺言をきちんと作っておく、 最後の意志の表れとして、 全体をもって有効で、取り消し不可能な遺言だ。 一一 おれは一四六一年に、これを書いた、 まさにその時、王が オルレアン近くのマンに入城され、 恩赦をもって、あのマンの厳しい牢獄から、おれを救って下さり、 命を取り戻して下さったのだ、 心臓が動き続ける限り、王には、 つつましく頭を下げ続けるつもりだ、 王が亡くなられるまで、そうするつもりだ、 受けた善行は忘れてはならない。 一二 確かに言えることだが、嘆きと涙、そして あの苦しい呻きの後で、 悲しみと苦悩、 そして、苦労と辛い放浪の後で、 試練は、糸玉のように丸く尖った おれの優柔不断の心を開いてくれ、ものを見通せるようにしてくれた、 実際の経験は、アリストテレスについてのアヴェロエスの注釈を 読むよりはるかに勉強になったのだ。 一三 そうはいっても、おれが金などこれっぽちもないまま放浪して、 悲惨のどん底にあった時、 福音書にあるように、エマウスの巡礼を慰められ、 希望を与えるようにされた神が、 おれには、善き町を示され、 希望という贈り物を下さった、 たとえ、その罪が卑しいものでも、 神が 憎まれるのは、悪に漬かり続けることだけなのだ。 一四 おれは罪ある身だ、それはよくわかっている、 だが、神はおれの死を望んではおられない、 悔い改めて、善に生きよと望まれる、 これは、罪にさいなまれる者の誰にもそう望まれるのだ。 たとえ、おれが罪の中で死んだとしても、 神は生きておられ、神の慈悲は深く、 おれの良心が後悔する限りは、 恩寵によって、許しを与えてくださるのだ。 一五 あの格調高い『薔薇物語』が、 まずそのはじまりの所で、 青春時代の若気のいたりも、 老いて智恵もついてきたときには、 許すべきだと、はっきりと言っているが、 ああ! 正しいことを言ったものだ、 おれをこんなにも責めたてるやつらは、 成熟し智恵もついたおれを、見たくないと言うのか。 一六 もし、おれが死んだとして、 みんなのためにすこしでも役立つんなら、 おれは道をはづれた男として、神の名にかけて、 自らに死の判決を下そう、 足で立って歩いていようと、棺桶の中に寝ていようと、 おれは若い者にも老人にも害なぞはかけないよ、 山は一介の貧乏人のせいで、 前にも後ろにも、動いたりはしないのだ。 (注)「山は、…」神の全能を示す聖書の詩句が、否定的に使われている。 一七 アレキサンダー大王の統治時代だが、 ディオメデスという男が、 盗賊として、指をくくられて、 大王の前に連れてこられた。 その男、掠奪を繰り返す ありふれた海賊であった。 死罪を給るために、 この大王の前に引き出されのだ。 一八 皇帝は次のように尋ねた、 「お前は、なぜ海で盗みを働くのだ?」 相手は答える、 「なぜ盗人呼ばわりされるのですか? 小さな舟で海を 荒し回るからですか? あんたのようにおれも大船団で武装できていたら、 おれもあんたのように皇帝ってことですかね」 一九 「どうしろというんです? しょせん運命のせいですよ、 運命に対しては、本当にどうしようもありません、 運命が、不当な境遇をおれに授けてくれたってわけですよ、 そのせいで、こんな振る舞いをすることになったのです、 とにかくお許しください、 わかってください、よく言われているように、 貧しさの中には誠実は 宿らないと言うことを」 二〇 皇帝はディオメデスの言うことを 注意深く聞き、 「お前の運命を不運から幸運へと 変えてやろう」と言った。 実際そのようにとりはからった。その後、ディオメデスは誰にも くってかかったりすることはなく、誠実で立派な人になった、 これは、ローマの大学者と言われたヴァレリウスが、 真実のこととして伝えている。 二一 もし神が、もう一人の情深い アレキサンダー大王に、おれを合わせて、 その人が、おれを幸運へと導いてくれ、 それなのに、悪事を続けるようなことがあれば、 おれは、火刑になり、灰になるよう自らを 裁いてみせよう。 人は必要にかられて、道を誤り、 飢えれば狼も森からでてくる。 二二 おれは、青春の日々がなつかしい、 そのころは、誰よりも陽気に生きていた、 老年に入るまではね、 青春はそのうち行ってしまうのをおれに隠していた、 あいつは行ってしまった、歩いて行ったわけでもない、 馬に乗ってでもない、ああ! どうやってだ? 突然、飛んで行ってしまった、 別れの贈り物など残さずにね。 二三 青春は行ってしまった、おれだけが残っている、 感覚も智恵も乏しいまま、 みじめに、打ちひしがれて、桑の実よりも体も心も黒ずんで、 このおれには、年貢の金も、あてにする収入も、財産もありゃしない。 本当のことだが、おれの親戚縁者の最低にやつも、 おれがまったく金のないせいで、 おれを知らないなどと言いやがる、 人間の本分を忘れてさ。 二四 だが、おれはうまいものをくったり、遊興に金を使ったことを 非難されても、別に恐くはない、 女たちを愛し過ぎたからといっても、 友人や親戚に非難されるような横領、着服はやっていない、 すくなくとも、彼らにはひどい迷惑をかけちゃいない、 このことははっきり言っておく、嘘を言ってるわけじゃない、 こういった中傷には、きちんと反論できる、 悪いことをしていない者は、非難されるいわれはない。 二五 おれが女たちを愛したのは、確かに本当だ、 できれば、喜んで愛し続けよう、 だが、みじめな心と、 お腹の三分の一も満たせぬ飢えた状態では、 色恋の道の方が逃げていくよ。 要するに、酒倉でたっぷり飲んだやつこそ、 おれの色恋の尻ぬぐいをしてくれよ、 色恋の踊り (ダンス) は、腹 (パンス) が足りてからのことだよ。 二六 よくわかっている、あの狂おしい青春時代に、 勉強していたら、 行い正しくふるまっていたら、 おれも家をもて、柔らかい寝床で寝ていただろう、 だが、何て事だ! 悪がきがするように、 学校を逃げ出した、 この言葉書きながら、 おれの心は、張り裂けそうだ。 二七 賢者ソロモンの言葉を、おれはあまりにも 都合よくとり過ぎていた、これは間違いだった、 そこには、「息子よ、若い時には、 楽しむことだ」とある。だが、賢者は 他の所では、他の言葉を用意している、 そして、このように言っている、 そのままを伝えると、 「青春そして青少年時代は、錯覚と無知にすぎない」。 二八 わが日々はすばやく過ぎ去って行った、 ヨブも言っている、織工が 藁の火を手にしているとき、 布切れの端からはみ出た糸の先がそうなるのと同じだ、 はみ出た部分があると、織工はすぐ 焼ききってしまう。 だから、おれはどんな不運が襲ってきても恐れない、 だって、死によってすべてが終わるんだから。 二九 どこにいるんだ、かつておれが よくつき合っていた優雅な遊び仲間たちは? 歌も上手で、話もうまかった、 やることも言うことも、本当に面白かった。 その中の何人かは、死んで、固くなっている、 生きていた痕跡はもう何もない、 ──神の許しを得て、天国に行ってくれな── そして、まだ死んでない連中を、神よ、お救いください! 三〇 また、あるものは、神のお陰で、 大貴族になったり、それなりの地位についていたりする、 裸同然の乞食稼業、 店先のパンを眺めるだけのやつもいる、 また、あるものは、セレスタンや、シャルトルーといった 托鉢修道会の僧院に入って、長靴、 つまり牡蠣採り漁夫のように、本当に長い靴ををはいている、 同じ仲間でありながら、何と違った境遇にいることか! 三一 うまく成り上がって、平穏安穏に暮らしてやつらには、 神よ、徳の高い行いをすることを許してやって下さい、 やつらは、それ以上よい生活を求める必要ないのです、 おれが、これ以上言うこともあるまい。 だが、おれの様に生きて行く糧さえない 貧乏なものどもには、神よ、忍耐心をお与えください、 他の連中は、足りないものは何もありません、 パンもそれ以外の食べ物も僧院でたっぷりもらっています。 三二 やつらには、樽の栓を開けたばかりのおいしい葡萄酒、 いろんなソースや、ブイヨンで煮込んだ肉、大きな魚、 タルト、固焼きフラン菓子、揚げ卵、落し卵 卵を使ったデザートと、何でもありというわけです。 本当に辛い仕事を強いられる 石工たちとは似てもにつかないやつらです、 やつらは、酒をついでくれるものはいらないと言い、 せっせと、自分でついで飲んでいる。 三三 ついつい、横道にそれてしまった、 こんな話は、おれのやろうとしてたことではない、 他人の悪行を罰したり、許したりする 判事でもないし、そんな役も負っていない、 おれこそ、自慢にはならないが、なまはんかな人間そのものだ、 優しいイエス・キリストさまに、栄えあれ! やつらには、おれの悪口の償いをせにゃならぬかも、 だが、書いてしまったことは、書かれて残るだけだ。 三四 やつらの僧院の話はやめにして、話題を変えよう、 もっと楽しい話をしよう、 こんな話題は、誰にとっても面白いわけじゃない、 うるさくて、不愉快だ、 貧乏は、不機嫌で、ぐちっぽく、 横柄で、反抗的で、 いつも、激しい言葉を言ってしまう、 あえて言わなくても、心の中ではそう思っている。 三五 子どもの時から、おれは貧乏だ、 貧乏たれのちっぽけな家の生まれさ、 親父も大金を持ったことは一度もなかった、 オラースなんて、名前だけローマの貴族ばりの祖父もそうだった、 貧乏神に追いかけられっぱなしさ、 おれの先祖代々の墓には、 ──神よ、彼らの魂を受けとめてやって下さい── 王冠も王杖も見つけられやしない。 三六 貧乏をなげいていると、おれの心は なんども繰り返しおれに言って聞かせる、 「人間よ、そんなにひどく悲しむな、 そんなに苦しみをひきずるな! 財産を没収され死んでいった豪商のジャック・クールほどの富がなくても、 貧乏でも、ぼろをまとってでも、生きているほうがましだ、 かつては領主になりあがったわけだが、 いまでは豪華な墓の下で腐っていっている、それよりはましだ」 三七 領主さまだったって… 何を言ってるんだ? 領主さまか、ああ! でも、今はそうでもないんだよな? 『詩篇』のダビデの言葉によれば、 死んでしまえば、生前どこで暮らしていたかもわからなくなる。 それ以上のことは、おれには言えない、 罪深いこのおれの、出る幕じゃない、 神学者のみなさんに、おまかせしよう、 それこそ、説教三昧の托鉢修道会のみなさんのお仕事だよ。 三八 よく考えればわかる、確かにおれは 星々を散りばめた王冠を戴く 不死の天使の息子ではない、 おれの父は死んだ、神よ、その魂を護って下さい! その肉体は、墓石の下にある、 母だっていつか死ぬ、よくわかっている、 ──母もそれがよくわかっている、かわいそうな母よ── 息子だって、いつまでも生きているわけにはいくまい。 三九 おれはよくわかっている、貧乏人も金持ちも、 賢いやつも馬鹿なやつも、聖職者も俗人も、 貴族も庶民も、気前のいいやつもけちも、 小男でも大男でも、奇麗なやつもぶさいくなやつも、 毛皮の裏返しの襟をつけ、 高く尖ったこれみよがしの帽子をかぶった貴婦人も、 身分は問題ではない、 死は、いっさいがっさいをかっさらっていく。 四〇 たとえ、死ぬものが、トロイ戦争の火付け役の 美男のパリス、美女のヘレーヌであろうと、 息が出来なくなって、苦しんで死ぬのだ、 胆汁は心臓の上に飛び散る、 それから、汗が出てくる、とてつもない汗だ.... その苦痛を和らげてくれる者はいない、 身代わりになろうなどという 子どもや、兄弟姉妹などは、いるはずがないのだ。 四一 死は、死んで行く者を、 震えあがらせ、蒼白にする、 鼻はひん曲がり、血管はふくれ、 首は腫れあがり、肉はふやけ、 関節や腱は延びて広がる..... こんなにもたおやかな女体よ、 艶やかで、かぐわしく、かくも貴い、 その女体も、この苦痛を受けることになるのか? そう、聖母マリアのように生きたまま天国に行くすべは無いのだから。 昔日の美女たちのバラード 教えて下さい、どこにいるのです、どんな国に行ってしまったのです、 美しいローマの遊び女フロラは、 美女アルキピアデスは、そして美しさは彼女に まさるともおとらない、アレキサンダー大王の愛人タイスは、 川面や池の面に、 呼びかければこだまを返す、 人間の美しさを越えた水の精エコーは、 それにしても、去年の雪は、今いずこ? (注)美男の誉れ高いアルキビアデスは、中世ではしばしば女性と間違えられた。 どこにいるのですか、賢明で学識の誉れ高いエロイーズ、 彼女のため、あの大学者のピエール・アベラールが、 男性の象徴を切りとられ、サン・ドニの僧院に入ることになった、あの美女は? 彼女への愛のため、彼は恨みを買い、こんな不運に見舞われたのだ。 同じく、どこにいる、 若き日の、パリ大学総長ビュリダンを袋詰めにして、 窓からセーヌ川に投げ込めといった王妃は? それにしても、去年の雪は、今いずこ? (注)「王妃」:諸説あり。いずれにしろ、ビュリダンは小舟を用意していて助かった。当時の学生の間では有名な話。 船人を惑わすあのセイレンとみまがうほどの歌声を持つ、 百合のごとく白き、ブランシュ王妃、 大足のベルト、ビエトリス、アリス、 メーヌ地方を統治したアランジュルジス、 あの勇敢なロレーヌの娘、 イギリス軍のため、ルアンで火刑にあったジャンヌ・ダルク、 みんなどこにいる、聖母マリアさま、どこにいるんです? それにしても、去年の雪は、今いずこ? (注)不詳の女性もいる。この詩節では、「武勲詩」系か、武勲にたけた美女が中心となっている。 詩会の選者よ、あの美女たちが今いったい どこにいるのかとたずねてはなりません、 ただ、このルフランに立ち返るばかりです、 それにしても、去年の雪は、今いずこ? 冒頭へ 昔日の王侯たちのバラード さらに教えてください、どこにいるんです、 カリクストという名では一番最後に亡くなられた、 カリクスト三世は、 四年間、法王であられた方は? アラゴン王、アルフォンスは、 優雅なるブルボン公は、 ブルターニュ公、アルチュスは、 先のフランス王、勇壮なるシャルル七世は? それにしても、智恵武勇ともに傑出したシャルルマーニュ大帝は、今いずこ? 同じようにまた、 額から顎まで、顔半分が、 アメジストのように紅であったと言われている あのスコットランドの王は? かの有名なキプロスの王は、 悲しいかな! また、名は知らないが、 スペインの勇敢な王は? それにしても、智恵武勇ともに傑出したシャルルマーニュ大帝は、今いずこ? これ以上名を連ねるのはやめよう、 この世はまやかしに過ぎない、 死にあらがう者はいない、 死に対しての方策を持つ者もいない、 ただ一つだけ尋ねる、 ボヘミヤの王、ランスロは、 どこにいるのです、その祖先はどこに? それにしても、智恵武勇ともに傑出したシャルルマーニュ大帝は、今いずこ? あの勇敢なブルトン人、名将デュ・ゲクランはどこに、 オーヴェルニュのドーファン伯は、 そして、勇壮な、亡きアランソン公は? それにしても、智恵武勇ともに傑出したシャルルマーニュ大帝は、今いずこ? (注)「昔日」といタイトルにも関わらず、比較的近い時期に亡くなった王侯ばかり。人物については別の機会に。 冒頭へ 古語のバラード というのは、たとえ貴い法王でも、 白衣を着て、肩衣をつけて、 悪意ある怒りにかられた 悪魔の首根っこを捕まえるとき使う ストラを腰に巻き付けている法王でも、 死ぬのだ、下級の僧侶と同じように、 風の一吹でこの世から消えてなくなる、 風の吹くまま、運ばれて。 実際、たとえコンスタンチノープルの 黄金の玉を手にもつ皇帝であろうと、 品位、威厳においては他の王にぬきんでて、 実に貴いフランス王であろうとも、 その王は、大いなる神を崇めて、 多くの教会と僧院を建立され、 その時代には大い尊敬されたわけだが、 風の吹くまま、運ばれて。 たとえヴィエンヌとグルノーブルの 勇敢で思慮深い王太子でも、 また、ディジョン、サランそしてドールの 領主、あるいは、その世継ぎであろうと、 また、その家来たち、 伝令官、ラッパ手、見習い組であろうが、 たらふく飲み食いしても無駄なこと、 風の吹くまま、運ばれて。 王侯といえ、死ぬのは運命だ、 命あるものみな同じ、 くやしがっても、いらだっても、 風の吹くまま、運ばれて。 (注)古語を使って書かれているはずだが、ヴィヨンはしばしば間違いを犯し、完璧な古語とは言い難い。 冒頭へ 四二 なぜなら、法王も王も、王妃の 腹からうまれた王子でも、 死んで、冷たくなって埋葬されている、 ──そして、その王国は人手に渡ってしまう── 貧乏な、言葉の商人のこのおれも、 死なないことがあろうか? そうなんだ.... 神の御心のままに! ただ、言葉を使って、少々儲けてからだよ、 まっとうな死に方は決して嫌いじゃない。 四三 この世は不滅ではない、 金にまかせて生き延びようとする盗人まがいの金持ちがどう思おうが、 みんないつ落ちてくるか分からない死の刃の下で暮らしているのだ、 貧しい老人よ、このことに慰めを見いだすがよい、 この老人、若い頃は、 愉快な、冗談好きとして名をはせたが、 老いても、冗談ばかり言い続けると、 気狂い扱いされ、軽蔑されることになろう。 四四 というのも、若い頃は、愉快な男だったろうが、 今となっては、面白いことは何一つ言えない、 ──老いぼれた猿は、いつだって、不愉快なものだ、 顔をしかめてみたりしても、嫌われるのがおちだ── 気にいられようと、黙っていると、 極めつけの馬鹿扱いをされる、 口を開けば、黙れと言われる、 自分で育てたプラムでなければ、自分のプラムとは言えぬ、真似事は駄目だ。 四五 今や、その男、乞食をしなくてはならない、 それも、必要にかられてのことだ、 昨日も今日も、死をこいねがう、 それほどまでに、悲しみに胸を締めつけられている、 一度ならず、彼の恐れる神がいなかったら、 自殺という、おぞましいことをしたかもしれない、 そのことによって、神の掟にそむくことになり、 我が身、我が魂を殺すにいたるのだが。 四六 年老いて、生きる糧のない、 あわれな、か弱い老女も同じこと、 若い女たちがためらわず あれこれを利用しようとしているのを見るとき、 彼女らは、神にたずねる、 なぜ、こんなにも早く生まれて来たのですか、またいかなる掟によってですかと、 だが、神は黙したままだ、 おしゃべりや言い争いでは、神も負けてしまうからだ。 [兜屋の美女の嘆き] 四七 かつては美人で、兜屋でもあった女が、 嘆いているのを、聞いたことがある、 できればまた、若い娘に戻りたいと望んでいた、 そして、この様に、話していた、 「ああくやしい! 残酷で情容赦のない老いよ、 なぜ、わたしをこんなにも早々とうちのめすのか、 自分を刃でついて、一撃で死のうと思うのに、 邪魔だてをして、引き留めるのはいったい誰なのだ? (注)「兜屋の美女」:「兜屋小町」という訳もある。「兜屋」の売り子等で、娼婦まがいの女。 四八 「老いよ、お前は、 かつて学僧や、商人や、教会の人々の上におよぼしていた特権、 わたしが美の女神から授かった至上の特権を、奪いさってしまった、 と言うのも、かつて、わたしの為なら、全財産をなげうたない 男はいなかった、 たとえ、今では、乞食さえいやだというものを 与えさえすれば、 彼らはどんな後悔もしなかったのに。 四九 「山ほど男をふってきた、 それも、ずる賢い若者を愛していたからなの、 このことは、あまり賢いふるまいとは言えなかった、 あの男には、気前よく振る舞った、 ほかの男たちにしなを作ってだまし続けたのは、 まこと、あの男を好いていたから、 それなのに、あの男は、わたしに手荒いことをするだけ、 お金が欲しいために、わたしを愛していたのだ。 五〇 「けれども、どんなに引きずられても、 足蹴にされても、あの男を愛していた、 たとえ、腰を引きずられても、小突かれても、 もし、その男に、口づけしろと言われば、 それまでの苦しさを忘れてしまう、 この生まれついての悪党に 抱かれると.... この身はどうしようもなくなる、 わたしに何が残る? 恥と罪のみ。 五一 「今ではあの男も死んでしまっている、三十年前のことだ、 そして、わたしは老いて、白髪になって、生き延びている、 ああ! 美しい娘時代の盛りの時を思いながら、 裸になって、この体を見つめている。 ──あのころのわたしはどうだったか、今どうなっているか!── まったく変わってしまった姿が見える、 貧しく、ひからびて、やせて、縮んで、 悔しさで気も狂いそうになる。 五二 「どうなったの? すべすべしたあの額、 ブロンドの髪、弓なりの眉毛、 たっぷりとした眼の間隔、快活な眼差し、 そのお陰で、どんな抜け目のない男も誘惑できた、 大きすぎも、小さすぎもしない、鼻筋の通った鼻、 よくできた、きゃしゃな耳、 えくぼのできた顎、明るく、端正な顔、 あの奇麗な真紅の唇は。 五三 「どうなったの? あのかわいい、きゃしゃな肩、 長い腕、繊細な手、 しまった乳房、肉づきのよい豊かな腰、 ベッドでの愛の戦いの場に ふさわしい、盛り上がった、 その広い腰、そして 閉じた大股の小庭の中の、 女だけのあのかわいいものは。 五四 「額には皺がより、髪は灰色、 眉は抜け落ち、眼の輝きも消え、 その笑みに満ちた眼差しで、 多くの不幸な男を傷つけたのに、 鼻はまがり、その美しさははるか昔、 耳は垂れ、色香を失い、 顔は、蒼ざめ、死人のようにかさかさで、土気色、 顎は皺で縮み、唇もぶよぶよとした皺ばかり。 五五 「──これが、人間の美の成れの果てだよ── 腕も短くなり、手も変形してまともに動かない、 肩も、せむし同然、 乳房はどうなった? しなびて、ぺっちゃんこ、 腰も乳房と同じ事、 あの大股の間のかわいいものは、言うも無惨! お尻は、 もうお尻とは言えぬしろもの、お尻の残骸、 腸詰めのように、しみだらけ。 五六 「このように、私たち年老いたおろかな女は、おたがいに、 過ぎ去った女盛りを嘆いている、 糸玉のように、身を寄せあって、丸くなって、 しゃがみ、うずくまって、 ついたと思うとすぐ消える 麻の茎の切れ端を燃したちっぽけな火にあたりながら.... わたしたちは、昔は、美しかった、 みんなもこのようになってしまうのよ」 遊び女たちに与える兜屋の美女のバラード 「そういうわけだから、手袋屋の別嬪さん、 まだ、新参者だろうけど、 それに、あなた、古靴屋のブランシュさん、そのところちゃんと考えるのよ、 自分の立場をわきまえる時なのよ、 右や左の男から、金を手に入れるのよ、 男を容赦しないことよ、お願い、 だって、女も年とれば、通用しないし、価値もなくなる、 流通を禁じられたお金も同然。 「それに、あなた、ベッドでの踊り上手な 美人の腸詰屋さん、 また、タピスリー屋のギュメットさん、 旦那にはそそうの無いようにね、 すぐに、店をたたまなくてはならぬはめになるかも、 年とって、色香あせれば、 おいぼれの坊主につかえるのが、せいぜいのこと、 流通を禁じられたお金も同然。 「頭巾屋のジャヌトンさん、 惚れた人に、がんじがらめにされないようにね、 それに、財布屋のカトリーヌさん、 簡単に、ふったりしないことね、 奇麗でないものは、憎まれないようにすることよ、 笑って愛想よくすることよ、 老いて醜い女は、頼んでも、色恋は来ない、 流通を禁じられたお金も同然。 「若い女たちよ、なぜ、わたしが泣くのか、泣きわめくのか、 その訳をよく聞くことだね、 わたしは今では男女の道では通用しないからよ、 流通を禁じられたお金も同然。」 冒頭へ 五七 これが、昔は美しく、善良であった女が、 遊び女たちに与える教訓だ、 その言いぐさが、良いか悪いか、それはともかく、 おれは、これらの言葉を、おれの書生の うっかりフレマンに記録させた、 フレマンは、おれがそう考えているように、思慮深いやつだ、 この点、やつがおれの意に反することをやれば、おれはやつを呪ってやるぞ、 書生をみれば、主人がわかるってことわざもあるにはあるが。 五八 確かに、おれは恋する男が さらすことになる大いなる危険をこの教訓に見てとる。 だが、おれが今言ったばかりのことを非難して、次のように 言うやつがいるかも知れない、「ちょっと、一寸! 今お前の挙げた女たちのぺてんに恐れをなして、 色恋の道から離れ、そっぽをむくと言うんなら、 お前は、ばかげた心配をしているわけだ、 だって、あいつらは堕落した女なんだぞ。 五九 「あいつらが、金のためだけに恋するのなら、 一時の楽しみのためだけに、愛すればいいのだ、 こうした女は、直ぐにだれでも恋するのだ、 それに、財布が泣き出すと、笑い出すってわけだ、 その中に身持ちのよい女などはいない、 ひとかどの男だったら、──神よ助け給え!── 貞淑で評判の良い女に気持ちをむけるべきだ、 断じて、他のどこにでもないのだ。」 六〇 誰かがそんなことを言うことがあるとしよう、 しかし、そんな言い方には全然満足できない、 確かに、その男はこう判断するわけだ、 そして、おれも言いたいことはわかるつもりだが、 つまり、貞淑な女に恋するべきだと。 おれはききたいものだ、おれが一日中一緒にしゃべっている女たちは、 かつては、貞淑な女だったのではないのかとね。 六一 貞淑な、確かに、本当にそうだったのだ、 非難も叱責もまったく受けることのないような。 こうした女のめいめいも、最初の頃、 悪い評判を受ける前には、あるものは聖職者を、また一般の男を、 他のあるものは修道士を恋人にして、 聖アントワーヌの熱病よりももっと熱く身をこがす 恋の炎を消そうとしたのだ。 六二 彼女たちは、法規にかなったやりかたで 恋人を得たのだ、それは事実だ、 決めた男を愛していたのだ、 この恋人のほかにその恋の分け前をもらうものはいなかった。 しかしながら、この恋も分け与えられるようになる、 というのも、一人の恋人しか持たなかった女も、 男を離れ、棄てるようになり、 誰にでも恋するほうが好きになる。 六三 どうしてこうなるのだろうか? おれが思うには、 ご婦人方の名誉を汚すつもりはないが、 これが女の自然の性なのだ、 どんな男をも区別なく愛するようになるのだ。 ランスや、トロアや、 また同じく、リールやサン=トメールで言われている 以外の言い方をおれは知らない、つまり、 職人三人より六人の方が仕事がはかどる。 六四 そういうわけで、不注意な恋人はうまく球を受けられず、 ご婦人が勝ちを制するってわけだ、 これこそ恋する男が受ける当然の報いだ、 律義さはすべて犯される。 どんなに甘い口づけや抱擁が交わされたとしても、 犬を使っての狩りや、鷹狩りや、戦闘や、色恋の道では、 迷わずに言えることは、 一つの楽しみには、千の苦労が。 二重のバラード そういうわけで、好きなだけ恋するがよい、 祝い事やお祭りにはしげしげ通え、 だが、そんな事は結局何の役にもたたぬ、 頭をぶち破ることになるだけだ。 気違いじみた恋は、人をけものにする、そのために、 あの賢人ソロモンも、女にそそのかされて神に禁じられた偶像崇拝者になった、 英雄サムソンも、恋する女に眼をえぐられた、 恋にかかわり合いのない者は、幸いだ! 笛を吹き、風琴をかなでる、 あの優しい音楽家のオルフェも 愛する妻を求めての地獄行きで、 あやうく、地獄の番犬、四つ頭のケルベルスに殺されそうになった、 あのやさ男そのものの、ナルシスも、浮気女を愛したせいで、 深い井戸の底に、溺れてしまった。 恋にかかわり合いのない者は、幸いだ! クレタ王国を征服した、 勇ましい騎士にしてアッシリア王、サラダナプルは、 愛の神にそそのかされて、女に変装して、 若い女たちの中で、糸を紡いだこともある、 かの賢明な予言者、ダビデ王も、 女が言うも言われぬ立派なお尻を洗っているのを見て、 神への恐れを忘れてしまった。 恋にかかわり合いのない者は、幸いだ! ダビデの長男アムノンは、 お菓子を作って欲しいといつわって、 異母姉妹のタマールを辱しめ、その蕾を散らそうとした、 これこそ、恥じるべき近親相姦だ、 ユダヤの王、ヘロデは、作り話などではない、 洗礼者聖ヨハネの首をはねさせた、それも、 ヨハネに恋の恨みを持つ、いとしい女の激しい踊りと歌を望むためだけに、 恋にかかわり合いのない者は、幸いだ! あわれなこのおれのことを話そうか、 愛の神のせいで、小川で晒される布のように、続けざまに打たれている、 真っ裸で、このことを、おれは隠そうとは思わない、 すぐりの実を無理矢理に飲みこませるといった、 罪もないおれにひどい仕打ちをしたのは誰だ、 おれの昔の女、カトリーヌ・ド・ヴォーセル以外はいないよな? ノエル・ジョリが証人としてそこにいた、 ジョリは、鞭打ちの刑を存分受けて当然だ、 恋にかかわり合いのない者は、幸いだ! (注)「カトリーヌ」:『形見分け』のつれない女とも、後出の「いとしの薔薇」とも考えられる。 だけど、おれも昔は若かった、 若い娘たち簡単に別れることができたろうか? いや、いや、箒にまたがる魔女のように、 焼き殺すぞといわれてもな! おれには、若い娘たちは麝香(じゃこう)の香よりかぐわしかった、 だが、信用しすぎると馬鹿をみるはめになるぞ、 女が、金髪であろうが栗色の髪であろうが、 恋にかかわり合いのない者は、幸いだ! 冒頭へ 六五 このおれがかつて、 真心から誠実に奉仕した女、 こいつのために、ありあまる災いと悲しみを受け、 苦悩を味わってきたわけだが、 その女が、最初からその心の内を おれに話してくれていたらな、だが残念ながらそうじゃなかった! その罠から逃れるために、 それなりの努力をしたはずなのだが。 六六 おれが何を言っても、 聞くつもりはあるようだが、 そうよとも、違うわとも言わない。 その上、そばに寝ても、 耳元にささやいても、いやと言わない、 こうして、おれに 期待をいだかせ、心ではあざ笑っていた、 おれに何でも話させ、 実は、おれをだましていただけだ。 六七 おれをだましていた、いつもおれに信じさせようとした、 これは、あれだと、 小麦粉は、灰だと、 役人のかぶる帽子を、伊達男の帽子だと、 鉱滓(かなくそ)を、錫だと、 さいころのでた目は悪いのに、いい目だと、 ── 嘘つきは、いつだってひとを丸めこむ、 動物の膀胱で作った袋を、提燈だと言って売りつける──、 六八 大空は、青銅のフライパンだと、 雲を、しみのついた子牛の皮だと、 朝なのに、夕方だと、 キャベツの芯を、蕪だと、 まずいビールを、葡萄酒の新酒だと、 投石機を、風車だと、 絞首刑の縄を、糸の綛(かせ)だと、 太った神父を、すらりとした見習い士官だと。 (注)「フライパン」:柩に掛ける布や壁掛け(タピスリー)ともとることができる。 六九 このように、愛の神はおれをだまして、 掛け金のかかった女の家の扉の前をうろつかせた。 どんなに悪智恵があり、 純金のように鋭敏な男でも、 下着も服も、まるごと身ぐるみはがれてしまう、 おれのようにひどい目にあわされたらな、 いたるところで、反抗的で神をも否認する愛の男と よばれたこのおれにしてそうなのだ。 七〇 おれは愛の神など冒涜してやる、敢然と立ち向かってやる、 火に焼かれ、血を流しても、挑んでやる。 愛の神のせいで、死がおれを破滅においやるはめになりながら、 愛の神は鐚銭(びたせん)一枚ほどの気にもかけない。 だがやめた、歌よ踊りよの生活はやめたよ、 恋にうつつをぬかすやつらとはもうつき合わない、 たとえ、かつては彼らの隊列にならんでいたとは言え、 これからはそうじゃないとはっきり言うぞ。 七一 なにしろ、おれは恋の戦士の兜の羽飾りをはずして風にとばしたのだ、 まだ色恋に未練あるものは、その隊列にとどまるがいい、 このことについては、今後おれは口を閉ざす、 遺言を書くという計画が残っているからな。 ところで、誰かがおれに、なぜ愛の神を呪ってやると言っているのかと、 詰問し、探りをいれるようなことがあれば、 この格言で満足してもらおう、 「死んでゆくものは、すべてを語る権利がある。」 七二 臨終ののどの渇きが近づいてきたようだ、 おれは、綿のように白く、 球のように大きな痰をはく。 どんな意味だと? 若い女がおれを もう若者と考えないで、 老いぼれ、 絶えず不平を言う役立たずの老人だと見るってことだ、 声としゃべり方はもう老人と言っていい、 だが、おれはまだ青二才のおろかものにしか過ぎないのさ。 七三 神に感謝をしよう.... そして、おかまのタック・チボーにも、 やつは、おれを高い所ではなく、地下の土牢に閉じこめ、 冷たい水をいやというほど飲ませ、 苦い梨などの食べられっこないものをたんまり口におしこんだ、 鎖でつないだままな.... これを思い出すと、 やつのために祈りたくなる、まだ清算は残っているがな、 神よ、かれにお与え下さい、そうその通りです、 おれが心の中で考えていることとか、その他様々なことを。 (注)「タック・チボー」:冒頭のオルレアン司教チボー・ドオシニーをホモの寵臣として有名なタックとダブらせている。 七四 そうは言っても、おれは別に悪いことしようとを思ってるわけじゃない、 やつにも、やつの奉行にも、 また、愉快で楽しい 教会判事にも同様だ、 その他の手下どもには、何もするつもりはない、 おれを直接責めた小男のメートル・ロベールは別だがな、 やつらをひとまとめに愛するとしよう、 神学者ロベールが、三位一体で神を愛したようにね。 七五 確かに、よく覚えている、神のお慈悲で、 一四五六年、パリからアンジェへの旅立ちの時、 おれは『形見分け』の中で、形見をわけた、 何人かの人が、おれの同意をえぬまま、 これをおれの遺言だと言おうとした、 そう決めつけて、やつらには面白いかもしれぬが、本当の遺言ではない。 何だって! よく言われるよな、 自分のものでも、なかなかままならぬと。 七六 あの形見を取り消そうとして言ってるわけじゃない、 おれの所有地をつぎ込んでも、それは果たす。 あの警吏で遊び人のラ・バールの私生児に対する、 おれの憐憫の情は、冷え切ってはいない、 あの時の形見の藁三束とは別に、 おれの使い古した筵(むしろ)を、何枚かやろう、 女を押し倒して、 四つ這いの姿勢になるのに、うってつけのしろものだ。 七七 そういうわけで、もし、誰かおれの形見を受け取って いないようなことがあれば、 おれの死後、相続人に申し出るようにと、 おれはここで決めておく。 相続人って誰って言うのか? そう、モロー、プロヴァン、ロバン・チュルジー の三人に形見を要求しに行くことだ、 これを決めたおれからだと言ってな、やつらは、 おれの飲み食いのかたに、おれの寝ているベッドまで持っていきやがった。 七八 要するに、一言だけ言っておこう、 というのは、遺言を始めたいからだ。 居眠りをしていなければ、おれの話を聞いているはずの、 書生のフレマンを前にして、おれは厳粛に言いおく、 この遺言の条項の中では、 誰も呪うつもりはない、 そしてまた、公表してほしくない.... フランス王国以外ではな。 七九 心臓が弱っていくのがわかる、 それに、口を開くことももう出来そうにない。 フレマン、誰かが様子をうかがうといけないので、 おれのベッドのそばへ座れ。 急いで、インクとペンと紙を取って、 おれの言うことを、素早く書き取れ、 それから、みんなに知らせるのだ。 書き出しはこうだ。 八〇 永遠の父なる神の御名と、 聖母より生まれ、 父と聖霊と共に永遠にいます神であられる キリストの御名において、 この方は、アダムの罪のせいで地獄落ちしたものたちを救われ、 そのものたちで、天国を満たされました.... ところで、死んだものは聖人になるということを、 固く信じているものは、なかなか立派だよ。 八一 死んだものは、死んだのだ、肉体も魂も、 地獄落ちの滅びの中で、 肉体は腐り、魂は業火に焼かれる、 身分は問題ではない。 しかし、長老と予言者は、 ただ一つの例外だとおれは思う、 だって、おれの思うところでは、 彼らは、お尻に業火を受けたためしがないのだから。 (注)ヴィヨンは当時の神学者たちの、死後やがて救われる可能性のあるランブ(地獄と天国の(総合注)『形見分け』でも同じ様なことを書いたが、なにしろ時は15世紀、所もフランス。遺言の品を贈ると言う形で、当時の色々な階層の人びとを揶揄、風刺することになる『遺言書』は、その人物がどんな人であるかわからないとその面白みが充分伝わらない。注が必要になるわけである。ただ、注を見ながら読むと流れが中断される。ヴィヨンが通読されにくい理由がそこにある。そこで、「新訳にあたっては、若い世代にも読みやすいように、時には隠された意味を含めた大胆な意訳を採用することもある。」と書いたように、本文をなるべくそのまま読めるように、最小限というか、極小限の配慮をすることにし、注はなるべくつけないことにした。ただ、その最小限さえ翻訳にとりいれると不自然になる場合もあり、きわめて例外的に、該当の節のおわりに、一行に押さえた注(例外的に二行)をいれた。そのうちに、ヴィヨン詩の面白さに焦点ををあてた簡単な注を加えるつもりだが、当面はこの場所で最低限の補足をおこなうことに止める。
中間にある場所)の説を無視する。地獄か天国かしかない民衆的な直裁的な地獄観でもある。 八二 誰かがおれに「どうしてこんなに 大胆な発言が出来るのだ、 神学者でもないおまえが? 気狂いじみた傲慢さだ」と言うかもしれない、 だがおれは答える、金持ちが、 死後柔らかいベッドではなく、業火の中に投げ込まれ、 貧乏人のラザロが、その火を浴びることなく、天国に行った というイエスが言われたたとえ話があるのだぞ。 八三 もし金持ちが貧乏人のラザロの指が業火に燃えているのを見たとしたら、 その指で冷やしてもらおうなどとは思わなかっただろうし、 自分の口を冷やすためにその指に しがみつくことはなかっただろう。 胴着も下着も抵当にいれ、飲んでしまう飲み助たちは、 あの世で、悲しい顔をすることになる、 喉をいやそうとしても、飲み代はあの世では、とても高いんだから、 神よ、お守り下さい、地獄の悪魔にとりこまれないように! 八四 すでに言ったように、神の御名において、 また、光栄ある聖母マリアの御名において、 幻の怪獣キマイラよりもやせ果てたこのおれが、 この遺言を無事に終えられますように。 たった一日でも熱のために寝込むこともなかったのは、 神の寛大さのお陰です、 今までさんざん受けたその他の悲しみやにがい苦しみについては、 おれは言わないでおく、さて、始まりはこのように。 八五 まず第一に、わが貧しき魂を、 聖なる三位一体に贈ります、 そして、神を宿し給うた聖母マリアに その魂の救済を祈ります、 九つの位にいるあらゆる天使の お慈悲にすがりながら、 天使によって、この贈り物、貧しき魂が、神の尊い玉座まで、 運ばれますように。 八六 一つ、わが肉体を われらの偉大なる母、大地に贈ります、 蛆虫もあまりうまいものとは思うまい、 空腹のため、わが肉体は攻められ続けだからな。 とにかく、わが肉体は、すばやく地に委ねるべし、 地より来たのだ、地にもどるのだ! すべてのものは、おれが間違っていなければ、 その本来の場所に、戻って行くものだ。 八七 一つ、わが父以上の父、 養い親のギヨーム・ド・ヴィヨンに贈る、 その人は、おむつがとれた子どもの時から、 母以上に優しくしてくれた、 ──また、おれを何度も難局から救ってくれたが、 おれの評判良くない所行に楽しくもなかったはずだ、 そこで、膝をつき、お願いする、 おれの楽しみの結果は、おれに責任とらせてくれと。── 八八 この人に、おれはわが書架を贈る、 そして、わが若書きの書『悪魔の屁』の物語を、 それは仲間のメートル・ギィ・タバリーが 写しをとった、やつは正直なやつだ。 紙を綴じて、机の下に置いてある、 たとえ、雑な出来でも、 この物語は、なにしろ有名のなので、 どんな欠点でも、つぐなってくれるはずだ。 (注)『悪魔の屁』:ヴィヨンの学生時代、「悪魔の屁」という境界石を学生たちが勝手に運んで行き、
当局ともめたことがあった。ヴィヨンが実際に、これをテーマとして物語を書いたかどうかは不明。 八九 一つ、わが哀れな母へは、 聖母マリアに祈るためのバラードを贈ろう、 母は、神もご存じだが、このおれのために、 にがい苦しみと、あまたの悲しみを味わったのだ、 ──おれには、聖母マリア以外には城も砦もない、 この身に、残酷な災いが襲って来るとき、 この身と心を避難できる場所は他にない、 哀れな女、わが母も同じこと、── 聖母マリアに祈るためのバラード 天国の女王さま、地上の御主人さま、 地獄の沼をしろしめす女帝さま、 あなたの貧しい信者であるこのわたくしを、受け入れて下さいませ、 あなたの選ばれた人たちの中に入ることを許して下さいませ、 それだけの値打ちのない女ではありますが。 女王さま、御主人さま、あなたのお与えになる恩寵は、 わたくしの罪より、はるかに大きなものです、 あなたの恩寵がなければ、誰も天国に値しませんし、 入ることも出来ません、わたしは嘘はつきません、 この信仰に生き、死んで行きたいと思います。 あなたの息子さま、イエスさまにお伝え下さい、わたしはその方のしもべです、 その方によって、わたくしの罪が許されますように。 あの遊び女だったエジプト女、聖マリ・エジプシエンヌになされたように、 また、あの聖職者テオフィルになされたように、わたくしをお許し下さい、 このテオフィルは悪魔と契約を結んだのに、 聖母さまのお陰で、契約から解き放たれ、罪も許されました、 そのような罪を決して犯さないように、わたくしをお守り下さいませ、 処女のまま、聖体の秘蹟たる 御子を宿された聖母さま、 この信仰に生き、死んで行きたいと思います。 わたくしは貧しいいっかいの老女でございます、 何も知りません、字はまったく読めません。 わたくしの教区にある教会では、 竪琴とリュートのある天国と、 罪人が煮られている地獄の絵を見ることができます、 一つは、わたくしをぞっとさせます、一つは喜ばせ、歓喜さえ覚えさせます、 聖母さま、わたくしに喜びをお与え下さいませ、 罪人はあなたさまにおすがりせねばなりません、 信仰に満ち満ちて、たえず怠りなく、 この信仰に生き、死んで行きたいと思います。 威厳に満ちた聖母さま、女王さま、あなたさまは 永遠に世をしろしめすイエスさまを身ごもれました。 全能の神さまが、わたしたちと同じように、弱き死すべき人間の姿をなさり、 天国を去り、わたくし達を救いに地上に来られました、 そして、その輝くばかりの若さを、十字架の死にゆだねられました、 われらが主、イエスさまは、こういうお方です、その通りだとお認めいたします、 この信仰に生き、死んで行きたいと思います。 冒頭へ 九〇 一つ、わが愛人、いとしの薔薇には、 心臓も肝臓も遺さない、 他の物が、お好きなようだ、 たっぷり金を持っているのに.... 何にするかな? 大きな絹の財布かな、 深くて大きい、金貨銀貨のたっぷりはいったやつか、 だが、その女に金貨銀貨など恋の軍資金をやるやつは、 首くくられるがよい、たとえそれがおれであっても。 (注)「心臓」は愛する心、「肝臓」は地口で忠誠(フォア)も意味する。 九一 なにしろ、あの女は、おれがいなくても、金や恋人は充分もってるんだ、 いずれにしろ、そんなことおれには関係ないことだ、 一番大きな悲しみは、過ぎてしまった、 下腹部がじんと熱くなるようなこともなくなった。 あの女は、女たらしの達人と呼ばれていた 女とやりすぎて死んだというミショーの跡継ぎどもにおまかせだ、 ミショーの墓まで、一飛びして、お祈りしてこい、 やつはサンセールの丘のふもとのサン=サチュールに眠っているぞ。 九二 そうは言っても、あの女にというより、 愛の神に借りを返すために、 ──なぜなら、おれは希望の光の一かけらも もらうことが出来なかった、 あの女が、みんなにとってもままならない女だったのかどうかはおれは知らない、 これは、おれにとって大いなる苦しみだ、 だが、美しき聖母マリアに誓って、 この点については、何を笑って良いのか、笑う気にはなれないよ──、 九三 あの女には、不快な音であるR ですべての行が終わる このバラードを贈ろう。 誰に持って行ってもらおうか? 分かったぞ.... あの警吏で遊び人のラ・バールの私生児にしよう、 巡回や遊び廻る途中で、あの鼻のねじ曲がったお嬢さんに 出会ったら、 言ってくれ、余計なことは言わずに、 「汚らわしい売女、どこからお出ましだい?」 愛人に与えるバラード おれには余りにも高くつきすぎた偽りの美女よ、 実際は冷酷なのに、優しさを装っている、 噛むには鉄よりも固すぎる恋一筋のお前よ、 おれの破滅は確かなのだから、おまえをこう呼んでみよう、 不忠な魅力、哀れな心には死、 人を死に追いやる隠された傲慢、 憐れみ無き眼差しとな、それにしても厳正なる法の裁きは、 あわれな男を苦しめないで、救おうとしないのかい? 他の所に救いを求めに行けばばよかったかもしれない、 そうすれば、おれの名誉も汚されずにすんだかも。 だが、この色恋からわが身を引き離すことはできなっかたろうな、 恥は恥だが、この色恋から逃げ出さなくちゃあ。 助けてくれ、助けて、全部でも一部でもとにかく助けてくれ、 何だって? 反撃出来ずにおれは死ぬのか、 それとも、憐憫の情によって、このバラードが言おうとしているように、 あわれな男を苦しめないで、救おうとしないのかい? いつの日か、おまえの咲き誇る花も、枯れて、 黄ばみ、しおれることになる。 その時、もしおれに顎を動かす力が残っていれば、 大いに笑ってやろう、だがそんなことは狂気のさただ、あるはずはないわ、 おれも年をとり、おまえも醜く、色香も失せている。 だから、小川の水が流れている間に、たっぷり水を飲むことだ、 こんな苦しみをみんなに与えないことだよ、それにしても あわれな男を苦しめないで、救おうとしないのかい? 恋する男のなかで最も偉大なる、愛の殿よ、 あなたの不興をこうむりたくはありません、 われらの主の御名にかけて、高貴な心の持ち主なら、そうすべきではありませんか、 あわれな男を苦しめないで、救おうとしないのですか? (注)このバラードの折句にマルトと女性の名がある。かつてマルトにあてて書いた詩を『遺言書』に収録するに
当たって、改めて上記の「二重のバラード」で出たカトリーヌに与えるとも考えられる。 冒頭へ 九四 一つ、おかまの気のあるメートル・イティエ・メルシャンには、 おれの鋼鉄製の剣をかつて形見に贈ったが、 今度は、次の短詩(レー)を贈ろう、 ただし、曲をつけるという条件でだ、 これはリュートにあわせて、昔の恋人たちのために「死の深き淵より」の 調子で歌ってほしい、 その恋する女たちの名は、おれは言わない、 いつまでもおれを恨むだろうからな。 短詩(レー) 死神よ、おまえの残酷な厳しさを訴える、 おまえは、おれの女をうばってしまった、 それなのに、まだ満足していない、 おれを憔悴させたままにして。 それ以来、おれには力も活力も失せた、 生きていたとき、彼女がおまえにどんな悪いことをしたと言うのか、 死神よ、おまえの残酷な厳しさを訴える、 おまえは、おれの女をうばってしまった。 彼女とおれは体は二つ、心は一つだった、 その一つの心が死んだからには、おれも死ななきゃあ、 本当だ、おれは命もなく生きているだけ、 見せかけだけの影法師。 死神よ、おまえの残酷な厳しさを訴える、 おまえは、おれの女をうばってしまった、 それなのに、まだ満足していない、 おれを憔悴させたままにして。 冒頭へ 九五 一つ、おかまで寝取られ男のメートル・ジャン・コルニュには、 また他の形見を贈ろう、 おれの危急の時には、 あれこれ助けに来てくれたからな。 そいういうわけで、あのけちのメートル・ピエール・ボビニョンが おれに貸してくれた庭園を、彼に譲渡する、 ただ、その扉を作り直したり、 切妻を立て直す必要はあるけれど。 (注)「おれの危急の時には、あれこれ助けに来てくれた。」:反語。他にも反語多し。 九六 扉がないせいで、無断の侵入者を防ぐための武器でもある 砂岩の敷石と鍬の柄を取られてしまった。 その時は、暗かった、十羽とは言わない、八羽の鷹を使っても、 雲雀一羽捕まえられなかったろう、 住まいは安全だ、釘付けにしておけばな、 目印に悪魔を吊るす鉤をかけておいた、 それに誰がかかろうが、自慢するようなことはしないぞ.... 不吉な夜だ、地面を枕にしてくたばってしまうかもな。 九七 一つ、おいぼれのメートル・サン・タマンの若い妻は ──たとえ、その魂に罪があっても、 神よ、あの女を優しくお許し下さい!── おれを乞食のならず者扱いしたわけだが、 サン・タマン には、かつて形見として贈った動かない「白馬」(看板だったよ) のかわりに、元気な牝馬を、 そして、若い妻には種なしの「牝騾馬」(これも看板)の代わりに、 性悪で好色な驢馬を贈る、せいぜいはげむことだな。 九八 一つ、パリの選良、廷臣のドニ・エスラン殿には、 オーニスの葡萄酒を、樽十四個分 与える、 苦労して、チュルジーの酒場からとってきたしろものだ、 やつががぶがぶ飲み過ぎて、 正気も理性もなくするような時には、 その樽に水を入れてやれ、 酒は、多くの名家を滅ぼす。 九九 一つ、おれの弁護人、 メートル・ギヨーム・シャリュオーには、 何を与えたものかな? 身分にふさわしいようにマルシャンが手にした 剣にするかな、鞘についてはふれないでおく。 この剣のほかに、立派な金貨一枚を小銭にかえて、与えよう、 小銭のほうが、財布はふくらむはずだ、 その金貨、タンプルの大農園の 道路の敷石の上でひろった。 一〇〇 一つ、わが代訴人、フルニエには、 いろいろ苦労をかけているので、手当として、 財布の中から、硬貨を四つかみ分、与える、 ──おれの財布まで牛耳ろうとしても、ばかげたことだよ── 色々な訴訟に勝たせてくれたからな、 イエスさま、確かにそうですね、 訴訟そのものは、正当なもので、勝てるやつばっかりだった、 だが、正しい権利の請求にも、よい弁護が必要だ。 一〇一 一つ、酒飲みのメートル・ジャック・ラギエには、 グレーヴ広場の酒場の大きなお椀(看板だよ)を与える、 ただし、銅貨4枚で、おれの飲み代のつけを払ってくれたらだが、 金を払うには、不愉快だろうが、ふくらはぎと向こうずねに ある染みを隠すしろものを売らねばならんだろうし、 スリッパまがいのものを履き、脚をだしたまま歩かにゃならんだろうな、 それともう一つ条件、松毬亭という酒場で座ってでも、立ってでもいい、 おれに関係なく飲むってことならやるよ、飲兵衛との関わり合いはごめんだ。 一〇二 一つ、ラシャ商人のメールブッフと 御用金徴収役のニコラ・ド・ルーヴィエには、 牝牛とか牡牛は与えない、 名前にはブッフ(牛)などが入っているが、二人とも牛飼の類ではない、 鷹狩りの鷹を止まらせる籠手を与える、 ふざけているんじゃないぞ、 やまうずらや千鳥類を、確実に捕まえるには、 後家のマシュクーの店に行くことだ、ちゃんと売ってるよ。 一〇三 一つ、酒場松毬亭の主人、ロベール・チュルジーが、 おれの所まで来るなら、来るがいい、飲み代のつけを払ってやるぞ、 それにしても、おれの住まい見つけられたら、 占い師より優れているってことになるわけだ。 やつには、パリっ子としておれが持っている 市の助役に選ばれる権利を与える、 パリっ子のおれが、否定するのに便利なポワトゥーの方言交じりでしゃべるのは、 二人のご婦人が、その方言を教えてくれたからだ。 (注)この節の最後の行と、次の節はポワトゥーの方言交じりになっている。チュルジーには与えないということになる。 一〇四 二人のご婦人は、とても美しく、優雅な女性だ、 サン・ジュリアン・ヴォーヴァントの近くの、 サン・ジュヌルーに住んでいる、 ブルターニュとポワトゥーの二つの地方の境のあたりだ。 だが、二人が毎日をどこで過ごすか、どこの色町だとかは、 口が裂けても言えないな、それほどおれは馬鹿じゃない、 だって、わが恋は秘密にしておきたいものな。 (注)二人は、上述の元恋人カトリーヌ、マルトとも考えられる。「優雅な女性」:反語。他にも反語多し。 一〇五 一つ、警吏で、十二人組の一人、 ジャン・ラギエには、 命のある限りと決めておくが、毎日 チーズと卵のタルト、タルムズーズを与える、 そのタルムズーズは、バイイの食卓からとってきて、 やつの口に押し当て、つめこんでやるのだ、 バイイの家の近くのモービエの泉でやつの喉にたっぷり水を注いでやれ、 食べ物は、じゅうぶん食らったはずだ。 一〇六 一つ、阿呆劇の座頭の阿呆の王には、 ボンジュールの挨拶の言葉にそえて、 うまい道化役者のミショー・デュ・フールを与える、 警吏でもあるこのミショーは、気のきいたこともしゃべれるし、 「わがやさしの恋人よ」の歌も上手に歌える、 要するに、道化役者らしい格好をさせれば、 まさに本物の道化役者、そしてまた阿呆そのものだ、 それにだ、やつはいなくなったほうが面白い。 一〇七 一つ、二百二十人組の警吏には、 ──その役目は尊敬に値するし、 そのなかでも、ドニ・リシェとジャン・ヴァレットは 勇敢で、穏やかな人物なので── 二人ともめいめいに、飾り紐の長いのを一本与える、 フェルト帽を吊るすためで、首を吊るすためじゃない、安心しな、 警吏といっても、徒歩のお巡りのことを言っているのだ、そうだよな! 他の騎馬に乗ったお巡りなどには関係ないよ。 (注)「その役目は尊敬に値する」:反語。他にも反語多し。 一〇八 またもう一度、あの警吏のペルネ、 ラ・バールの私生児のことだ、 やつは立派で、きちんとした男の子だから、 やつの楯に紋章として、私生児の象徴の斜線のかわりに、 きちんとけずられ、巧妙に鉛を詰めこんだ骰子を三つと 立派なトランプを一組を書いてやろう、いかさましの紋章だ、 何だって、まだ足りない? やつがすかし屁やおならをするなら、 ついでに、四日熱もくれてやってくれ。 (注)「立派で、きちんとした男の子」:反語。他にも反語多し。 一〇九 一つ、警吏で樽屋のショレーが 斧を使ったり、樽板を削ったり、丸みををつけたり、切ったり、木を細工して、 たがをはめ、手桶や樽を作ったりすることをおれは望んではいない、 樽屋の道具を全部、 かの評判高いリヨン製の剣と替えに行け、警吏らしくな、 木槌だけは残しておけよ、役立つよ、 騒ぎや喧嘩が好きではないと言っているようだが、 少々、お好きなようだな。 一一〇 一つ、警吏のジャン・ル・ルーに与える、 廉潔の士で、商い上手遊び上手だ、 やつは、痩せて、ほっそりしているから、 また、同じく警吏のショレーはまともに捜査も出来ないので、 二人して、それをおぎなうため、優秀な猟犬を一匹あたえる、 この犬、道で出会う雌鶏は逃さずつかまえる。 たっぷり長い外套を着れば、人に見られないよう、 その犬が捕まえた雌鶏を、隠すことができるぞ。 一一一 森の金銀細工師というあだ名の警吏にして拷問官には、 茎も頭もきちんと揃った、サラセンから来た貴重な香料、 生姜・丁字百本、釘のように尖ったやつを与える、 だが、それを拷問の攻め道具にしてはだめだ、 お尻や魔羅を結びつけたり、 ハムとソーセージをくし刺しにする程度にしておけ、 鞭打ちをされると、乳首に乳がのぼってきて、 睾丸に血がさがってくるもんな。 (注)わかり難い節の一つ。拷問官の裸にしての拷問の一つが書かれている。 一一二 パリの国民護衛隊の隊長、毛皮商のジャン・リウーには、 その隊員の国民射手兵たちと同様やつにも、 狼の頭、六個を与える、 豚飼など豚肉を食う者には、まずくて食えない食べ物だ、 これは肉屋の番犬からとりあげ、 安ワインで煮詰めた、 こんな特上の食べ物を食べるためには、 誰だって、罪を犯してしまう。 一一三 この肉は、少々腹にもたれる、 鳥のにこ毛、羽根、コルクに比べればな、 この肉は、天幕に持ち込むか、 敵を包囲している時などには、大いに役立つ、 この狼、罠で捕まえられたものか、それとも 猟犬に追われて、傷をおったものでなければ、 毛皮としては完全だ、リウーの主治医のこのおれが命令する、 その毛皮で、やつの冬用のコートを作ってやれ。 一一四 一つ、女たらしのロビネ・トゥスカイユには、 やつは、王や女に奉仕する仕事には、それももっともだが、 鶉(カイユ)のように、よちよち歩きはしない、 太って肉付きの良い馬でゆく、 おれは、やつが借ることをためらっている 粗末な木の椀を食器棚からとりだして与える、 これで、所帯道具はそろったわけだ、 他に欠けたものはない。 (注)先ほどから、特にわかり難い節が続いている。「木の椀 」は女陰を示してもいる。 一一五 一つ、ブール・ラ・レーヌの床屋の親方、 ペロ・ジラールには、 金だらい二個と湯わかし用の壺一個を与える、 これらを使って稼いでいるのだからな。 六年前のことだ、 やつの家で おれを太った豚で一週間おれを養ってくれた、 証人として、プーラの女子大修道院長がいる。 (注)「六年前のことだ 」:ヴィヨンの1455年の逃亡の舞台としてしばしば引用される。
「プーラの 女子大修道院長」:悪徳に満ちた生き方をしたと古記録にある。 一一六 一つ、托鉢修道会の修道士たちと 神の娘やベギン会の修道女たちには、 オルレアンとパリの修道院両方に、 そしてまた、乱交を是とするチュリュルパンの異端者たちには、 ジャコピーヌというこってりしたスープと 固焼きフラン菓子を奉納する、そして、食べたら、 寝台のとばりのもとで、 瞑想の悶々を話し合うことを許す。 (注)『形見分け』32節と類似の節。托鉢修道士たちの美食と好色を揶揄している。 一一七 だが、奉納するのはおれじゃない、 子供たちの母になるはずのいわゆる女たちだと神さまだ、 女たちと神は、修道士たちに報いる、 かれらは女たちと神のために数多の辛い苦労をするからだ。 立派な神父も、生きねばならぬ、 パリの神父も同じ事、 かれらはわれらの親しい女どもを、喜ばしてくれる、 それも、その夫への慈悲心のゆえ、ベッドの労を省いてやるのだ。 (注)「数多の辛い苦労をする」:反語。いつも女と神をあざむいている。 一一八 修道士の素行については、説教師のメートル・ジャン・ドゥ・プーリューが 警鐘をならしたりしたが、法王の圧力によって、 公衆の面前で、不名誉にも 前言を取り消すことを余儀なくされた。 『薔薇物語』の著者、メートル・ジャン・ドゥ・マンも やつらのやり方をからっかた、 マティウもそうした、 だが、どうも、神の教会が崇めるものは 崇めなくちゃあならないようだ。 一一九 そういうわけで、かれらの僕(しもべ)たるおれは、 おれの言行一切において、 心から、修道士たちを崇めるよう、 またつべこべ言わずしたがうようにすることにする。 神につかえる方々をあしざまに言うには、馬鹿げたことだ、 なぜなら、一対一であろうが、お説教のなかであろうが、 また他の場所であろうが、わざわざ言うこともあるまい、 こういったやからは、かならず仇をとるからな。 一二〇 一つ、修道士ボード 、 やつは、カルメル修道会の館にすんでいて、 大胆で不敵な面構えをしているが、 やつには、まん丸い兜一つと、矛のついた槍を二つあたえる、 刑事代理官デチュスカとその部下の兵が 緑の鳥かごというやつのよく出入りするあいまい宿を襲わないように、 やつは老人だが、降参などとは言わぬ、 まさに、ヴォーヴェールの悪魔だ。 (注)「ヴォーヴェールの悪魔」:緑色の怪物。旧パリ市街の南の廃虚に住み、通行人をおそったりする。 一二一 一つ、公印担当官へは、 やつは蜜蜂の糞でできた封蝋を暇にまかせて、 咬んでいるが、勢力的な男ゆえ、 前もって、唾をはきかけて、その封蝋を固くしておいてやろう。 また、親指を平らにしてやろう、 一挙に全部押せるようにな、 おれは司教館の公印係のことを言ってのだ、 他の所の連中は、神が与えてくださるよ。 (注)「勢力的な男ゆえ」:反語。なまけもの。 一二二 会計法院の監査役の旦那さまがたには、 その建物が破損しているので、漆喰を塗って修理をしてやろう、 座り過ぎて、お尻がひりひりしている方々には、 椅子の真ん中に穴を開けてやろう、 だが、女の腐ったやつみたいな、オルレアンのマセは、 おれの腰紐の財布を盗んだわけだが、 たっぷり罰金を課していただきたい、 やつは、性悪な下司だ。 一二三 一つ、メートル・フランソワには、 教会裁判所の検事で、姓はドゥ・ラ・ヴァクリーという、騎士ならぬ騎牛だ、 やつには、親衛隊が持っているような鎖の首当てを与える、たっぷりとしたやつをな、 金銀細工の飾りはないけどな、とにかく首吊りの縄にはうってつけのしろものだ、 と言うのは、めった打ちされたとき、 やつは、神と騎士の守護神の聖ジョルジュを呪った、 ──この話を聞いた者はだれもが笑ったが── 気狂いのように、喉いっぱいで叫んだ。 (注)訳しにくい節。「ヴァクリー」:牛の群れ、牛小屋の意味がある。「鎖の首当 」:首吊りの縄でもある。 一二四 一つ、もう一人の教会裁判所の検事、メートル・ジャン・ローランには、 やつは、樽ごと、瓢箪ごと酒を飲んだ 両親の罪の報いで、 酒飲み独特の哀れな真っ赤な目をしている、 毎朝目を拭えるように、 おれが旅でつかう鞄の裏地をやろう、ざらざらしてはいるがな、 やつがブルジュの大司教なら、 絹の布をもっていることだろうが、なにしろ、高すぎる。 一二五 一つ、酒飲みのメートル・ジャン・コタールに、 教会裁判所のわが代訴人だが、 やつには小銭少々借りている、 ──遅ればせながらそのことに気がついた── 訴訟好きの女、ドニーズが、おれに呪いをかけられたなどと言って、 訴えてきた時の弁護料だ。 コタールの魂が天に受けいられように、 ここに、やつのため、次の追悼の詩を書き記す。 追悼のバラード 葡萄の木を植えられた尊父ノアさま、 また、洞窟で酒を飲んで、 人をたぶらかせる愛の神の仕業によって、 自分の娘の姉妹二人と寝たロトさま ──おとがめするために、そう言っているのではありません── 酒の道にくわしい、伝説的な名コック長アルシュドゥクランさま、 ご三方へ、天国へとお取り次ぎくださますようお願い申しあげます、 今は亡き善人メートル・ジャン・コタールの魂を。 この人は、かつて、あなた方の血筋から生まれてきたのです、 極上の一番高価な酒ばかり飲んでいました、 櫛ひとつ買う金さえあれば、酒手に使っていました。 確かに、誰にもまして、勇敢な飲み手でした、 その手から、酒壺を引き離すことは、誰も出来ませんでした、 ちゃんと飲むことにかけては、決して怠りない人でした、 高貴のご三方よ、天国にはいるの引き留めるなどだれにもさせないで下さい、 今は亡き善人メートル・ジャン・コタールの魂が。 わたしは、彼が酔っぱらって、よろめき、千鳥足で、 自分の家に帰るのを、しばしば見かけました、 また、いつかは酒を飲みすぎて、よく覚えていますよ、 頭に瘤をつくりました。 要するに、朝から晩まで飲み続けるこの大酒飲みに 勝るものを、この世では見つけることなど出来ません、 ご三方への彼の呼びかけの声が聞こえたら、受け入れてやって下さい、 今は亡き善人メートル・ジャン・コタールの魂を。 選者の君よ、この人は、唾まで飲んでしまい、唾を吐くことさえ出来ませんでした、 いつも叫んでいました、「助けてくれ、喉が焼けてしまうわ!」 そういうわけで、決して喉の渇きをいやすことが出来ませんでした、 今は亡き善人メートル・ジャン・コタールの魂は。 冒頭へ 一二六 一つ、両替商のマールに、息子のほうだが、今後、 おれの両替の店の管理をまかせたい、 こんな商売はうんざりだ、いやになった、 まかせるのは、同国人であろうが、外国人であろうが、 両替は次のようにするという条件でだ、 三エキュ金貨にたいしては、六ブルトン・タルジュ銀貨を、 二アンジュロ金貨に対しては、大型の一アンジュ硬貨をと、 というのも、恋をするものは、気前よくなくては。 (注)ヴィヨンは両替の店などもっていない。そして、より価値の少ない硬貨と
両替しろと言ってからかっている。 一二七 おれの今度の旅の間に、 おれの哀れな三人のみなし児が、 大きくなり、十四、五歳になったと聞いた、 羊のようには馬鹿ではないらしい、 ここから、サランに至るまで土地では これほど抜け目なく悪知恵にたけたこどもはいない。 気狂いを治すというマトラン修道会の名にかけて、 こんな若者だったら、馬鹿ではあるまい。 (注)『形見分け』26節にでてきた、老人で、金持ちの商人たちである。
「サラン」:塩の鉱山がある。彼らは塩も商っていた。 一二八 そういうわけで、やつらには学校に行ってもらいたい、 どこがいいかな? 金儲けにたけた神学のピエール・リシュ先生のところかな、 古典的なラテン語教科書のドナはやつらには少々手強いかな、ドナ(与える術)はな、 無理矢理に、勉強させるのもかんがえものだな、 その方がいいと思うが、やつらには、 アヴェ・サルス・チビ・デクス(救いたまえ、金貨もお尻も)の教えを学んでほしい、 それ以上の学問に深入りすることはない、 学問のあるやつが、かならずしも上に立つとは限らない。 (注)「ドナ」:ものを与える術ともとれる。がめつい彼らには難しいことだ。 一二九 これだけは覚えてほしい、あとはやめておけ! それ以上学問にのめりこむのは禁止する、 使徒信経(クレド)や使途信用貸(クレド)などを理解するのは、 こんな子どもには、難しすぎる。 おれの大きな外套を、二つに裂き、 その半分を売ってほしい、 フラン菓子を買うためにな、 というのも、若者は少々食いしんぼうだから。 (注)「グラン・クレド」:使徒信経 (大を省略して訳出)と長期信用貸とかけて、中世でよく使われた言葉遊び。 一三〇 どんなに叩いてもいいから、 行儀作法は、たたき込んでほしい、 頭巾を目深くかぶって、 財布を盗まれないよう、財布を結びつけた腰紐に指をきちんとあて、 みんなの前では、へりくだって、 言うのだ、「なんですって? ええ? そんなことはありません!」と、 そうすると、多分、人々は言うだろう、 「さすが、良家の坊ちゃんだ」。 一三一 一つ、おれの貧乏学僧二人だ、忘れてはいないよ、 以前、あまり効果的とは言えない聖職就任権を譲り状をそえて与えたが、 ──美少年だし、葦のように真っ直ぐな性格だ、 やつらを見て、本当にやる気になった── グードリ=ギヨームの家からの家賃を、滞納で知られてはいるが、 払われても、払われなくても、払われた分だけ与えることにする、 決められた日に、家賃が払われれば、 ちゃんと手にすることができるはずだ。 (注)『形見分け』27節にでた、老人で、裕福な、ノートル=ダム寺院の教会参事会員の二人である。
「家賃」:問題の家賃が滞納されていたことは当時有名。 一三二 二人が、幼くて、遊び好きでも、 そんなこと、おれは別に嫌いじゃないよ、 三十年、四十年もたつうちに、 別人になるかもしれない、神よ、そうして下さい! やつらの気に入るようにしないやつは、まちがっている、 やつらは、立派で愛想のいい子どもだ、 やつらをぶったり、打ったりするやつは、気が狂っているわけだ、 だって、子どももそのうち、大人になる。 一三三 二人には、病気の学僧を収容する十八人学僧寮の奨学金を もらって欲しいし、もらえるよう働きかけよう、 やつらは、三カ月間も、眠り続けるという おおやまねほどには、眠りこけはしない。 それに、そもそも、睡眠は悲しいものだ、 若いときには、睡眠は満足をあたえるが、 老年になって、休むべき年になったのに、 徹夜などをせざるえなくなるのも、若いときの惰眠だ。 一三四 そこで、おれはやつらのために、僧職を案配する人たちに、 それなりに有効な手紙を書こう、 そこで、二人とも、恩人のこのおれのため、神に祈るのだぞ、 いやなら、だれか、子どもにそうするように、二人の耳をひっぱってやってくれ! 人によっては、おれがこの二人にやけに肩入れしているのを見て、 もしやと、大いに驚くことだろう、 祭日やその前夜に捧げる信仰にかけて誓う、 おれは、やつらの母親を決して知っているわけではない。 一三五 一つ、金持ちのミショー・キュル・ドゥーと、 シャルロ・タランヌ殿へは、 百スーを与える──もし、「どこで手にいれたの?」と聞かれたら、 心配することはない、天から授けられた食べ物、マナのように天から降って来た── それに、靴底も、靴の上部も、 粗末かもしれないが羊のなめし革で出来た長靴を一足だ、 ただし、それも、ジャンヌにおれに引き合わせるようにするってことでだ、 ジャンヌのような尻軽女なら他の玉でもいいがな。 一三六 一つ、訴訟好きのグリニーの領主殿には かつて、廃虚となったヴィセートルの館と塔をのこしておいたが、 同じく廃虚となっているビリーの塔も与えよう、 もしも、戸口や窓が、 壊れたままでも、残っていたら、 それらを全部修繕をすることだ、 右や左の旦那様にお願いして、お金を工面するすることだ、 金はおれにもないし、やつにも勿論ない。 一三七 一つ、チボー・ド・ラ・ガルドには、 チボーじゃやない? 間違った、ジャンと言う名だった、金持ちの香料問屋だ、 おれの損にはならずに、何をやったものかな? ──この一年、色々損をしたっけ、 神よ、その損、取り戻して下さい、アーメン!── 小樽(酒場の看板だがね)かな? そうだ、それに決まりだ、 代訴人のジュヌヴォアの方が、先輩格で、 酒飲みにもっとふさわしい赤鼻を持ってはいるがな。 一三八 一つ、公証人で刑事部書記の バゼニエに与える、 賄賂でもらうことの多いメートル・ジャン・ド・リュエルの家から失敬してきた 丁子のつぼみの乾した香味料を籠一杯、 モータンにも、ローネルにも 与える、 パリ奉行の配下たる彼らには、この丁字の贈与とともに、 聖クリストフさま仕える夫婦仲むつまじき彼らの主君への、 絶えざる素早い忠誠の心をもだ。 一三九 この主君には、あらゆる美徳を備えた奥方を 讃えるためのバラードをおれが代作して贈る、 愛の神が、みんなにこれほどのご褒美を与えてくだされぬとしても、 おれはそんなことには全然驚かない、 というのは、シチリアの王、ルネが催した 騎馬試合に参加され、この奥方を勝ち取られたのだ、 その試合では、殿は勇ましく、言葉少なで、 かのヘクトルもトロイルも及ばぬほどであった。 (注)「主君」:パリ奉行、ロベール・デストゥートゥヴィル。『形見分け』21節に既出。
ヴィヨンをなにかと庇護したと思われる。ここには、反語はない。 ロベール・デストゥートゥヴィルのためのバラード 夜明けに、鷹は歓喜に燃え、 その高貴なる習いにより、巣を飛び立つため羽ばたくとき、 鶫も囀り、喜びに身を振るわし、 番いを受け入れ、身をちぢめて寄り添うとき、 貴女に捧げたい、そうしたい欲望がわたしの内にともるのだ、 恋人に甘きと思える愛の交わりを、 愛の神が、その書のなかで書いていることを、知るが良い、 そのためにこそ、わたしたちは二人で暮らしているのだ。 貴女こそ、間違いなく、わが心の奥方、 全身全霊をもって、死がわたしを燃え尽きらせる日まで、 また、わたしの権利のために戦う甘き月桂樹、 わが苦しみを取り除く高貴なオリーブ。 理性はわたしが貴女への愛の奉仕の習慣を失うことを望まない、 ──この望みにおいては、わたしは理性の願いと一致している── 理性はわたしが常にその習慣になれしたしむことを望むのだ、 そのためにこそ、わたしたちは二人で暮らしているのだ。 その上、しばしば怒りにかられる運命の女神のせいで、 悲しみがわたしを襲うとき、 貴女のやさしい眼差しは、運命の女神の悪意を追い払う、 風が煙を追い払うその様の通り。 貴女の畑にわたしが播く種は、無益なものではない、 その種から育つ子どもはわたしにそっくり、 神はわたしにお命じになる、その畑を耕し、肥料をあたえろと、 そのためにこそ、わたしたちは二人で暮らしているのだ。 わが女王たる奥方よ、繰り返しにはなりますが聞いてください、 わたしの心が、貴女の心から離れるようなことは 決してありません、貴女も同じだと思います、 そのためにこそ、わたしたちは二人で暮らしているのだ。 冒頭へ 一四〇 一つ、両替屋の息子、ジャン・ペルドリエルの殿には、 何もやらない、やつの弟のフランソワにも、 そうはいっても、やつらは、おれをいつも助けようとしてくれたし、 やつらの財産を分かち持つようにしてくれた、 しかも、おれの仲間のフランソワは、 半ばすすめるように、半ば拝むようにして、 ちくちくする、火傷しそうなほど熱くて真っ赤な舌、人を傷つける舌を、 ブルジュで、おれに強く食うようにすすめてくれた。 (注)「助けようと....仲間.....」:反語。問題の多い節。「真っ赤な舌 」は次のバラードの
「人を傷つける(中傷する)舌」をさし、ヴィヨンは言葉で落としいれられたと考えられる。 一四一 そこで、おれは名料理人のタイユヴァンの料理書で、 煮込みの章を、 あれこれ、表も裏も探しまくったが、 どこにも、真っ赤な舌の料理法は見つからない、 ところが、上手くない料理長とも、悪魔と戦ったともいわれるマケールが、嘘じゃない、 毛と共に、悪魔を料理して、 焼き上げて香ばしくするための、 次の料理法をおれに教えてくれたよ、余計な解説なしにね。 人を傷つける舌のバラード 鶏冠石の中で、砒素の粉末の中で、 硫黄や、硝石や、生石灰の中で、 もっとよく火が通るように、煮えたぎる鉛の中で、 ユダヤ女の糞と尿でこしらえた 灰汁に溶かれた煤と松脂の中で、 癩病患者の足を洗った水の中で、 足や古い長靴を洗った捨て水の中で、 まむしの血や有毒な薬品の中で、 狼や狐や穴熊の胆汁の中で、 揚げ物にしてやれ、人を傷つける舌は。 魔女のように黒く、歯茎には歯が一本もないほど年寄った、 水を恐れる猫の脳味噌の中で、 また、同じよう価値のある、 よだれと唾を垂らし恐水病にかかった老番犬の脳味噌の中で、 鋭いはさみで体中傷だらけになった 喘鳴症の牝騾馬の泡立った唾の中で、 鼠や蛙やがまやその他の危険な動物、 蛇や蜥蜴やそういた高貴な血筋の動物たちが、 その顔や鼻面を突っ込んで洗った水の中で、 揚げ物にしてやれ、人を傷つける舌は。 手で触れるのにも危ない昇汞水の中で、 生きた蛇の肛門の中で、 床屋の瀉血用の器の中で乾き腐るのが見られる、月が満ちれば 黒くなったり、葱より青くなったりする 血糊の中で、 潰瘍や腫瘍の中で、 また、乳母が赤ん坊のおしめを洗う 汚い桶の中で、 娼婦たちが局部を洗うビデの中で、 ──これが分からないやつは、淫売屋に行ったことがないやつだ── 揚げ物にしてやれ、人を傷つける舌は。 選者の君よ、こういった美味しい料理を、 もし、篩にする布や袋や、また篩そのものがなければ、 糞尿まみれのズボン下で漉してやれ、 だが、その前に、豚の糞の中で、 揚げ物にしてやれ、人を傷つける舌は。 冒頭へ 一四二 一つ、ルネ・ダンジュー王の廷臣、メートル・アンドリ・クーローには、 「フラン・ゴンチエへの反論」をバラードにして送る、 高き玉座にいます独裁の君主については、 おれは、何もとがめることはない、 『伝道の書』の賢者は、惨めな貧しいものが、 権力者に刃向かうことを望んではいない、 それも、強者が網を張りめぐらせて、 弱者がその罠にかからないようにとの配慮だ。 (注)「フラン・ゴンチエ」:十四世紀のフィリップ・ド・ヴィトリーの田園生活の賛美した詩の主人公。
その詩に反論することで、同じく牧歌的な愛の詩を作ったシチリア王、ルネに対する不満を述べているとも言える。 一四三 ゴンチエだけなら、おれは恐れはしない、 やつには家来もいないし、 おれより財産があるとは言えぬ、 だが、二人で論争をしようというのは、 やつが貧乏を、 冬でも夏でも貧乏たらしく生きることを自慢し、 おれが不幸だと思うものを賛美するからだ、 どっちが間違ってる? さあ、 論議をはじめよう。 フラン・ゴンチエへの反論のバラード ござ敷きつめた部屋の、良く燃えている火のそばの、 柔らかな羽根の寝床に座っているのは、脂ぎり、太った教会参事会員、 そばには、色白の、肌柔らかく、なめらかで、着飾った ダム・シドワーヌを寝かせて、 昼となく夜となく、強精酒のイポクラースを飲んでいる、 笑ったり、戯れてたり、甘えあったり、口づけしあったりしている、 肉体の楽しみにもっと溺れるために、裸と裸をこすりつけている、 そんな二人を、おれはほぞの穴から覗き見た。 その時、おれは分かった、苦しみを和らげるには、 気楽に生きることに勝る宝はない。 もしも、フラン・ゴンチエと妻エレーヌが、 こういう快楽の生活を味わっていたなら、 食えば臭い息がでる葱や玉葱を、ありふれた黒パンの焼いたものほどにも 後生大事には思わなかっただろう。 二人の好きな凝乳や田舎風煮込み料理は、田舎の恋人には精をつけるだろうが、 おれには何の値打もない、これは悪意で言ってるわけじゃない。 薔薇の木の下で寝る楽しみを自慢しても、 どちらがいいのかな? 椅子がそばにあるベッドで寝るのとは? どう答える? 答を探して時間を無駄にするつもりかい? 気楽に生きることに勝る宝はない。 二人は、大麦と燕麦で出来た粗末な黒パンを食い、 年がら年中、水を飲んでいる、 ここから地の果てのバビロンまでの鳥がみんな歌ってくれても、 おれだったら、こんな生活は耐えられない、 一日だって、朝の間だって。 フラン・ゴンチエめ、エレーヌと、美しい薔薇の木の下で、 せいぜいはしゃぎまわることだな、 二人にはそれが良いなら、おれがわざわざ心配することもない、 野良の仕事にどれほどの値打ちがあるか知らないが、 気楽に生きることに勝る宝はない。 論争の裁定者殿、裁定を下してください、われらをすぐに和解させるためにも! わたくしについては、誰にも耳ざわりでもないなら、 子どもの時から、聞いていたことを言っておきます、 気楽に生きることに勝る宝はない。 冒頭へ 一四四 一つ、境界石「悪魔の屁」の所有者、説教好きのブリュイエールの奥方には、 聖書や神学に通じているので、 この奥方とその女弟子に、 福音書を人前で説教する権利を与える、 それも、おしゃべりで 身持ちの悪い女を罪から救うためだ、 だが、それは説教の中心地、イノサンの墓地ではなく、 尻軽の女工たちがいるその側の糸市場のほうが良い。 パリ女のバラード フローレンスの女やヴェネチアの女は、 見事なおしゃべり女と見られている、 恋の道をちゃんとさばいてくれるし、 やり手稼業の古株と言われているわけだが、 またたとえ、ロンバルジアの女、ローマの女、 ジェノヴァの女、ピエモンテの女、サヴォアの女であろうとも、 責任もって答よう、 パリ女に勝るおしゃべりはいない。 ナポリ女は、大学でおしゃべり講座を 担当していると言われている、 また、ドイツの女もプロシアの女も、 雌鶏のようにぺちゃくちゃしゃべりまくる。 ギリシアの女、エジプトの女、 ハンガリーの女、また、他の国の女、 スペインの女だろうが、カタロニアの女だろうが、 パリ女に勝るおしゃべりはいない。 ブルターニュの女やスイスの女は、口が重くて、まだまだ駄目だ、 ガスコーニュの女もトゥールーズの女も同じ事、 パリのノートルダムに近い橋、プチ・ポンで鰊を商っている女が二人もいれば、 こんな女たちは簡単に黙らせることはできる、ロレーヌの女でも、 イギリスの女でも、カレーの女でも、 ──これで場所は充分挙げたかな?── ヴァランシエンヌの町のピカルディ女でも、 パリ女に勝るおしゃべりはいない。 選者の君よ、パリのご婦人たちに、 おしゃべり大賞をやってください、 イタリア女をとやかく言うものもいるにはいるが、 パリ女に勝るおしゃべりはいない。 冒頭へ 一四五 見てごらん、二人、三人と 修道院の礼拝堂の中で、教会の中で、 長い服の裾を広げその上にすわっているパリ女を、 近寄るんだ、動かないで、 そこでは、碩学マクローブさえしたことのないような 立派な意見や批判を聞くことだできるだろう、 良く聞くんだ、何かをそこからこっそりと学び取れ、 それらはみな、立派な教訓なのだ。 一四六 一つ、モンマルトルの山の女子大修道院には、 実に由緒正しきゆえ、 おれは、ヴァレリアンと言われるの丘の隠者の住処を与え、 この二つを寄り添わせることにする、 また、さらに、おれがローマに巡礼に行ってもらってきた 三カ月有効の免罪符をも与える、 そういうわけで、多くの善男のキリスト教徒が、 男子禁制のこの修道院にやってくるだろう。 (注)この女子大修道院にはいかがわしい風評がたっていた。ヴィヨンは行ったことのないローマまで
出して茶化している。ヴァレリアン :パリの西の丘。何の価値もないという意味もある。 一四七 一つ、立派なお屋敷の 男や女の召使たちは──何もおれの損にはならないものな!── 真夜中に、タルト、固焼きフラン菓子やチーズの焼き菓子を作って、 大いに饗宴をやってよろしい、 ──旦那さまや奥様が寝ている間のことだ、 七、八リットル近く飲もうが、召使たちは腹を痛めなくてすむ──、 それから、あまり音をたてずに、 愛の驢馬乗り遊びをするすることだな。 一四八 一つ、両親や叔母さんのいる 清廉でまともな娘たちには、 残念ながら、何も与えるものがない、 なにもかもお女中たちにやってしまったものな。 そうは言っても、彼女たちはわずかのことで満足するだろう、 ジャコバンの修道院で無駄に捨てられる 多くの食い気と色気を誘うご馳走をもらえれば、この哀れな愛なき娘たちには、 確かに、たいしたご馳走になるだろうよ。 (注)「ご馳走」:食糧の一部、割当て。また、性的な楽しみの割当て、分け前とも。 一四九 ジャコバンと同様に、セレスタンやシャルトルーの修道院でも、 厳格な禁欲生活を送っているにはいるが、 そうは言っても、哀れな娘たちには無いものを、 たっぷりもっている、 ジャックリヌとペレットがその証人だ、 それに、イザボーも言っている、「確かにそうよ」と、 いずれにしろ、哀れな娘たちはそういったものに触れる機会もないので、 地獄墜ちをまぬがれることは出来よう。 (注)「ジャックリヌ、ペレット、イザボー」:修道僧と関わりのある遊び女をこれらの名で代表させている。 一五〇 一つ、でっぷりマルゴには、 優しい顔と姿をやることにする、 ──そう、確かに、イギリス風に言えば、バイ・アワー・ロード、バイ・ゴッド (われらの主に、神にかけて)、 実に忠実な女だ、 おれはおれなりに特別に愛している、 また、彼女の方も同じ事、優しくて愛想のよい女だ──、 たまたま出会うようなことがあれば、 次のバラードを読み聞かせて欲しい。 (注)「でっぷりマルゴ」:グロッス・マルゴ、太り肉(じし)のマルゴ。酒場などの看板に使われている女の名前と思われる。
だが、現実の女性であってもよい。ヴィヨンは次のバラードでその女のひもを演ずることになる。 でっぷりマルゴのバラード おれが、この別嬪を愛し、喜んで仕えているのに、 このおれを、下司だの阿呆だのと言う気かい? マルゴは、男が求める良いものをたっぷり持っているんだ、 こいつへの愛のためなら、騎士よろしく楯だって剣だってとるさ。 お客が来れば、おれはずらかり、酒瓶つかんで、 音も立てずに、酒を飲むばかり、 おれは、客に水だのチーズだのパンだの果物だの、あれこれ出してやる、 払いがよい客だと、おれは言ってやる、「結構なことですね、 またやりたくなったら、来て下さいよ、 おれたちが豪勢に暮らしてるこの女郎屋に。」 だが、マルゴが金も稼がずに寝にくるような時には、 その時は、大喧嘩、 まともにあいつを見ておれぬ、死んでしまえと憎む始末。 服も帯も外衣も、身ぐるみ引きはがし、 これはおれの取り分のかただと言い張る。 敵は腰に両手をあて、まさに悪魔そのもの、 そんなことさせないぞと、イエスの死にかけて 叫び、言い放つ。おれは、木片をつかんで、 鼻の上に傷跡をつけてやる、 おれたちが豪勢に暮らしてるこの女郎屋で。 それから仲直りだ、あいつおれに大きな屁をかます、 毒をもった糞虫の屁よりも臭いやつを。 笑いながら、拳でおれの頭を小突く、 ねえねえお前さんよなどと言って、おれの股ぐらを軽くたたく、 二人とも酔っぱらって、独楽のようにぐっすり眠る、 そして、眼が覚めて、やっこさん下腹部がむずむずすると、 お腹の子を傷めないように、おれの上に馬乗りになってのぞんでくる、 あいつの下でおれは呻き声をあげ、あいつのせいでおれは板よりも平らになる、 マルゴの色好みにおれは疲れ果てるだけ、 おれたちが豪勢に暮らしてるこの女郎屋で。 風よ吹け、霰も降れ、地も凍れ、いずれにしろ、おれは食べ物には不自由していない、 おれは好色だ、好色女がおれにつきまとう、 どっちが上等かって? 同じようなものさ、 値打ちはおなじこと、性悪猫には、性悪鼠。 二人とも汚辱好みで、汚辱の方もおれたちについてくる、 体面など御免と逃げ回れば、体面の方で逃げて行く、 おれたちが豪勢に暮らしてるこの女郎屋では。 冒頭へ 一五一 一つ、娼婦のマリオン・リドールと、 その仲間ののっぽのジャンヌ・ド・ブルターニュには、 おれは、誰でも開かれた学校の経営を許す、 そこでは、生徒の年齢の若い女性が、先生ぜんとした殿方を教え導くのだ。 だが、こういった女たちを売る市場がないのは おれがかつて入っていたやけに厳しいマンの牢獄だけだよ、 そういうわけで、おれは言う、「看板はいらないよ、 この商売は、どこにでもあるのだ!」 一五二 一つ、ノエル・ジョリには、 おれは何も与えない、 おれの庭から折ってきた鞭にもってこいの柳の枝の 一握り以外はな、──これ以上やつには関わりたくない、 懲罰こそは良い施しだ、 そんなものをもらっても誰も怒ったりはしないだろう── 死刑執行人のアンリから鞭打ち二百二十回 もらえるようにしてやろう。 (注)「ノエル・ジョリ」:前述の「二重のバラード」に「ノエル・ジョリが証人としてそこにいた/
ジョリは、鞭打ちの刑を存分受けて当然だ」と出てくる。 一五三 一つ、慈善病院や、多くの貧しい施療院には 何をあげてよいかわからない、 ここは冗談を言っている場合でも場所でもない、 貧乏人は充分苦しんできたからな。 貧しい人たちには、みんながそれぞれ食べ残した物をあげることにしよう、 托鉢修道会の修道僧たちには、鵞鳥などのご馳走を与えていた、 そういうわけで、そういった施設には、せめて骨なりあげてくれ、 小者には、小銭ってわけだ。 (注)要するに、ヴィヨンは貧乏人につれない態度を示す。そういう時代であったのだ。 一五四 一つ、おれの床屋、 名はコラン・ガレルヌといって 薬草屋のアンジュロのすぐそばに住んでいるが、やつには 大きな氷の塊を与えよう──どこから持ってきたって? マルヌ河からだ──、 この冬を楽々過ごせるようにね。 お腹に当てておくことだな、 そうやって冬中養生したら、 次の夏には、暑いことだろうよ、死んでしまって地獄の炎にってことだからな。 一五五 一つ、孤児院に収容された捨て子には何も与えない、 捨て子で見放され堕落するより仕方ないやつらは、慰めてやる必要がある、 マリオン・リドールの娼婦学校で、当然のように 見つかることだろう。 おれの学校で教えることををやつらにも教えてやろう、 そんなに長くはないぞ、すぐ済むよ、 かたくな頭も阿呆な頭ももってはならないぞ、 ちゃんと聞くことだ、これがおまえたちには最後の教えだからな。 [堕落児への善き教え] 一五六 「愛しの少年たちよ、おまえたちの頭を飾る花の冠の 最も美しい薔薇の花をなくしてしまうぞ、 手当たり次第鳥もちのように何でもつかみとってしまうわが生徒たちよ、 モンピポーや、リュエーユにいくような時には、 体の皮をはがされないように気をつけろ、 なぜなら、これら二つの場所へ楽しみに行って、 万一失敗しても、賭金を取り戻せると思って、 わが友コラン・ド・カイユーは、命の花を失った。 (注)「モンピポー、リュエーユ 」:地名を表すと共に、それぞれ、ぺてん、強奪を表す掛け言葉になっている。
「コラン・ド・カイユー 」:ヴィヨンの悪友。1460年に処刑される。 一五七 「だが、この勝負、はした金を賭けるようなしろものではない、 体と命を賭けての、またおそらく、魂の救いを賭けての勝負なのだ。 もし負ければ、後悔は何の役にもたたぬ、 結局、恥辱と汚辱の中で死ぬことになるのだ、 また、もし勝ったとしても、 カルタゴの美貌の女王、ディドーを女房にできるわけでもない、 こんなわずかばかりのはした金のために、そんな大きな賭けに身をさらすやつは 大馬鹿だ、恥さらしだ。 一五八 「みんなおれの言うことをもっと聞け、 荷馬車一台分の葡萄酒も、 冬は暖炉で、夏は木陰で と飲んでゆけば、全部なくなってしまうと言われているが、それは本当だ、 お金があっても、確かなものとは言えない、 お前たちはすぐにすばやく使ってしまう、 金が誰の手に行ってしまうのかわかっているのかい? 悪銭は決して身につかないものだ。 善き教えのバラード 「というのも、おまえたちが、偽の法王勅書や免罪符売り、 ぺてん師、さいころのいかさま師であるとしよう、 贋金造りだったらなおさらのこと、火あぶりの刑にされることになるのだ、 信仰も掟をも裏切るやつらが、 釜ゆでの刑にされるようにな、 おまえたちが泥棒なら、せいぜい盗み、奪うがいい、 だが、そうして得た金はどこに行くかな、考えて見たことがあるかな? すべては、酒場と女のところへ。 「旅芸人なら、ざれ歌や風刺の歌を作るがいい、シンバルを鳴らし、笛を吹くがいい、 偽善や厚かましさ一杯の道化役者のようにな、 冗談言ってだますがいい、手品を使え、口車にのせろ、 町や都市に行って、 笑劇や阿呆劇や道徳劇をやるがいい、 さいころやトランプや九柱戯で稼ぐがいい、 いずれにしろ金はどこに行くかな、よく聞くんだ、 すべては、酒場と女のところへ。 こんなおぞまし稼業からは遠ざかることだ、 もし、文字などを知らないというなら、 畑を耕すことだ、野原や牧場の草を刈れ、 馬や牝騾馬の世話をし、毛を梳くことだ、 それでよければ、けっこう稼ぐことができるだろうよ、 だが、麻をほぐして糸をとりだしても、 そんな辛い仕事で稼いだ金も結局行ってしまうことにならないか、 すべては、酒場と女のところへ? 股引も、飾りひもの付いた胴着も、 上着も、着る物全部を 古くなったり汚れる前に、持っていくのだ、 すべてを、酒場と女のところへ。 冒頭へ 一五九 「おれが話しかけているのは、おまえたち放蕩のやからなのだ、 快楽は体には結構だが、魂には有害だ、 絞首台でたちの悪い日焼をするってことにならないように気をつけろ、 死んだら、真っ黒になってしまうぞ、 そんなことはするな、死の咬み傷は辛いものだ、 出来る限り、そんな事から身をひくことだ、 そして、神にかけて、覚えておくことだ、 おまえたちが死ぬ日がいつかはくると。」 一六〇 一つ、キャンズ・ヴァン(二十の十五倍)の盲人施療院には、 ──三百人盲人院と言っても同じだが── パリのだよ、プロヴァンのではない、 そこでおれは恩義を受けたと感じているからだ、 ケースはないが、わが大眼鏡をもらってもらおう ──このこと、おれは心から同意している──、 イノサンの墓地で、 正しい人と、不正なやからの髑髏を選り分けてもらうために。 (注)盲人に髑髏を選り分けてもらうという逆説。「死の舞踏」のテーマがここでも展開される。 一六一 ここ墓場は、笑いや冗談をいう場所じゃない、 なんの役に立ったと言うのだ、生前には財産があっても、 豪華で大きなベッドでいちゃついても、 葡萄酒を流し込んで、太鼓腹をさらに大きくしても、 歓楽や饗宴や舞踏に熱中しても、 いつだってそんなことをやろうとしていても? そんな快楽はすべて終わる、 そして、残るのは罪の汚れだけ。 一六二 納骨堂のうず高く積み重ねられた これらの頭蓋骨をじっと見ていると、 どれもが国王付訴願審理院のお偉方だった、 少なくとも会計法院の旦那がただった、 また、どれもが人足だったようにも思える、 どの一つ一つも変わりないとも言える、 というのも、司教でも提燈持ちでも、 頭蓋骨では区別ができない。 一六三 生きている時には、これらの頭蓋骨のあるものは、 ほかの頭蓋骨の前でお辞儀をしていた、 その頭蓋骨のあるものは他の頭蓋骨を 支配し、恐れられ、仕えられていた、 おれはすべてがその終わりをむかえ、 みんな一緒に一塊となって、ごちゃごちゃになっているのが見える、 領主の肩書も権力も奪われてしまっている、 だれも主人だの書生だのと名乗ることはもうできない。 一六四 いまでは、みんな死んでいる、神よその魂を受け入れ給え! 肉体ついて言えば、みんな腐ってしまっている、 たとえ、生前は領主だったり、奥方だったりして、 クリームや上質の小麦の粥や米だとかで 自分の体を優しく愛情をこめて養っていても、 その骨は崩れ落ち、灰になるのだ、 灰になったものには、快楽も笑いもなんにもならない、 優しいイエスさま、どうぞ彼らの罪をお許しください。 一六五 死者たちのために、こうして罪の許しを乞う祈りを書いた、 また、最高法廷や高等法廷や法廷を取り仕切る方々にも 同じくこの功徳をひろげることとする、 なにしろ、その方々は不正な強欲を憎んでおられ、 公益のために 骨身をけずっておられるのだ、 やつらはいつか死ぬがその時、峻厳なる神よ、情容赦のない聖ドミニックよ、 やつらの罪をお許しください。 (注)堕落した司法官たちへの反語となっている。「聖ドミニック」は異端裁判をこととする
ドミニック派をも示し、情容赦のない存在でもある。司法官たちは許しからは遠い。 一六六 一つ、ラシャ商人のジャック・カルドンには何も与えない、 やつにふさわしものを持ち合わせていないからだ、 ──やつを見捨てたわけではないぞ── ただ、次のちょっとした牧歌は別だ、やることにするよ、 その歌をマリオン・ラ・ポータルドのために書かれた 有名な「マリオネット」か、 流行っている「ギュメット、お前の扉を開けてくれ」の曲にあわせて歌えば、 芥子を買いに行くときの鼻歌ぐらいにはなるだろう。 シャンソン ほとんど命をあきらめねばと思っていた あの辛い牢獄から、帰ってきたときに、 もし、運命の女神がおれを憎み続けるとすれば、 女神は間違っていると思ってくれ。 おれには思えるよ、当然のことながら、 女神はそれで充分満足すべきだと、 ほとんど命をあきらめねばと思っていた あの辛い牢獄から、帰ってきたときに。 もし、運命の女神が理不尽に満ちた心で、 ほんとにおれに死んでほしいと言うのなら、 神よ、おれの魂をさらってください、 天国に入れてください。 ほとんど命をあきらめねばと思っていた あの辛い牢獄から、帰ってきたときに、 もし、運命の女神がおれを憎み続けるとすれば、 女神は間違っていると思ってくれ。 冒頭へ 一六七 一つ、ノートルダムの僧侶で娼婦を追い払う役目のメートル・ロメールには、 おれは、妖精の子孫ゆえ、 女に愛される力を与えよう──だが、帽子だの頭巾だのをかぶっいても いなくても女なら誰でも好きになって 興奮することはないようにな!── 金を一銭も払わずに、 一晩に百回もやらせてやろう、 あの性豪の騎士オジエ・ル・ダノワをものともしないで。 一六八 一つ、おれは憔悴した恋人たちには、 先輩詩人のメートル・アラン・シャルティエの遺贈の短詩に加えて、 その枕辺に、涙と苦悩で 一杯の聖水盤を置いてやる、 いつも緑に満ちた 野薔薇の一枝を 潅水器としてそえることにして、 彼らには哀れなヴィヨンの魂のために、 詩篇の歌の一つでも歌ってもらいたいものだ。 一六九 一つ、蒸風呂屋も持っているメートル・ジャック・ジャムには、 やつは身を粉にして蓄財しているわけだが、 やつには欲しいだけの女と婚約する権利を与える、 だが、結婚することは、だめだめ! 誰のための蓄財なのかな? 身内のためさ、 自分の食べ物はけちるが、ひとのものはつまみ放題ってわけ、 雌豚のものは、問題なく仲間の豚どものものだと おれは思うがね、女からのピンハネ少々度が過ぎるぞ。 (注)「身を粉に」:反語。「仲間の豚ども」:女のひもなども考えられる。 一七〇 一つ、鼻ぺしゃの重臣中の重臣殿には、 昔、おれの借金を払ってくれたことがあるので、 お返しに、元帥 (マレシャル) にしてやろう、 といっても、鵞鳥や小鴨の足に蹄鉄をつける蹄鉄工(マレシャル)だよ、 やつの無聊をしばしなぐさめるために、 こんな冗談めいた詩を送るってわけさ、 だが、そうしたいなら、その紙を焚付け用に燃やしてもいいよ、 上手な歌だってそのうち飽きてくるものだ。 (注)「重臣中の重臣殿」:諸説あり。特定できない以上訳語も暫定的なものとならざるを得ない。 一七一 一つ、夜警隊の隊長には、 二人の美男の小姓を与える、 フィルベールとでぶのマルケだ、二人とも少々がたがきているがな、 やつらはその生涯の大部分を、 憲兵総司令官に仕え、 そのために少々智恵もついている、 残念至極だが、やつら、役を解かれたら、 裸足で帰る他ないな。 一七二 一つ、警吏で、十二人組の一人シャプランには、 その名にあったように聖職者の特典.(シャペル)を与える、 これには、空念仏を唱える義務を負わせることとする、 だが、長々と唱える必要はない。 おれの主任司祭の職を譲ってもいいが、 やつは信者の魂の世話は嫌だという、 信徒の告解を聞くことなどはどうでもいいと言う、 小間使や奥方殿の告解以外はな。 一七三 公証人で遺言審査官のジャック・ド・カレーには、なにしろ立派な男だ、 おれはうまれて以来三十年間会っていないし、 おれの名前さえ知らないお方だが、 おれがこの遺言を書いた意図を充分お見通しなので、 要するに、この遺言のすべてにわたって、 もし異議申し立てやその他不都合なことがおこれば、 カレーにはどんな小さな部分でも取り除き自由に処置する 権限を与えることとする。 一七四 カレーには同じく次の権限をあたえる、 遺言を注釈し、注解し、 用語を定義し、疑問の箇所を説明し、 短くしたり、長くしたり、 また、たとえ字を書けなくても、自分の手で削除したり、無効にしたりして、 内容を言い換えたりし、意味付けする権限などだ、 それがよかろうか悪かろうが、好きなままにしろ、 これらすべてを、おれは同意する。 一七五 もし、おれの知らないうちに、 誰かが死んで永遠の生に向かったとしたら、 遺言の中に書かれたことが 完全に行われるよう、 また遺増品がきちんと渡るように カレーに望むし、彼にその権限を与える、 カレーが欲にかられてその品物を猫ばばすることがあれば、 やつの魂にその責任を負わせる。 一七六 一つ、わが墓所は他の場所ではなく、 二階にあるサント・アヴォア教会にするよう決めておく、 みんがおれの姿をきちんと見ることが出来るように、 腐っていく生身ではなく、 おれの肖像をインクで絵に描いてもらいたい、 あまり出費が嵩まぬようであればな、 墓碑はどうするのかって、いらないよ、気にしない、 床に負担がかかり過ぎるからだ。 (注)サント・アヴォア教会は、オーギュスタン修道院の二階にあり、墓を作ることは不可能であった。 一七七 一つ、墓穴の周囲に、 余計な飾りはいらない、ただ、次のように 大きな文字で書いてもらいたい、 ──これを書くものがなければ、 すぐ消える木炭か黒石かを使ってもよい、 床の漆喰を傷めないようにな、 そうすれば、少なくともおれについては 気の良い陽気なやつだったという記憶が残るだろうよ──。 [墓碑銘] 一七八 愛の神の矢に射抜かれ、 名前をフランソワ・ヴィヨンという 貧しいしがない一学生ここに眠る、 この地上高き部屋で。 その男、土地といえばひとかけらも持っていなかった、 持ち物は全部やってしまった、みんな知っていることだ、 机、脚台、パンも籠もだ。 お願いだから、彼のために次の死者を悼むロンドーを唱えて下さい。 死者を悼むロンドー 永遠の休息をこの男にお与え下さい、 主よ、そして尽きせぬ光明を、 この男、皿や椀の、そしてまた パセリ1本ほどの価値も持っていなかった。 この男、頭もひげも眉毛も剃られたのだ、 かぶの表面をごしごし洗い皮をむくように。 永遠の休息をこの男にお与え下さい、 主よ、そして尽きせぬ光明を、 厳しい司法はこの男を追放し、 シャベルでお尻を叩くお仕置きだ、 「上告する」と言ったのだが、 このせりふ、難しい言葉ではないはずだが。 永遠の休息をこの男にお与え下さい、 主よ、そして尽きせぬ光明を、 この男、皿や椀の、そしてまた パセリ1本ほどの価値も持っていなかった。 冒頭へ 一七九 一つ、埋葬の時にはガラスで出来たもろくて 大きな鐘を力一杯鳴らしてもらいたいものだ、 大きな鐘が鳴るときには、 誰でも心揺れ動くものだが。 鐘は昔、この美しい国を 何度も救った、これは誰でも知っていることだ、 傭兵などであろうが雷であろうが、 鐘が鳴れば、災いはすべて止む。 一八〇 鐘つき男には、丸パン四個、 少ないというなら、六個やろう、 ──どんな金持ちだって、それほどはくれないぞ── だが、それは石のパンだ、昔それを投げて聖エチエンヌを殺したやつがいる、 塩商人のヴォランは苦労によく耐えている男だ、 やつには鐘つき男の一人になってもらおう、おれの計算では、 その稼ぎで、一週間は食っていけるだろう、 もう一人はって? 結局、香料屋のジャン・ド・ラ・ガルドだな。 一八一 これら葬儀をとりおこない、また遺言の実行に留意するためにも、 わが執行人として、 相手とするには気持ちが良く 債権者たちを充分満足させる方々を指定する。 彼らは自慢たっぷりな人ではなく、 その上、有り難いことに、金持ちでもある、 この仕事を、彼らに取り仕切っていただこう。 書生のフレマンよ、書いてくれ、六人の名前をあげるぞ。 (注)自慢たっぷりな人ではなく:反語 一八二 まず、パリ市長付刑事担当代官の メートル・マルタン・ベルフェだ。 次は誰にしょうかな? それは考えてある、 金持ちの評定官コロンベル殿てわけだ、 気に入って、また結構なことだと思っていただけるなら、 この役回りを引き受けていただこう。 その次だって? 裕福な元トロワの代官のミシェル・ジュヴネルだ、 この三人で充分だ、すべてを彼らに委任する。 一八三 だが、三人とも葬式など当面の物いりに恐れをなして、 辞退するような場合、 また、最初から完全に拒絶するような時には、 次にに名前をあげる人たちを指定することとする、 いずれも廉潔の士だ、 まず高潔な見習い騎士で訴訟がお好きなフェリップ・ブリュネル、グリニーの殿だ、 次は、その隣人で、気質も隣人と言っていいひとだ、 おれの言っているのは、酒飲みの料理長メートル・ジャック・ラギエなんだが。 (注)反語はさらに続く。 一八四 もう一人は、蒸風呂屋も持っているあのメートル・ジャック・ジャムだ、 三人とも立派で名誉を重んじる連中だ、 自分の魂を救おうと熱心で、 われらの主イエスを畏れ敬っているといった次第。 やつらは遺言実現にあたってのさまざまなことを、 身銭を切ってでも完遂してくれるだろう、 監査役などは付けることもあるまい、 いずれにしろ、好きなようにやることだ。 一八五 いわゆる遺言判定官には、 この件では何も実入りがないだろうし、そもそもこの件をご存じないだろうが、 元学友の若き司祭 トマ・トリコという御仁になっていただこう。 おれはやつの奢りで心ゆくまで飲みたいのだ、 たとえ自分の帽子飾りの紐で首くくられるようなことになってもな、 もしやつが玉玉遊びをご存じなら、 おれから、ペレットの穴という玉遊び場をやってもいいよ。 (注)玉玉遊び:トリポ(ジュー・ド・ポーム)。テニスに似た競技。卑猥な意味もある。 一八六 葬式の灯明については、 大葡萄酒商人のギヨーム・デュ・リュにまかせよう。 経帷子の四隅を持つ役は、 遺言執行人の面々にやっていただこう。 髭、頭髪、陰茎、眉毛と これまで感じた事がないほど痛くなってきたぞ、 我慢出来ない痛みだ、というわけで 皆々さんにお許しとお慈悲を乞う時が来たわけだ。 (注)灯明:灯明には油をつかう。葡萄酒は精神を照らすのに必要な油とも冗談に言われていた。 お許しとお慈悲を乞うバラード シャルトルーやセレスタンの修道士たちや 托鉢修道会の修道士たちに、神の娘の修道女たちに、 のらくら者たちに、靴を鳴らして女の気を引こうとしている遊び人たちに、 女の言うままになっているやつらや、ジャケツやチュニックを身にぴったりと 着込んだ町のはすっぱ女たちに、 鹿毛色のブーツを我慢して痛いとも言わずに履いている 恋に死なんばかりのうぬぼれ男たちに、いずれにしろ おれは、皆々様にお許しとお慈悲を大声で乞おう。 もっとお客を集めようと 乳首をさらけ出している娘っこたちに、 喧嘩っ早くて盗み癖のある兄ちゃんたちに、 猿をお供にした大道芸人たちに、 道化芝居や、阿呆劇の男女の役者、そして本当の阿呆たちに、 やつらは、豚の膀胱で作った袋と道化棒をもって、 口笛ふいて煙りにまきながら、六人連れで町をゆくのだが、いずれにしろ おれは、皆々様にお許しとお慈悲を大声で乞おう。 いずれにしろ、夜となく昼となくいつも、 おれにマンの牢獄で固いパンの皮をかじらせ 咀嚼させたあの番犬同然の裏切り者の悪党は別だ、 やつらを今では馬の糞とも何とも思ってはいない、 やつらに屁とげっぷでもかましてやりたいところだ。 だが、それが出来ない、横になっていて立つこともできない、 要するに、余計ないざこざを避けるためにも、 おれは、皆々様にお許しとお慈悲を大声で乞おう。 土手っ腹に穴が十五個あくくらい どやしつけてやってもらいたいものだ、 大きくて丈夫で頑丈な木槌か、 鉛玉か重いボールでもついた鞭でな、いずれにしろ おれは、皆々様にお許しとお慈悲を大声で乞おう。 冒頭へ 結びのバラード 貧しきヴィヨンの遺言は ここに閉じられ、終わることになる、 鐘が鳴るのが聞こえたら、 ヴィヨンの葬式だ、来てくれよ、 聖殉教者の祭日に坊主どもが着る真紅の衣装で身をくるんでさ、 だってさ、やつは恋の殉教者として死んだんだから、 やつはきん玉にかけてそう誓ったよ、 この世からおさらばしようとしたその時に。 この点については、やつには嘘はないと思う、 なにしろ、愛する女から憎々しげに まるで煤まみれの小僧っ子のように追い払われたんだから、 やつはさまよったんだ、ここから南仏のルシヨンまで いたるところに、薮でも草むらでも、 やつの言ったその通りだよ、 やつのシャツの切れ端がおちているんだ、 この世からおさらばしようとしたその時に。 こんな具合だったのさ、 死んだ時には、やつに残ったものといえばぼろ着一枚、 その上、末期のその末期にも、 愛の神の矢に残酷にも刺され続けていたのだ、 負い皮の止め金が身に食い込むより鋭い痛みを感じていたのだ ──これはおれたちにとってもおどろきだ── この世からおさらばしようとしたその時に。 鷹のように鋭く明敏な選者の君よ、 やつがおさらばしようとしたその時に、何をしたかわかって下さい、 黒葡萄酒を一気に飲んだのです、 この世からおさらばしようとしたその時に。 冒頭へ
『形見分け』でもふれたが、ヴィヨンの詩句は、風刺に満ちており、かならずといっていいぐらい隠された意味がある。直接表現された意味とは反対の意味にとった方がいい場合が多い。つまり、表面的な褒め言葉の裏には、それらをけなすヴィヨンがいるのである。反語(法)は至る所にあり、「危急の時に助けてくれた」は「おれを見捨てた」であり、「優雅な女性」は「はすっぱ女」であり、「その役目は尊敬に値する」は、「ろくなことをしていない」ということになる。
ヴィヨンを専門にしているものにとっても難解で分かり難い箇所はけっこう多い。学者によって解釈がわかれたりする。細部はわかり難くて当たり前と、細部にあまりこだわらず、ヴィヨンの心を大きく読んで欲しい。たとえ知識が多くても、ヴィヨンの心を本当にわかったと言えるわけでもない。もちろん最低限の知識はあったほうがいいので、上で書いたように、「そのうちに、ヴィヨン詩の面白さに焦点ををあてた簡単な注を加えるつもり 」である。
(1996.10.19 (C) 佐々木敏光)
1996.10.06 翻訳開始
1996.12.19 翻訳終了・初稿
以後、翻訳の中でこなれていないところ、誤字、勘違いの訂正を中心に、改訳してゆきます。また、最低限の注もすこし増やします。
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