佐々木敏光「気になる俳句(その1)(「俳句雑感時々少々」改題)」
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2011.2.3. 久しぶりの更新である。更新はきわめて少なくなるかも知れない。色々思うところがあるのである。 最近、なんとなく自分に言い聞かせている文をあげておく。空海の言である。 詩情を保つには、大胆な発想をもって、人目をきにせず、びくびくしないこと。 (空海『文鏡秘府論』。翻訳は『空海人生の言葉』川辺秀美編訳より) すでに、2011年である。それに新年もすでに一月以上たってしまった。 更新について言うと今後特別な場合を除きしない予定である。何かがたまったとき、不定期にそれを吐 きだすことぐらいはするだろうが、それ以上は考えていない。 とにかく俳句をつくる。実作に集中する。余計な饒舌はやめる。と同時に、「現代俳句抄」について も俳句の追加はよほどの例外的な場合を除き行わない。 今でもあれこれ句集などを読み直すことは多いが、新しい句集を読むことはすくない。俳句をつくる ことに集中したい。勿論、句集など読まないというわけではない。芭蕉、蕪村、虚子、兜太、等等、ま た塚本邦雄などを含め俳句に関わる本(たとえば『百句燦燦』など)などの本などは常に読み直してい る。俳句雑誌も適宜には読む。ただし、ホームページの「現代俳句抄」の充実を目的にするといったこ とを目標にすることはやめる。 何事も勉強し過ぎは、何かを鈍磨させる。重すぎる知識、過重な記憶はなにかを鈍磨させる。もっと も「現代俳句抄」に少し追加したぐらいで、過重な知識云々というのも大げさかもしれないが、原点 にかえることだ。日常の中で、見ること、感じること、想像力を膨らませることに集中する。創作力の 再生のためにも、余計な知識を「忘却」する力も忘れないこと。知識偏重を転化させること。要するに 創作の原点にたちかえることだ。 といいながら、冗言を書いておく。 『俳句年鑑2010年版』、読みすすめている。この本だけで新しい流れを知ろうとするのは安易と いえば少々安易だが、現代俳句の風景の一部(あくまで一部でしかない)は読みとれる。 巻頭の「2010年100句選(正木ゆう子選)」を読んで、次の二句を特におもしろいと感じた。 わが猪(しし)の猛進をして野に躓く 金子兜太 冬の蠅見れば絶叫してゐたる 小川軽舟 元気な老人、金子兜太。最近ぼくの関心の中心になっている金子兜太の句をついつい選んでしまう。 ついでに、他の句集から若干追加する。 石柱さびし女の首にこおろぎ住み (『蜿蜿』) 雪の中で鯉があばれる寒そうだ (『皆之』) 最後に、幅広く俳句を見ていきたいと思っている人に推薦していいと思える本を、ここでは三冊だけ あげておく。 一冊目は、宇多・黒田編『現代俳句の鑑賞事典』。俳人一五九人の各自三〇句の秀句を集めている。 俳句の多彩さを知るためにもすすめたい。 二冊目は、最近、再読した正木ゆう子『現代秀句 日本秀句』。ぼくの「現代俳句抄」と重なってい る句も多いが、文章も読みやすく、視野をひろげるためにもっと読まれていい本だ。 三冊目は、ひらのこぼ著『俳句名人になりきり 100の発想法』。書店で見たときはうさんくさ いタイトルだと思った。色んな俳人がとりあげているのはわかったが、「名人の発想を借りる法」とい う帯のうさんくさい文句がさまたげる。書店を出て、二、三百メートル行ったところで、もしかしたら と思ってひきかえす。あらためてパラパラめくってみる。俳人の選択が、ぼくの好みにあっている。「名 人の発想を借りる法」という文句に関しての好き嫌いとは別に、俳句の多様性を知るのにはそれなりに 便利である。ついつい買ってしまった。そして推薦までしている。 他にないわけではない。きりがないので、坂口 昌弘『ライバル俳句史』だけでやめておく。 すでにのべたように、これからは「現代俳句抄」を含め更新は、いわゆる「間歇的」になることを書 いておわることにする。2010.11.23. 久しぶりの更新だ。 俳句実作に時間と力をそそいでいる(つもりだ)。推敲の難しさをあらためて感じている。 表現力をひろげる為にも、万葉集、漢詩なども読んでいる。漢詩は絶句など簡潔なものがいい。 また、外山滋比古『俳句の詩学』の再読など、俳句の視野を拡げるための読書もこころがけている。 芭蕉(俳論なども含め)、蕪村と何度目かの読み直し、なかなか進まないが、常に気にかかる存在だ。 このころ特に気になる俳人は、金子兜太と三橋敏雄だ。二人とも「俳句自由」の課題に刺激的な俳人 だ。 「俳句自由」、有季定型を基本とし、あふれだすものを見ていきたい。 金子兜太と三橋敏雄、今更無理に引用の句を増やすことはないだろうが、わが「現代俳句抄」に 若干追加しておく。 抱けば熟れいて夭夭(ようよう)の桃肩に昴(すばる)(『詩經國風』) 若狭乙女美(は)し美(は)しと鳴く冬の鳥 春落日しかし日暮を急がない (『両神』) 老い皺を撫づれば浪かわれは海 (『鷓鴣』) 当日集合全国戦没者之生霊 (『しだらでん』) 「現代詩手帖」6月号に、「鷹」編集長の高柳克弘が「ゼロ年代の俳句100選」を書いている。 ゼロ、○○年から一〇年までの100選であるようだ。 最近この欄でもとりあげた藤田湘子の句 死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ もとりあげている。 櫂未知子、正木ゆう子など、ぼくが「現代俳句抄」でとりあげた句も適当に混じっている。 ただ、この10年間がこれだけかと思うと、豊饒な俳句史を考えるとさびしい感じもする。当面の面 白さはともかくとして、活力が・・・・ などと言っても、「お前にそんなことをいう資格あるのか」 と言われると、黙るより仕方がない。ただし「どこにそんな資格のあるものがいるのか」とあらためて 問うと、誰もいない寂しさがあらためて漂ってくる。いずれにしろ10年区切りでの評価は問題にすべ きではないだろう。すべて「途上」のことでしかないことになるであろう。時代は常に変化する。2010.9.18. 岩波文庫『芥川竜之介俳句集』がでた。加藤郁乎編である。郁乎流が匂う。飄々とした句がとりあげ られている好編集句集である。推敲中といった句も混入しているが、それはそれなりに推敲の参考にな るかもしれない。 例によって、「現代俳句抄」のための追加句を探す。 水さつと抜手ついついついーつい この頃や戯作三昧花曇り 君琴弾け我は落花に肘枕 行く春や踊り疲れし蜘蛛男 花薊おのれは我鬼に似たるよぞ 三日月や二匹連れたる河太郎2010.9.8. 過去の『角川俳句年鑑』十数年分持っていたのだが、『俳句』誌とともに書斎のスペースの関係で処 分した。最近あらためて図書館で借り、ゆっくり読みなおしている。読み落としていた句をぼちぼち拾っ て行こう。新しい句集に飛びつく年齢でもない。 それとは、関係なく藤田湘子の次の句を落としていたことに気づく。辞世の句といってよい。 無季である。季語について考えることの多いこのごろ、湘子先生御立派といいたい。 湘子主宰の『鷹』は、ぼくが入ったころは、無季許容派で、四ッ谷龍など活躍していた。副主宰といっ ていい飯島晴子にも無季の句があったりした。 季語にとらわれず、いいたいことをいって、去っていったのである。 湘子の師の秋桜子も、辞世の句といえるものに、切れ字が二つあると話題になったが、たまには、規 範をはずれるのもいいだろう。秋桜子も弟子にはうるさっかたかもしれないが、少なくとも、勝手にさ せてよと死んでいったのも人間的である。秋桜子の句、再録してみる。 死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ(『てんてん』) 藤田湘子 紫陽花や水辺の夕餉早きかな (辞世) 水原秋桜子2010.9.3. 8月中旬、森澄雄死去。合掌。 そのうち俳句雑誌等では、特集号もくまれるであろう。とりあえず、最晩年の句を追加する。 伝統的なものに新しさを加えるという句風ではあったが、年齢とともいろいろな意味でさらに「平凡 すれすれの、平凡ならざるやさしい」句風となっている。 『花間』 水仙のしづけさをいまおのれとす 『天日』 われもまたむかしもののふ西行忌 こころにもゆふべはありぬ藤の花 『虚心』 古人みな詠ひつくせり秋の風 美しき落葉とならん願ひあり 『深泉』 大いなるわれも浮雲春の雲2010.8.18. 中村草田男を読み直す。追加句を云々するより、読み直せたこと自体が、貴重だった。 三振かホームランという、ホームランバッターのようだ。 ただ、後期は実りが少ないように思える。理由は色々あるだろうが、その一つには俳句指導者として絶 対視されすぎて、柔軟性がなくなってしまったせいかもしれないとも思う。 一ト跳びにいとどは闇へ皈りけり (『長子』) 貌見えてきて行違ふ秋の暮 月光の壁に汽車くる光かな 隙間風狂言自殺の看護(みとり)なる 春陰の国旗の中を妻帰る (『火の島』) 才能では消せぬもの罪梅大輪 (『銀河依然』) 長女次女に瞳(め)澄む夫(つま)来よ破魔矢二本 (『時機』)2010.8.7. 久しぶりに鬼貫(おにつら)。岩波文庫『鬼貫句選・独ごと』が出たのがきっかけである。 あらためて初心にもどって、いろいろな俳人を読み直していこう。伝統とつながる所、あたらしく工夫 した所などを見ていこう。今回の追加句は、次の通り。「古典俳句抄」のページに掲載する。 上島鬼貫 桃の木に雀吐出す鬼瓦 春風や三保の松原清見寺 涼風や虚空にみちて松の声 むかしから穴もあかずよ秋の空 おとなしき時雨をきくや高野山 水鳥のおもたく見えて浮きにけり2010.8.2. 『諳(そら)んじたい俳句88』片山由美子(監修 鷹羽狩行)を読む。 88句のうち、9割を超す句はすでに、「現代俳句抄」に収録している。 採用してない句は、好みの問題でしかない。俳句は基本的には優劣はないのだ。 『鷹』では、創刊主宰藤田湘子と飯島晴子の二人の句がのっている。 湘子は、こんな場合よく取り上げられる定番の句、若い時の代表作、 愛されずして沖遠く泳ぐなり である。『鷹』にはいって、湘子がきらわれることがあることを知った。ぼくが『鷹』にはいったこと を知ったその人は、上田五千石に関わりがあったが、どういうわけか突然、この句をあげて、湘子をけ なしはじめた。センチメンタルな甘たるい句で、たいしたことはにないとか、『鷹』にはいったぼくま でをけなすようなことまでをしゃべった。彼はそれで満足したのだろうか。ところで、今回の88句に は、五千石はないが、ぼくは好きな句が多い。いい句が多い。けなす気にはならない。 『鷹』副主宰格であった飯島晴子は、特異な俳人だ。俳句への重い思いをいだきつつ最晩年自裁した。 『鷹』の中でも、残るのは湘子ではなく晴子だと言う人もいた。そうかなと思わないわけではないが、 評価は難しい。青春の句として、湘子の句が残り続けることもありうる。今回の晴子の句は、 寒晴れやあはれ舞妓の背の高き 他にも刺激的ないい句が多いが、この句がえらばれても悪くない。これを機会に湘子、晴子と「現代俳 句抄」をのぞいて欲しい。 『諳(そら)んじたい俳句88』から一句だけ追加したい。上村占魚の句である。 大初日海はなれんとしてゆらぐ2010.7.29. 『俳句界 7月号』 「特集 この俳句さっぱりわからん?!」について、書こうと思ったがやめた。 「さっぱりわからん」句について、あれこれよけいな事を言うのは、時間の無駄に思える。 折に触れて、 山口誓子を読んでいる。すでに書いたが、「俳句自由」のための発想の訓練をかねて色々 な俳人の句を読み直している作業の一つである。 新たな追加句は、無いでは無いが、どうしょうかなと思っている内に、やめておこうかと思ってしま う。ただ、「富士百句」を作り続ける関係上、発想が重ならないようにするためにも、あえて誓子の富 士の句を追加しておこう。自分なりの句を作るためにも。 山口誓子 草の絮優遊富士の大斜面 (『不動』) 雪の富士 高し地上の ものならず 初富士の 鳥居ともなる 夫婦岩2010.7.13. 『俳句界 6月号』 「特集 現代俳句のエロス」特集の中で、櫂未知子が、「女性が選ぶ エロス二十句」を選んでいる。なお、63ページには、櫂未知子の句が一句だけ、蜂と花の写 真とともにのっている。ルイス・ブニュエルの映画「昼顔」(主演:カトリーヌ・ドヌーブ) をおもわせないわけではない。 わたくしは昼顔こんなにもひらく はずかしいぐらい昼からエロス全開の句である。思い切りがよい。ちなみに、美しき主婦の売 春をあつかっているその映画のタイトル「昼顔」は、昼顔の俗称 Belle-de-jourを使ってい る。昼の美人、真昼の美女とも訳せる。2010.6.23. 「たかが俳句、されど俳句」 あらためてこの言葉が気になっている。俳句が安易な芸術として悪し様にいわれることがある。 「たかが俳句」確かにそういった面もないわけではない。俳句第二芸術論などもそうだ。ただ、 俳句をつくるものは「されど俳句」の「されど」の面を自分なりに、考えていかねばならない。 所詮俳句に縁無き人の暴言に屈してはならない。自分なりの「されど」を実感して、進むことだ。 「されど」は確実にあるのだ。何気ない日常の中に何かを発見する喜び。また、芭蕉、蕪村、以下 各時代の俳人たち、その豊かな歴史を卑下することはない。一見おさなく見えようと、毎日自分の 歴史をつくっているのである。結果がかんばしくないことは多々ある。人生、かんばしいことはそ う簡単におこることではない。「されど俳句」である。2010.6.22. 正木ゆう子を追加する。取りこぼしは当然有る。選句は最終的には選者の好みにつきる。 螢狩うしろの闇に寄りかかり (『悠 HARUKA』) わが行けばうしろ閉じゆく薄原 (『水晶体』) 水の地球すこしはなれて春の月 (『静かな水』) 春の月水の音してあがりけり ひかりより明るく春の泉かな (『静かな水』以降)2010.6.9. 図書館でかりた『巨人たちの俳句』(磯辺勝著)にとりあげられていたことを機会に、久しぶりに永 井荷風の句を追加する。荷風的独断孤独老人生活もきついけど老人生活の一つであるなと思っているこ のごろである。 短夜や大川端の人殺し 積み上げし書物くづれて百足かな 雨霽(は)れて起きでる犬や春の月 降りながら消えゆく雪や藪の中2010.6.6. 久しぶりに藤田湘子の句を追加。先生として接した唯一の俳人だ。「鷹」巻頭をもらった。同人にも してもらった。同人推薦にあたって現代俳句協会か俳人協会のどちらかの会員に推薦するとのことだっ たが、俳句の協会が分裂して一部の人はお互いに侮蔑しあっている状態が不自然に思えて会員への推薦 は受けなかった。その後、思うところがあり「鷹」をやめてしまった。それからしばらくして先生は亡 くなった。思い出は尽きない、今は感謝あるのみである。 黄沙いまかの楼蘭を発つらんか (『黒』) 滅びても光年を燃ゆ春の星 (『てんてん』) 枯山へわが大声の行つたきり2010.6.5. 新鮮な句を追加したいものだと思いながらも目下なかなかみつからない。ゆっくりとやってゆこう。 とりあえず、久しぶりに久保田万太郎の追加句を。 花菖蒲ただしく水にうつりけり (『流寓抄』) なまじよき日当たりえたる寒さかな (『流寓抄以後』)2010.6.4. 忘れていたというか、最近あまり意識しなくなっていた句 草いろいろおのおの花の手柄かな 芭蕉の句である。「笈日記」に留別の句としてでてくる。 芭蕉というと、 夏草や兵どもが夢の跡 の句を真っ先に思いだす。そのすごさはことあるごとに痛烈に意識する。 それにくらべると、「草いろいろ」はなんとなく説教じみていないわけではない。 よく見れば薺花さく垣根かな にもそんな雰囲気があり、悪い句ではないが、禅の悟りと関係づけてかたられることがある。 先日、NHKでひろさちやさんの華厳経に関する講義があり、華厳経の特徴として二つをあげ、それに は、「一即多 多即一」と「雑華厳浄」があり、そもそも華厳とは「雑華厳浄(ざっけごんじょう)」 の略である。 さまざまの花で厳かに飾るということである。花の多様性を認め、あらゆるものに仏が宿 ると考えるところが華厳経の宇宙観であるようで、その例として、「草いろいろおのおの花の手柄かな」 をあげていた。日本人には、昔から八百万の神ということにもあるように自然の中にも神々を見ていこ うとする。そういわれれば、「草いろいろおのおの花の手柄かな」も悪くないなと思う。個々人が世界 をつくっていく、その個々人の大切さ。スマップの『世界に一つだけの花』の歌詞を思い起こさせる。 そうはいっても俳句としては「夏草や兵どもが夢の跡」などの大きさがなければ芭蕉ではないとも思 う。 「一即多 多即一」は、禅に、そして個人名でいうと鈴木大拙、西田幾多郎に興味を持つぼくとして は、さらに追及していくテーマであるが、そのことはまた別の所で、語るとしよう。2010.6.2. 久しぶりに攝津幸彦。表現の冒険を学ぶべきであり、ゆめゆめ偶像崇拝化してはならない。 そして中原道夫。いつまでもおもしろくあることの困難さ。台風の句、てっきり掲載していたと思い こんでいたことを知る。 攝津幸彦 蝉時雨もはや戦前かも知れぬ (『四五一句』) 生き急ぐ馬のどのゆめも馬 (『鳥屋』) 中原道夫 台風の目つついておりぬ予報官 (『顱頂』) 雪暮れや憎くてうたふ子守唄 (『不意』)2010.5.27. 高野ムツオ。今まで読んでいたはずだが、不思議と句には縁がなかった。取り上げる句は、 女体より出でて真葛原に立つ (『雲雀の血』) 洪水の光に生れぬ蠅の王 (『蟲の王』) うしろより来て秋風に乗れと云う 海鳴は体内にあり十二月 (『蟲の王』以降)2010.5.26. 今日は、波多野爽波、川崎展宏を読み直す。『現代俳句の鑑賞事典』の秀句選を中心に読む。 「現代俳句抄」への追加句は各一句であった。 まず、波多野爽波 吾を容れてはばたくごとし春の山 (『湯呑』) 次に、川崎展宏 秋しぐれ上着を銀に濡らしける (『義仲』)2010.5.24. 『現代俳句の鑑賞事典』(東京堂出版、2010.5. 刊)を読む。 収録俳人は、編者の恣意的なものになりがちだ。どうしても避けられない。そういった面も皆無とは いえないが、全体的には妥当といえるものになっている。眞鍋呉夫も入っている。 ぼくがかっていた「鷹」は出入りがいろいろあったが、ぼくが直接話したことがない人をふくめ、今 回は主宰藤田湘子、飯島晴子他五名、合計七人収録されている。みんなすでにぼくの「現代俳句抄」に 収録している。なお、この『現代俳句の鑑賞事典』の収録俳人は、総数一五八名である。 とりあえず、数人について。 秀句選として三十句それぞれあげてある。 金子兜太の秀句選をみてみる。九割をこす句が、ぼくの「現代俳句抄」にすでにある。 ただし、次の句は、面白いが、追加句にはいれない。金子は今回追加なしということになる。 長寿の母うんこのようにわれを産みぬ (『日常』) 真鍋呉夫もあらためて、今回は追加句なしとしたい。 たしかに自然への畏敬の念と艶っぽさが結びついて生まれた貴重な句が多いが、俳句世界の多様さを 構成する要素としては大切だが、極端すぎる評価は、俳句とは何かを見つめようとするものには、横道 にそれる躓きの石ともなりかねない。 角川春樹は、入獄事件以降、扱いが難しい存在になっているのか、もう少しとりあげられてもいいよ うに思う。俳句の王道を突破しようとする気力がある。ただし、復活して俳句界をぎゅうじようとする 意志がすこしでも見られれば、その力があるだけに問題もないわけではない。 追加句にこの事典の秀句選を活用させてもらう。 声なくて月夜を渡る鳥のかず (『月の船』) そこにあるすすきが遠し檻の中 (『檻』) 存在と時間とジンと晩夏光 (『存在と時間』) 年ゆくや天につながる命の緒 (『いのちの緒』) 亀鳴くやのつぴきならぬ一行詩 (『JAPAN』) 人間の生くる限りは流される (『角川家の戦後』) 花あればこの世に詩歌立ちあがる (『朝日あたる家』) 銀河にも飢餓海峡のありにけり (『飢餓海峡』) 短詩形の俳句である。客観的な評価基準はあってないようなものだ。善し悪しというより好き嫌いが 選句の基準になってしまうのはしかたがないことだ。その中に選者の個性がでることになる。選者がた めされることになる。 いずれにしろ、ゆっくり読んでいこう。2010.5.19. 「富士百句」少しずつ進めている。富士の側に住んでいることを言祝ぎながらと大袈裟に言っておく。 山口誓子の句追加。それなりに追加しようとすると、それなりに多くはなる。おさえるようにして 選択追加した。 蟷螂の斧をねぶりぬ生れてすぐ (『黄旗』) 断崖を跳ねしいとど(偏・虫+つくり・車)の後知らぬ(『七曜』) 菊提げて行きいつまでも遠ざかる (『遠星』) 大根を刻む刃物の音つづく 妙齢の息しづかにて春の昼 昼寝の中しばしば釘を打ち込まる (『青女』) 家の蟻吾が愛するに客殺す (『和服』) いづくにも虹のかけらを拾い得ず 芭蕉忌の流燈俳諧亡者ども (『一隅』) 富士火口肉がめぐれて八蓮華 (『不動』) シベリアの鶴この刈田指して来し2010.4.30. 今読んでいるのは『現代俳句最前線』(2003年刊)。以前ぼくが所属していた『鷹』のメンバーの 中では、小澤實、小川軽舟の句が紹介されている。二人とも、わが「現代俳句抄」でとりあげている。 二人については今回あらためて取り上げたい句はなかった。時は流れる。いつの間にか「最前線」では なくなっている。いま「最前線」はどこにあるのだろうか。『新撰21』(2009年刊)がそうであろ うか。『超新撰21』が準備されているという。いずれにしろ時間がたたないと何ともいえない。時間 は偉大なる批評家である。 『現代俳句最前線』にはすでに故人となった田中裕明も載っている。まだとりあげていない『先生 からの手紙』 抄もある。この機会に田中裕明の追加句を取り上げてみよう。 『平成秀句選集』(H19,角川学芸出版)も読んでいるが、この『平成秀句選集』の「平成句集ベスト 5」の特集に、田中裕明『先生からの手紙』、『夜の客人』が数人の俳人から選ばれている。 生年と没年の間露けしや (『先生からの手紙』) 小鳥来るここに静かな場所がある 人の目にうつる自分や芝を焼く おのづから人は向きあひ夜の長し 空へゆく階段のなし稲の花 (『夜の客人』) 糸瓜棚この世のことのよく見ゆる 歩くうちたのしくなりぬ麦の秋 さて、前回取り上げた二句、姜h東(カン・キドン)『ウルジマラ』の句と、倉阪鬼一郎『魑魅』の句が大きくなっている。 姜h東(カン・キドン)の句 寒月や遠吠えのごと祖国恋ふ 「遠吠え」と一見平凡に見えるが、「祖国」への一途な思いが広がってくる。 倉阪鬼一郎『魑魅』の句 悪い知らせが届く今日は覚(さとり)の日 さとりが訪れた日に運悪く、悪い知らせが届く。さとりにとっては大変なことだ。さとりの無事平穏を祈る。2010.4.14. 自由、自由と言い続けている。「俳諧自由」はゴロがいいが、「俳句自由」ではゴロがなんとなく落 ち着きが悪い。自由といっても発想の自由さのことで、五七五はリズムの基本としてなるべく守りたい。 季語も大切にしたい。今回は、異端に近いと分類できるかもしれない句集も含む、別の自由を表現する 句集について触れる。数えきれない句集宇宙の渦の中のほんのひとにぎりにすぎないが、たまたま出会っ た句集を読んでいくことになる。 筑紫磐井『婆伽梵』、すでに一度読んだ句集だ。そのとき選んだ句は、 唇を吸はれてしまふ螢狩 この前西川徹郎について「全力でなにかをやろうとしていることは分かるが、なにかがあわないとい うか一句しか追加できない。」と書いてしまったが、「加藤郁乎、高柳重信風に自由になにかをやろう としていることは分かるが、なにかがあわないというか追加できなかった。」ということになる。俳句 ジャーナリズムにもしばしば、登場する人でもあり、こんなことでは誰かに非難されるかもしれない。 追加がなければ書かぬこと。 角川春樹『JAPAN』、異端といっても「現在は」だけだろう。正統派の響きが聞こえる、もう一つの 正統。 原爆の日の青空に傷もなし (『JAPAN』) 寒椿まだ捨てかねし志 まぼろしの大和が浮かぶ朧かな 万緑や脳の中まで濡れてをる 姜h東(カン・キドン)『身世打鈴』、『ウルジマラ』。かつて『身世打鈴』は読んだことがある。 その時、呼吸が合わなかったのか、取り上げていない。韓国・朝鮮出身の俳人として、俳句の広がりを 考え、とりあげたいと思っていたのだが。今回、素直に読み直して見た。 読み直したが、『身世打鈴』は著者があとがきで述べているように、自叙伝として貴重だが、今回も 俳句として「現代俳句抄」にとりあげたい句はなかった。 『ウルジマラ』、ついつい理屈の句になっている。そうならざるをえない深い思いもわかる。短歌で あればとも思う。俳句は思想詩ではない(たまたま効果をあげる例もあるとはいえ)。リズムにのった 頼りないちっぽけな詩としての俳句をかんがえる。そういったちっぽけなところから広がる詩の力。掲 載句は一句だけになった。 寒月や遠吠えのごと祖国恋ふ (『ウルジマラ』) 倉阪鬼一郎『魑魅』、異端といっていい書名である。図書館になかったら、読んではいないだろう。 筑紫磐井についてと同じように「自由になにかをやろうとしていることは分かるが、なにかがあわない というか」ということで、一句しか掲載できなかった。 悪い知らせが届く今日は覚(さとり)の日 (『魑魅』)2010.4.11. 加藤郁乎、自由というか、あえて古びに狂うというか、、、 追加句(『加藤郁乎俳句集成』より) 枯木見ゆすべて不在として見ゆる (『球体感覚』) 秋風や豚に鳴かれてしまひけり (『微句抄』) しぐるるや異端もやがて伝統に (『江戸櫻』) しぐるるや油断のならぬ虚子もどき りんとして古きに遊ぶ夜寒かな 枯枝に烏合の衆のとまりけり (『初昔』) 文体もなき新星が春星忌 ☆春星忌(蕪村忌) またしても仲間褒めなり青蛙 考へがあつての馬鹿を冷奴 さかしらを詩的と云へり浮寝鳥 名ばかりの俳人の世を子規忌かな ○ ○ ○ 虚名より無名ゆたかに梅の花 時代より一歩先んじ蚊帳の外 挨拶は短いがよし秋の暮2010.4.10. 俳諧自由、俳句自由を求めて読む。追加句若干。 京極杞陽、久しぶりに読む。予感では、もう少し追加できそうだったが、次の一句だけになった。 秋風の日本に平家物語 (『但馬住』) 野見山朱鳥、追加句 火の独楽を廻して椿瀬を流れ 初蝶の大地五重の塔をのせ 火の阿蘇に幻日かかる花野かな 火の隙間より花の世を見たる悔 高柳重信、追加句 負け犬が慕ふ凋然たる散歩 (『前略十年』) 蓬髪が感ずる遠い夜の風雨 * のぼるは夕月 (『蕗子』) 負傷を待ってゐる乳房 * まぼろしの白き船ゆく牡丹雪 (『山川蝉夫句集』) われら皆むかし十九や秋の暮 (『山川蝉夫句集』以後) 西川徹郎、全力でなにかをやろうとしていることは分かるが、何かががあわないというか一句しか追 加できない。 庭先を五年走っているマネキン (「自選三十句」)2010.4.9. 金子兜太を読むと自由になる。虚子の自由とは違う自由。 白雪なり魂沈みゆく白雪なり (『両神』) 生きるため猪急ぐ山神楽 (『東国抄』) 「活きて老いに至る」とは佳し青あらし (『日常』) 合歓の花君と別れてうろつくよ 穴子寿司食べてる鬼房が死んだ わが修羅へ若き歌人が酔うてくる 地蔵のような青年といる春の霧 コップかざす夕焼けの馬来る空へ 呼吸とはこんなに蜩を吸うことです 満月へ友去るどんどん空へ浮き こころ優しきもの生かしめよ菜の花盛り2010.4.1. 四月馬鹿である。「富士百句」四月馬鹿を季題にしてつくった。発表は当面しない。最近は富士に関 わる句だけにして、一日一句といった割合になっている。いずれ推敲を含め、けっこう捨てることにな る。2010.3.26. 雨のち晴れ、近所の田貫湖へ行く、春寒。久しぶりに富士の全貌が見える。家の庭の富士桜は四分咲 き。田貫湖の桜は、つぼみ、やや遅い。食事処というか土産物屋にはいる。 レジの後ろに、次の句が、洋紙に書かれ、貼られている。誰が文字をかいたのかきくと、「おれだ」 とレジの親父がいう。「俳句やってるの」ときくと、「いや」とそっけなく答える。選句として悪くは ない。 さまざまの事思ひ出す桜かな 松尾芭蕉 下下に生まれて桜桜哉 小林一茶 蝸牛そろそろ登れ富士の山 小林一茶 一茶では、「此のやうな末世を桜だらけかな」をけっこう気にいっているが、「下下に生まれて桜桜 哉」も読もうとする角度が面白い。 「富士百句」の作業、静かにすすめている。少しずつためている。推敲を重ね、発表は慎重にと思っ ている。自由闊達な句作りを目指すつもりである。と同時に、富士とともに生きてゆける僥倖を大切に したい。 別の所に掲載している富士の句をあらためて掲載しておく。かつての「鷹」掲載句である。 富士へ鷹駿河日和と申すべし 佐々木敏光 浮世絵のごとく初富士初御空 真つ白きマストの断てり冬の富士 舞ひ上がり富士荘厳の落花かな 風死せり富士山麓にくも殺す 正面に黒き富士立つ噴井かな はればれと桃の花あり遠き富士 真輝く雪の富士なり反省す 「桜」の句、かつて俳句誌「鷹」に掲載された句も付け加えておく。 まぶた閉じ落花あびゐる女かな 花の塵風に流して遊びけり 花冷えや都大路を喪服きて ひとひらの落花に乗せし心かな 新幹線桜吹雪に突入す 舞ひ上がり富士荘厳の落花かな 山の子は挨拶上手桜咲く 葉桜の空日輪を愛すかな たましひの桜吹雪となりにけり2010.3.22. 飯島晴子 追加句 自由な発想の句。晩年に従って、発想のパターン化が見られるが、それが人間的 でもある。虚子にはなかなかなりきれない。 いちにちの光があそぶ秋の川 (『蕨手』) 橡(とち)の花きつと最後の夕日さす 一月の畳ひかりて鯉衰ふ 天の川禽獣の夢ちらかりて (『朱田』) 青ぶだう人間の腕詰る闇 山脈(やまなみ)の荒々しくも天瓜粉 百合鴎少年をさし出しにゆく をとめらや氷の上をともに恋ひ (『春の蔵』) 初氷島のなかとも思はれず 養家にて消防服を着てみたり 氷水これくらゐにして安達ヶ原 木槿夕雨こんなところに赤ん坊 いつもこのかたちに眠る流氷よ (『八頭』) 鱧の皮買ひに出でたるまでのこと もてなしの大狐火となりにけり 草こほる伝大友皇子の墓 をんならの足許冬の蟻地獄 竹馬に乗つて行かうかこの先は (『平日』) 大綿やだんだんこはい子守唄2010.3.21. 自由闊達な虚子の句を付け加える。出典探しは、そのうちに。 冬枯の庭を壺中天地とも 春の山歪ながらも円きかな 暖き冬日あり甘き空気あり 年の暮日を間違へて一日損 寝し家を喜びとべる蛍かな 山川にひとり髪洗ふ神ぞ知る 羽子をつき手毬をついて恋をして 冬海や一隻の難航す 春惜むベンチがあれば腰おろし 山一つあなたに春のある思ひ 海中に真清水わきて魚育つ 熱帯の海は日を呑み終りたる 悴める手は憎しみに震へをり2010.3.11. 『モーロク俳人ますます盛ん 俳句百年の遊び』坪内稔典 面白く読んだ。俳句第二芸論などもあつかっていていろいろ思いだすこともあった。ただ、あらたな インスピレーションは与えてくれなかった。俳句の本の読みすぎのせいかなと思う。頭高手低というか 頭低手低に陥っているかも。平衡を保つためにも、しばらくは、つくることに専念する。一日一句を基 本として、富士をテーマとした俳句作りを。発表はしばらくしない。勿論、新興俳句の俳人など刺激を あたえてくれると思われる色々な句集は適当に読んで、句作の刺激としたい。勿論、新興俳句の秀句は すでに行き止まりとなってしまった俳句の世界のどん詰まりに咲いたあやしい花とともに、新しい可能 性の未来に向けて花開いた花といった二面がある。 さて、『俳句三月号』から、三句 わが死後のあをき空かも罌粟坊主 小松崎爽青 『赤鴉』 春の蛇座敷のなかは笑ひあふ 飯島晴子 『春の蔵』 晩年を過ぎてしまひし昼寝覚 川崎展宏 「『冬』以後」 インターネットでたまたま出会った句、 外套の中の孤独を連れ歩く 原田要三 志ん生もカラヤンも好き冬ごもり この機会に飯島晴子を読み直し、追加する。 雪を来て光悦消息文暮色 (『蕨手』) 白き蛾のゐる一隅へときどきゆく 待つてゐる死があり谷の夏火鉢 蛍とび疑ひぶかき親の箸 やつと死ぬ父よ晩夏の梅林 とつぜんに歳とる芹に照らされて (『朱田』) うたたねの泪大事に茄子の花 (『春の蔵』)2010.2.19. 蕪村読み直し中。今回追加の一句。 我(わが)泪(なみだ)古くはあれど泉かな 夏「西の奥」2010.2.16. 蕪村読み直し中である。今回追加の一句。 苗代の色紙にあそぶかわづかな 春 蕪村は、時間をかけて、読みすすめていきたい。 最近、『俳句界』のバックナンバーなどを読むことがあり、今まで知らなかった若い俳人などの句に ふれることがある。ただ、読む俳句の数は増やせばいいものではない。自分の糧になる句をじっくりと 読むこと(勿論小さく固まらないように、適度に世界を広げること)、じっくり句作することが大切で あると当たり前のことといえば当たり前のこと思うような年齢になってしまっている。時間は無限では ないのだ。 面白いと思った句をいくつか抄出句に加える。 穂積茅愁 スヰートピー寝しなの口のさみしさに 恋猫の戻りてめしふろねるの順 百数へよ肩まで浸かれ湯豆腐よ 蚊帳といふ網にかかりし男かな 谷 雄介 夕凪や映画の女つひに死す 秋の川中部地方を流れけり ただ、才気ある「この程度の句」を引用しているようでは、俳句の将来はあやういと思ってしまう。 ただし「この程度の句」でさえ作られることが少ないのが俳句の現状である。(おまえ作れよといわ れても困る。準備中としておく。)「この程度の句」の蓄積が、いつか大いなる変化をもたらすかも しれない。いずれにしろ、自分の庭を耕すことだ。 前田吐実男の句を加える。 人日や嘘つく人に逢いにゆく 大寒の橋を渡ればあしたなり 海鼠買ってより大雪に往生す2010.2.15. 『反骨無頼の俳人たち』村上護編(春陽堂)を読む。取り上げられているのは、 藤木清子、片山桃史、栗林一石路、三橋鷹女、西東三鬼 、富澤赤黄男、橋本夢道、細谷源二、鈴木しづ 子、渡辺白泉 藤木清子、片山桃史を除き、全員「現代俳句抄」でとりあげている。 今日、追加するのは、新たに取り上げる、 藤木清子 虫の音にまみれて脳が落ちてゐる 戦死せり三十二枚の歯をそろへ 片山桃史 我を撃つ敵と劫暑を倶にせり なにもない枯原にいくつかの眼玉 とともに、すでに取り上げた俳人のうち次の四名 栗林一石路 人間が爆発しそうな出勤電車でちらとさくら(『シヤツと雑草』) 橋本夢道 厭だという俺におじぎをしろと親父がペコペコしていたみじめな記憶だ(『無礼なる妻』) 妻よたつた十日余りの兵隊にきた烈げしい俺の性慾が銃口を磨いている 呵々と笑い互いに笑い銃をもつ 鈴木しづ子 あめのおと太きうれしさ夏来り (『春雷』) まぐはひのしづかなるあめ居とりまく (『指輪』) なお、細谷源二は、絶唱「地の涯に倖せありと来しが雪」だけで十分である。他の句を付け加えるのは 蛇足といっていい。 三橋鷹女、西東三鬼 、富澤赤黄男、渡辺白泉はそれぞれ、時間をかけて追加句を検討したい。 なお、西東三鬼は、山田風太郎著『人間臨終図巻』に登場する珍しい現代俳人である。この本には、約 九百数十名の臨終について記述されている貴重な奇書である。『反骨無頼の俳人たち』の中では、西東 三鬼ということになった。 俳句関係では、(見落としがなければ)芭蕉、蕪村、一茶の三人、明治以降の俳人としては、 正岡子規(三十五歳で死んだ人々) 尾崎放哉(四十一歳で死んだ人々) 種田山頭火(五十八歳で死んだ人々) 西東三鬼(六十二歳で死んだ人々) 高濱虚子(八十五歳で死んだ人々) そして、俳人と限定ができないが、 寺山修司(四十八歳で死んだ人々)ものっているが、その記事の中で短歌はともかく俳句について の言及はない。 なお、西東三鬼の記事の中では、 水枕ガバリと寒い海がある 中年や遠くみのれる夜の桃 高濱虚子の記事の中では、 独り句の推敲をして遅き日を 虚子一人銀河と共に西へ行く が、引用されている。2010.2.14. 上田五千石のさらなる追加句 はじまりし三十路の迷路木の実降る (『田園』) 秋富士が立つ一湾の凪畳 (『森林』) 白露や一詩生まれて何か消ゆ 心すこし売つて夜寒の灯に戻る (『琥珀』)2010.2.12. 「現代俳句抄」追加句 芥川龍之介の追加句 秋風や甲羅をあます膳の蟹 (『澄江堂句集』) 茶畠に入日しづもる在所かな 炎天や逆上の人もの云はぬ (『芥川龍之介句集(餓鬼全句)』) 上田五千石の追加句 新しき道のさびしき麦の秋 (『田園』) 緑陰に美貌やすませゐたりけり 森といふ大きじじまよ寒の内 一対の凍鶴何の黙示なる (『森林』) 距りの十歩をつめず秋の暮 (『琥珀』) 風船を手放すここが空の岸 ふだん着の俳句大好き茄子の花 春の月思ひ余りし如く出し 刃いま匂ひたつなり桜鯛 月の村川のごとくに道ながれ いにしへの女人の嘆き読み始む (『天路』) 火遊びの富士山焼に比するなし 月中天高層階は地に沈み 蛍火やゆかりといふもみんなゆめ 冬帝に媚びるごとくに日向ぼこ2010.2.6. 探していた坂口昌弘の時評がでてきた。「俳句界時評 「虚子のエスプリ−−「虚」と「造化」−− 没後五十年における虚子の偉大さの再評価」である。『俳句界』2009年9月号だ。そこでは、「虚」 「造化」「遊」をバックボーンとした虚子の俳句哲学についてふれ、伝統的ともいえるそれに代わる俳 句哲学は、虚子以降生まれていないという。ぼくも基本的には、その考え方には賛成で、最近とくに意 識し始めている「天地同根」「万物一体」(また「天地有情」は虚子の「花鳥諷詠」の基礎であるなど、 他の所でも書いている。そして、坊城俊樹氏の「「天地有情」という言葉。(中略)これが虚子の遺言 であることは、私の勝手なる想像だけれども今まで誰も言ったことがない。かなりお買い得な情報と思 うけれど。」と素直に述べていることにも触れている。)に重なる部分も大きい。 ぼくとしては「虚」−−中途半端に実なるものを定めない。実とおもえるものに執着しない。一つの ものに集約しない。実を含めた虚に遊ぶ。「造化」−−自然の自由さを生きる。その中核にある生命。 命の輝き。「遊」−−人生は生きている間の遊びでもある。生きること。虚を遊ぶ。いずれにしろ、俳 句を解き放つ。俳句はこんなものだとかきめて、ある種の定義のなかにおしこめるのは、好きではない。 花鳥諷詠にがんじがらめになっている虚子門もあるようだが、ぼくのとらないところだ。自由な俳句の 世界、その考え方の大きな一つに「虚」「造化」「遊」をバックボーンとした俳句世界があると考え、 その大きな世界に遊ぶのであって、金科玉条的に、墨守すべきものだとは考えない。一見とるにたらな いように見える日常的な人事句にえもいえぬ世界を現出させる俳人もいる。人間の存在を激しく鋭くき りとる俳人もいる。それでいいのである。あまり定義しすぎないのが、芸術の世界である。定義しすぎ ると、痩せ細ったものになってしまう。 なお、虚子以後とは限らないが、シュールレアリスムを含め西洋詩の影響は、俳句表現の革新を含め て大きい。ただし、シュールレアリスムには、いわゆる俳句の二句一章(二物衝撃)に通ずる考え方、 新たなる物と物との新たなる出会いによるの美の光景という考え方があり、語彙を含め、新しい俳句と いえるものに大いに影響を与えてきた。「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」 というロートレアモンの詩句は、シュールレアリスム文学に大きな影響を与えている。いまさら俳句の 二句一章(二物衝撃)の重要さを云々しないが、芸術として通底するものがあることは言っておく。 総じて『俳句界』は、好ましい記事が多い。発刊時についてはよく知らないが、俳句もよくする詩人 の清水さんが、相談役であったらしい。また、佐高信の連載対談はなにかといそがしくてきちんと読ん ではいないが、佐高さんもかつて俳句に救われた時代があり、この対談をやっているのは、その影響も 大きいと朝日か毎日であったか週刊誌に書いていたが、それもどこだったか、忘れてしまった。『俳句 界』2009年9月号を今回見つけだしたのは奇蹟的といえば大げさだが、最近どこかでよんだっけ、ど こだったかなということが、多いのは否定できない。さて、「筆漏亭日常」など自由でおもしろい記事 が多い。「魅惑の俳人」連載もいい企画だ。2010年2月号で26回つまり26人目となっている。1 月号の三橋鷹女につづき野見山朱鳥である。ぼくも、自分の「現代俳句抄」追加に向けて、あれこれと 読みなおそうと思っているが、なかなかすすまない。たとえば上田五千石全句集は再読の機会を奪われ たままぼくのそばを離れようとしない。それより時間をかけたいのは、蕪村の読み直しだ。発想の自由、 表現の柔らかさなど、読みかえせば、そのたびに発見することも多い。ぼくにとっての俳句原点である 蕪村を、そして俳句そのものの原点といえる芭蕉の読み直し作業をすこしずつでもすすめて行きたい。 「富士百句」は、すこしずつ続けている。大富士に感謝しながらというような大げさな言い方は自分 ながら変な気がするが、自然そういう有りがたい思いが湧きあがってくる。ともかく富士のそばに毎日 いるというありがたさ、毎日の出合いの新鮮さを感じつつ、作り続けていこう。2010.1.15. 蕪村再発見。 数日前に書いた。「次回からは、自分にとって良い句があったら拾う。すぐれた俳人を見落としてい たらとりあげる。時間的にはあまり力はそそげないが、出発にたちもどり、自分なりに俳句の力をほり おこす方面へ力を集中したい。ただし、全然愚痴はいわないと言い切ると、窒息しそうになるので、そ の程度の自由度は確保しておきたい。」 昨日静岡の古本屋で、「古典名句集」という本をパラパラめくり、蕪村を再発見することになった。 新発見といってもよい。柔らかいのだ。発想が自由なのだ。当然のように、蕪村はいろいろ読んできた。 本もたくさん所有している。あらためて蕪村の表現の柔らかさ、発想の自由さにふれた思いがした。じっ くりと再読したいと思った。パラパラとめくる一句一句に豊かな世界が、日常なんとなく見落としてい る世界がそういわれればそうだなというように次々と展開していた。時には絵画的に、また物語的に。 今まで見落としていた句の一つに 冬こだち月に隣をわすれたり がある。自然の中の生活をと思って森で住み始めたが、今隣とは思いもかけない微妙な関係になってい る。関係性は違うとはいえ蕪村も隣家とは微妙な関係になっていたことが、次の句 我を厭ふ隣家寒夜に鍋を鳴ラす でもわかる。ぼくたちも「月に隣をわすれ」る風流を冬木立ちのなかで持とうと思っている。 今回の読み直しは、すでに読みつくしていたと思っていた句にも豊かなものをもたらしてくれた。理 屈は省略して、サイトにある「蕪村句集」に追加する句をいくつかあげる。 冬こだち月に隣をわすれたり 草霞み水に声なき日ぐれ哉 二十五のあかつき起きや衣更 蛇(だ)を載(きつ)てわたる谷路の若葉哉 後の月賢き人をとふ夜哉 いてう踏(ふん)でしづかに児(ちご)の下山かな 冬ちかし時雨の雲もここよりぞ (洛東芭蕉庵)2010.1.11. 以下に書くことは、この欄では最後にしておきたい。 次回からは、自分にとって良い句があったら拾う。すぐれた俳人を見落としていたらとりあげる。時 間的にはあまり力はそそげないが、出発にたちもどり、自分なりに俳句の力をほりおこす方面へ力を集 中したい。ただし、全然愚痴はいわないと言い切ると、窒息しそうになるので、その程度の自由度は確 保しておきたい。 現代俳句のこころなさをいくら嘆いても、何の解決にもならない。俳句は残りつづけるであろう。し かしあまり活力のないものとして。「お花」のように「おけいこの世界」としていき残るのだろう。確 かに、「お花」だって日本人の日常に根ざしているもので、バカにはできない。俳句だってそうかもし れない。花をいけることは、「ならいいごと」の世界以上、生活の中に、日本人の情緒の中を生き続け る潤いのある習慣である。お花の先生は、残り続けるだろう。ただし、勅使河原蒼風や宏が開拓した以 上には進まないだろう。そして時々、假屋崎省吾とか前野博紀のように、パフォーマンス力のある人が あらわれ表面上は活気を呈するだろう。パフォーマー達は、ある意味では型が完成してしまった華道史 の中でどう評価されるのだろうか。俳句でも、パフォーマーがあらわれるのだろうか。現状では、最高 齢の中に数えられる金子兜太がすくなくともテレビの世界などでは、唯一の現役パフォーマーと言える のかもしれないというのも逆説的である。 最近読み直した雑誌から、「嘆きの調子」を伴うものを拾ってみると、 「2010年版俳句年鑑」の小川軽舟「今年の句集BEST15」から、高柳克弘『未踏』についての記述 「俳句史がこれからも続いたならば、将来その一つの里程標として語られる句集だと思う。」俳句史そ のものはこれからも続くだろうが、あまり重みのないあつかいをうけることになるだろう。 『俳句界12月号』の「筆漏亭日常17」矢島康吉の記述、句会の帰りの飲み屋でどこから聞こえてき た話として「俳句は完成され、表現もされ尽くされた。これが俳句かというようなものが、巷やインター ネット上にはびこっている。といって、著名俳人にも総合誌の巻頭に何十句と飾ってあるが如何なもの かと首を傾げるような句がある。高濱虚子は多くの弟子を育てたが、今の宗匠は「俺が私が」「私が俺 が」と自分だけ脚光を浴びようとして、自分だけよければいいと、弟子をそだてようとしない。弟子が 頭を出すと、モグラ叩きにあう。」が、ある。 一度引用した飯田龍太の文を再録する。 「後ろめたさついでに言えば、俳人という肩書がつくことも後ろめたいね。この頃はみんな図々しくなっ てえらそうにしているけど、戦前なんかは恥しいぐらいのものだったからね。だいたい、俳句でいっぱ し結構だなんていうのは、一世紀に一人や二人ですよ。あとはみなジャミ(釣で言う小魚のこと)。そ いつらがつっぱって、かっこつけているのは滑稽ですよ。それに、俳句には専門的な要素なんてどこに もありませんよ。俳人が専門家意識を持っちゃ、おしまいです。先生、先生つて黄色い声で言われるの は、いい気分だけどね。俳人という看板を出している以上、この点はしっかりと自戒しておかなければ ならないと思うね」 (飯田龍太 「太陽」1987年3月号) 最後に、印象的な句をいくつかと思いながら、とりあえず今日の所は一つとなった。また「2010年 版俳句年鑑」の元「鷹」の宮坂静生さんの「2009年100句選」を再読したが、「現代俳句の力無さ」 の印象を深くすることになった。 「2009年100句選」からは、長谷川櫂の わが欲しき一人の敵や青嵐 の力満ちた句を買いたい。ただし、ついつい次の虚子の句を思いだしてしまう。虚子、反虚子といった 俳句の黄金時代に遅れてきたものが、のり超えるのはなかなか難しいものだ。 春風や闘志いだきて丘に立つ 一人の強者唯(ただ)出よ秋の風2010.1.8. 1月号の既にでている『俳句界12月号』をゆっくり読んでいる。特集『昭和俳句の巨星ベスト30』 については、既にふれている。 加藤郁乎「老俳」(特別作品33句)より3句 水ぬるむ夜沈々といのちかな わけありしひとも八十夏あかね 肴には俳人がよし今年酒 月並みを逆手どっている加藤郁乎。おもむきは違うが、新月並派といってもいい中原道夫、彼の句集 『緑廊』について坂口昌弘が「俳句界時評」で書いている。「道夫は自らの俳句道を、「俳と詩のアマ ルガム」と」いう書かれているが、そこへ甘んじていると、新月並派といっていいものに陥る陥穽があ るような気がする。別なところに「何百年か後の文学史の俳句の項には、芭蕉、蕪村、一茶のあとに虚 子がつづき、子規は虚子の補注にとどまり、それ以外の作家の名は一人として残らないと言った人がい た。」(安部元気「勝手にあれこれ」(アンケート結果から))という文章があったが、その次元でい えば、現代俳句は俳であれ、詩であれ、花鳥諷詠であれ、右であれ、左であれ、中庸であれ、すべて月 並みになる可能性もある。 中原道夫の 事勿れ主義の風鈴鳴りにけり は、前回引いた和湖長六の 襤褸市に左団扇を買ひに行く と、調子を同じくする。 兜虫兜太一匹吠えるなり は、兜太を見ていればとても面白い。が、とても面白いで終わりそうだ。 自分を棚にあげなければ、かけないことを書いてしまった。 それにしても、結社の経営のためか、主宰という地位が傲慢にさせたのか、弟子たちを結構叱ってい た湘子の次の句(すでに引用したこともある)を思うと、湘子の俳句の運命に対するさびしさが、伝わってくる。 ゆくゆくはわが名も消えて春の暮2010.1.6. 勝目梓『俳句の森を散歩する』を読む。「現代俳句抄」ですでにとりあげている俳人がほとんどであ る。 この本で初めて知った人(俳人?)の句について、書いてみる。 和湖長六という人。ユーモアのある句が多く、次の引用句は川柳と言っていい句である。 襤褸市に左団扇を買ひに行く 他に、面白い句もあるが、ただ面白いでおわっているようだ。清水さんの『増殖する俳句歳時記』に 六句引かれているが、ぼくがとりあげる句ではない。 いわゆる結社主宰を中心とした俳句商業ジャーナリズムで知られてない人で、いい句、面白い句をつ くる人は多いはずだ。だからといって、そういう人を発掘しようという野心はない。そもそも、ぼく自 身が俳句ジャーナリズムと無縁なのである。 すでに書いたことがあるが、「鷹」時代に出会った吉沼等外さんは、機会あるごとに書いておきたい 人だ。ぼくが「鷹」を去ったのちに、亡くなられたとのことだ。 数をへらして、五句再録しておく。 水着踏む姦淫犯したるに似て (『笑意』) 砲丸のドスンと寒の明けにけり 傘さしてお山開に加はれり お水取悪僧面の減りにけり うららかや川が曲がれば汽車曲がる2009.12.22. 数日前県立図書館で借りた本について、一冊だけ書く。『現代俳句体系第一巻』である。 この「現代俳句体系」(角川書店)は「現代俳句集成」(河出書房新社)とともに、蔵書として持っ ていた。引っ越しにあたり、かさばるのと、図書館でかりられるので、友達にもらってもらった。 さて、第一巻であるが、「龍雨句集」があるので借りた。増田龍雨の句は名句集などでは、ふれてい たが、句集レベルでは読んではいなかった。今回、『俳句界』12月号に特集として「昭和俳句の巨星 ベスト30」があり、そのためのアンケート「好きな俳人3人」に元「鷹」の小澤實さんと加藤郁乎が、 増田龍雨をあげている。思いかけなかったので、読んでみようと思った。久保田万太郎にも通じあう世 界のような気もしていた。 増田龍雨は、旧派から久保田万太郎門周辺へと要約出来そうだ。小澤實さんや加藤郁乎の好みである ことはわかった。ただ、ぼくとしては、悪くないかもとしかいえない。古いのだ。その古さの中にえも 言われぬ情緒を感じる人もいていいのである。『龍雨句集』四句と『日本名句集成』から一句とった。 まなかひに暗き浪間や初日の出 (『龍雨句集』) さびしさや師走の町の道化者 奉公にある子を思ふ寝酒かな 竹馬やうれしさ見える高あるき ひめはじめ八重垣つくる深雪かな (『龍雨俳句集』)2009.12.20. 真鍋呉夫句集『月魄(つきしろ)』を再読し、次の句を引用に付け加える。 骨箱につみこまれゐし怒濤かな ただ、これには類想句というか本歌取りといっていい句がある。 川崎展宏 の加藤楸邨の死を読んだ 夏座敷棺は怒濤を蓋ひたる (加藤楸邨先生) である。「類想句というか本歌取りといっていい」といっていいのか迷うところである。 結果的にそうなったとしかいいようがないのかもしれない。 そもそも、川崎展宏 の句は師加藤楸邨の次の句などを意識してよまれている。 隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな 天の川怒濤のごとし人の死へ 楸邨は怒濤を読んだ名句が多く、『怒濤』という句集もあり、怒濤の俳人といえる。2009.12.16. 前々回、「どんなやりかたをしても総合的には虚子の1位は動かないだろう」と書いてしまったが、 反虚子の立場の人もいる。全員がそうであるわけではない。あくまでも、「総合的には」であり、総合 的はしばしば退屈である事も多い。虚子だけでことたりるわけではない。さまざまな俳句がほしい、退 屈になりがちな結社俳句は、日本人が持つ趣味の世界としては悪くはないが、なるべく言及はしたくは ない。 多様性、そこで眞鍋呉夫の新・文人俳句や、金子兜太のやんちゃ俳句(金子の言によると「知的野 生」俳句)、三橋敏雄の新・新興俳句が必要になってくる。すこし、おどけて書いたが、この三人(他 にも多いがここでは三人)などの存在が必要になってくる。虚子だけでは困るのである。 「月魄」が この極大の宇宙の 魂の光であるならば 俳句は その光に敏感に呼応した 極微なわれわれの 魂の詩である 真鍋呉夫 俳句はこれしかないと言われたらこまるが、「これがわたくしの俳句だ」と言われれば、それもよき かなと思う。 真鍋呉夫、最近句集『月魄(つきしろ)』から引用する。 約束の螢になつて來たと言ふ この世より突き出でし釘よ去年今年 去年今年海底の兵光だす 死者あまた卯波より現れ上陸す 月明るすぎて雄阿寒歩き出す 落し角跳ねて落ちゆく月の崖 耳鳴りがするほど寂し雪の底 雪を来て恋の体となりにけり 花ひらくごとくに水の湧いてをり 鐡帽に軍靴をはけりどの骨も (「ノモンハン事件より六十年後の遺骨収容」) 真鍋呉夫、前作『雪女』はすでに引用している。ここでは、後書きの文章を付け加えておく。 それにしても、われわれの生命の母胎としての人智を超えた自然への畏敬を失わせるような文明とは いったい何であるか。 「生命の母胎としての人智を超えた自然への畏敬」は、ぼくの最近のテーマである。 ついでに、多様性に関わる以下の句をそれぞれ「現代俳句抄」に付け加えたい。 金子兜太 水脈の果て炎天の墓標置きて去る 『少年』 人刺して足長蜂(あしなが)帰る荒涼へ 『旅次抄録』 言霊の脊梁山脈のさくら 『東国抄』 人間と人間出会う初景色 『東国抄』 三橋敏雄 戦争にたかる無数の蠅しづか 『畳の上』 尾崎放哉 すぐ死ぬくせにうるさい蠅だ 『放哉句集』2009.12.12. 俳句の読み直し、再読をいつか宣言したが、モンテーニュ、三島由紀夫再読など他のことにまぎれて 進んでいないのが、現状である。 すこしずつでもと思っている。そしてすこしずつ「富士百句」も進めたい。(最近富士に触れたに詩 を書いて、「森の中のモンテーニュ」にのせている。) 小澤實さん監修の「おとなの愉しみ 俳句入門」を読む。時代はかわり、かつての「鷹」編集長の小 澤さんが監修者として登場している。 その中の「二十一世紀に残したい古今の名句」だが、小澤實、石田響子、筑紫磐井選は、すべてわが 「俳句」でとりあげている。ただ、間村俊一選は、五句中三句は、ぼくと違うが、あらためて取り上げ たい句ではない。それぞれの好みがあっていいので、俳句とはと一つの塊のように見られるのは仕方な いとしても、感受性や俳句に対する考え方によって、句の評価は大いに違ってくるのだ。 最近読んだもので新しく引用したい句はない。そろそろでてくる「俳句年鑑」ではどうだろうか。数 日後に読むはずだが、読んでみなければわからない。2009.12.11. 『俳句界』12月号は、特集として「昭和俳句の巨星ベスト30」がある。 俳人たちへの物故者を対象として好きな俳人についてのアンケートの結果を集計したものである。 これできまりといわけではないが、単なる参考としても面白い。これらの巨星は全部ぼくの「現代俳句 抄」に入っている。これも決定的な評価ではないが、ぼくのいたことのある「鷹」では、主宰であった 藤田湘子が入っていなく、副主宰といってもよかった飯島晴子が入っているのは、面白い。ただしどん なやりかたをしても総合的には虚子の1位は動かないだろう。俳句史全体では、芭蕉が動かないように。 1 高浜虚子 2 石田波郷 3 飯田龍太 4 加藤楸邨 5 中村草田男 6 山口誓子 7 西東三鬼 8 飯田蛇笏 9 三橋敏雄 10 橋本多佳子 11 高柳重信 水原秋桜子 13 秋元不死男 飯島晴子 細見綾子 16 桂信子 川端茅舎 高屋窓秋 19 阿波野青畝 久保田万太郎 21 能村登四郎 渡辺白泉 23 攝津幸彦 永田耕衣 25 上田五千石 富澤赤黄男 野見山朱鳥 波多野爽波 山口青邨 30 安住敦 京極杞陽 鈴木六林男 高野素十 三橋鷹女2009.12.4. 今日は富士がくっきり見えた。定期検診に訪れている近くの病院の玄関からも、待ち合い室からも大 きくせまるように見えた。聞こえてきた会話。 「今日は富士がきりっとしているね。」 「ほんとうに。きりっとしてみえる。」 「春は、桃源郷のようにみえたりする。富士はいいねえ。」 前回、名所旧跡は陳腐になりやすいと注意している子規には富士の句で選べるものはないように書い たが、一つだけ選んでおきたい。佐々木流の感覚的な選である。 ぼんやりと大きく出たり春の不二(富士) (明治二十六年) 子規が短歌をつくっていたのは、いうまでもないが、肺結核から脊椎カリエスへと病に苦しんだ中で の子規の次の富士の歌は、よくわかる。体は不自由でも、心は健康である。 足たたば不盡の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを2009.12.1. 『子規と静岡 』(「子規選集15」増進会出版社)を読む。富士について多くさかれている。 子規による「伊藤松宇 富士百句」評が掲載されている。子規が十句を選んでいる。 子規はまた『俳諧大要』で富士のような名所旧跡は陳腐になりやすいと注意している。そして、 「普通尋常の景色に無数の美を含み居ることを忘るべからず」と言っている。『子規と静岡 』に は「子規の不二の句百二十句」も掲載されているが、確かにそうである。ただ、常に富士がある所 で生活しているものには、富士が普通尋常の景色となるのをさけることはできない。 さて、伊藤松宇(1859ー1943、子規と『俳諧』を創刊)の「富士百句」評での子規に よる十句選は、次の通り。 元日や凡(およ)そ動かぬふじの山 枯尾花ふじは裾より現はれし けふの菊ふじを南にながめばや 暮いそぐ姿を見えず師走不二 桃さくやふじを抱込一在所 かりそめの雲を時雨つふじの裾 雲の峰ふじを根にして立にけり 裾野からせかれてふじの山笑ふ つと立てふじに向ふや白重 小六月ふじに登らん日和哉 ぼくは、 元日や凡(およ)そ動かぬふじの山 雲の峰ふじを根にして立にけり を、「現代俳句抄」にいれたが、 元日や凡(およ)そ動かぬふじの山 一句だけで、よかった気がする。2009.11.17. この前「「老年の文学」としての俳句もまんざらではない。(中略)年をへてきた年代に も表現形式としては有効なものと思える。思いを凝縮する。なにげない風景の中に、何かを 感じ取り、表現する。」と書いたが、文字どおりその通りであって、近づき易さは十分考慮 されていいものと思う。たとえば小説の価値を絶対視して、今俳句をつくっている人が俳句 をやめ、全員が小説を書きはじめたら、そんな面倒なことはおこらないであろうが、読まさ れる方はたまったものではない。また、同人誌(ああ、なつかしい時代の響きがする)を含 め、すべての小説が読むに値するとは、かぎらないように、芭蕉、蕪村等々選ばれた俳人を 除き、俳句の大部分は、読むに値しないこともありうる。文芸とは、厳しい世界である。 さて、かなり前に引用を含め書きためていた文章が偶然見つかった。フロッピーに入ってい たので再録するのは簡単だ。かつての「俳句雑感時々少々」、現在の自分が読み直すためにも 掲載してみよう。 ********* 俳句自由 俳句自在 「感動」、「発見」を良く見つめること、逃さないこと。単に頭の中で考えたことではなく、 実感したことを俳句に。短い詩型であるからたくさんのことはいえないという覚悟と共に、短 さによる「短さの凝縮力」を利用して、核心を端的に表現すること。そのためにも、季語の伝 達力とやわらかさを十分に利用すること。 「俳諧(俳句)は三尺の童〔わらべ〕にさせよ」(芭蕉) 無内容に耐えて、その果てに世界を現出させること。 無頼(たよらない、たよりないことをいきぬく)の心。 俳句なんて、ちっぽけなもの たかが俳句、されど俳句 志はあくまで高く。 ちっぽけなものに秘められた大きな世界。 「一粒の砂の中に、全世界を見る」(ブレイク) ミクロコスモスの中のマクロコスモス。マクロコスモの中のミクロコスモス。 水は必ず自分の井戸から汲め。 老いても若い心。 「初心忘るべからず」(世阿弥) 詩の基礎は、リズム。俳句も詩である。意味を越えるリズムの力。 「舌頭に千転せよ」(芭蕉) 不易流行(芭蕉) 変化自在。精神の柔らかさの麻痺を恐れるべし。 「(師)曰く、「夫、俳諧のみちや、かならず師の句法に泥(なづ)むべからず。時に変じ時に化 し、忽焉として前後相かへりみざるがごとく有るべし」とぞ。余、此の一棒下に頓悟して、ややは いかいの自在を知れり。」 (蕪村) 「俳諧に門戸なし。只是れ俳諧門といふを以て門とす。」(蕪村) 自己の思いを素朴に、単純にリズム高らかに詠む。またある時は物に即して自己の思いを抑制して詠 む。 推敲の基準 一、五・七・五になっているか。(基本事項) 二、季語が適切か。(基本事項) 三、切れが実現されているか。(基本事項。物そのもの、思いそのもの を直裁に表現する 一物俳句はともかく、俳句は〈切れ〉を仲介として、響きあう世界を現出させ、その余韻 の中に、表現が展開・完了するものである。いわゆる二物衝撃。たとえ切字がなくても余 韻ある表現になっているか)。 四、単純な表現になっているか 五、分かりやすいか。常套的な句になっていないか。 六、用語は適切か。 七、語順を変えてみると、どうか。 八、何度も音読してみる。(表現に適したリズムになっているか。表現を超えるリズムになってい るか。自分の思いを充分伝えたい句に なっているか。自分なりの発見の詩になっているか。) 推敲の基準(秋元不死男) 一、一句の意味が別な意味にとられる心配はないか。 一、中心がはっきりつかめているかどうか。 一、用語叙法にあやまりはないか。 一、もっと美しい正確な言葉や調べなはいか。 一、他に類句はないか。 人間であれば誰でも持つ感情、どこかで感じたはずのこと、肯定的な思いをはじめとして、否定 的な思いを含め、言うに言えない思い、とにかくそういった感情を大胆に、しかも凝縮した形で 表出すること。十七文字の短さでは窮屈であろうが、その窮屈さにたえること。そのはてにひろ がる世界を想起すること。 少々不真面目になること。聖人君主はべつにして、人間少々不真面目な部分があるのは、他人向け の〈たてまえ〉はともかく、当たり前のことだ。そこのところをごまかさないで表現すること。少 々不真面目で人間は丁度いいのだ。息苦しい生真面目さのもたらすものは、他者への不寛容、そし て、抹殺。虐殺。詩とは遠いことだ。勿論、生真面目になっていいテーマもたくさんあることは忘 れてはならない。 「俳人はすべからくもっと不真面目でなければけない。もっと悪くなければいけない。文部省や大 蔵省の役人のような顔をした俳人ばかりでは、俳句は面白くないのである。」 (高橋悦男) 「優美と宏壮を兼備したものが本当の文学」(子規) 「文芸上の真」(秋桜子) 「妄想が、人びとに本当に真実だと思わせるとこまでいくのが文学」(大岡信) 「妄想写生」(川崎展宏) 晴々とした俳句 機運壮大な俳句 すべてを突き抜けた俳句 思いがひろがる俳句 俳句の積重ねによる『コメディ・ユメーヌ(人間喜劇)』を! とりあえず、何でも詠んでみること。あらゆることを詠んでみること。失敗しても良い。とに かく持続すること。失敗を犯さない人間はいない。そうした人間たちのおりなす『人間喜劇』 こそ、もし神がいるとすれば、神がつくりたもうたものだ。失敗のない人生はない。 うまい俳句をよむ俳人は多い。 そういったことは技巧派の俳人たちにまかせて、自分でもこのような俳句を読みたいという俳 句、それを詠むこと。 「頭より目を働かせよ」(湘子) 「見たこと、感じたこと」を逃さないこと。 ズバリと言いきる。そのことによる広がり。 「今年の秀句」を読む \ いまの俳壇は、意識するにしろしないにしろ、小数の人をのぞい て、ほぼ全員で虚子の仕事をなぞっている。新しい俳句を、というより心の大きな広がりを俳 句に。ちなみに、虚子の心はそれなりに広かった。それなりにだが。そして、俳壇政治的に虚 子の位置に立とうと腐心する主宰達の群。 俳壇だけでなく、俳句を作らない人にも何かを感じさせる句を。門弟何千人の俳人は江戸期に もたくさんいた。それなりに技巧を持った、いわゆるうまい俳句をつくるひとたちはいまでも たくさんいるように、当時も大勢いた。当時の俳壇的権威を持った俳人たち。彼らは、一人の 蕪村、一人の一茶に負けている。 せめて路通に。できうるなら、芭蕉に、蕪村に。 一寸した思いを一寸言う。その一寸が大きな広がりを生むように。 常に挑戦を、過去を乗り越えようとすること。過去はとてつもなく大きいのだが。 指導者の選句 \ 先達として尊重すること。ただ、指導があまりにも一方的なきびしさに偏す ると、子の生涯を親が一方的に決めていくようなことになりかねない。親でははかりしれない子 の可能性を殺すことにもなりかねない。親もまちがうことはある。 アカデミー(結社)の一つの弊害。 しかしそう心配することもない。それで殺されるものは、ある意味ではしかたない。創造的な人 間は飼い慣らされないから。殺されても生きるから。 なにかが欠けている。思いへの凝縮が。言葉だけがさまよっている場合が多い。心臓をひとさしに する・思いが広がる単純な言葉をこそ。勢いを、広がる思いをこめたその単純な言葉をこそ。その 迫力、そのしたたかな言葉をこそ。 社交俳句よ、くたばれよ。評価云々、先のこと。挨拶するなら、世界へと。一句の孤立を生きぬけ よ。まだみぬ「俳句」に爆死せよ。そこから、未来の種育つ。前衛もどきに、未来なし。後衛もど きに未来なし。己の泉汲むのみぞ。己の泉涌かすべし。 俳句の可能性を追求する。つまり俳句を選んだ以上は、俳句において自己表現の可能性を追求する こと。だめでもともと。われらの人生もまたしかり。やがて大地の塵となり、広大な時間の流れの 中ではすべては消えてゆく。それもよし。死ぬまで人生。死ぬまでの各人の生は可能性を秘めてい る。その可能性の中に、俳句の神が微笑むこともある。 大言壮語もいいが、感性を澄ませ対象をよくみて、自分の言葉で読上げること。 「もし作家が自分の心に孤独を所有することがなければ、僕らは自分の属している結社や指導者の 枠の中にはまりこんでしまい、ついに自分自身の俳句を創作することのない無自覚な作家として終 るであろう。」(福永耕二の随筆「カミユの死」) 万事、覚悟を決めること。だめでもともと。そこから何かが生れる。 平明さを。しかし、滋味を失ってはならぬ。リズムの支え。 虚子をめざせ。断じて、あの明治の大正の昭和の俳句界に君臨した専制君主の高浜虚子ではなく、 まして、単なる虚子のエピゴーネンをめざすのではない。一俳人の虚子。柔らかいこころの、懐の 深い虚子を心せよ。心の振幅を大きく保て。あらゆることを俳句に。俳壇という狭い世界を気にせ ず、平然と、堂々と俳句を作れ。 単に面白いだけの俳句、目先だけの新しい俳句の運命。琴線にふれる句をこそ。 一句をえるためには膨大な無駄を覚悟すること。掛値なく、膨大な無駄を重ねること。無駄を恐れな い。失敗を恐れない。その果てに見えるものを見つめて行く。 表現は単純に。大きく。自立する句を。 技巧を忘れてはならない。技巧にとらわれてはならない。 フランス十五世紀において、シャルル・ドルレアン風の詩を書き続けていくことが詩の伝統だと思 いこんだとしたら、間違うことになる。そんなことでは、あの豊かなヴィヨン詩は存在しえないこ とになる。伝統と言う言葉に萎縮してはならない。ヴィヨンだって、過去のさまざまな伝統的なも のを取入れながら、それに縛られず新しい詩を作ったのである。俳壇という伝統的制度のなかでの、 自由なる精神、ヴィヨン詩的存在の自己抹殺を恐れよう。 俳句は遊びである。俳句は、そもそも俳諧(おどけ。たわむれ。滑稽〈広辞苑〉)に由来する。そ してまた、人生も遊びである。死に至るまでの壮絶な、そしてたわいない遊びである。おのれの生 を賭けた遊びには、当然独特の軽みが伴うことになる。壮絶な、とともにたわいない遊びのかなた に見えてゆくものを、遊びながら見つめるのが、〈軽み〉の存在理由でもある。 人知らずして慍[いか]らず (孔子) 波瀾万丈 俳句に玄人は必要なのだろうか。確かに俳句も芸術の一ジャンルである以上俳句の伝統を守りつつ、 同時に新しい伝統をつくる本当の意味での玄人は必要である。ただ、自分なりの発見のない、せま い俳句観にとらわれ、単なる技巧に、単なる時流にたよる玄人は、歴史が証明しているように、い かにもてはやされようと、そのうち消えて行く。俳句の〈いわゆる〉玄人とは無縁の、句心のある 普通の人たちの共感する俳句こそ、俳句の未来を開いていくのではないか。(不易流行) 「二物衝撃」 意味を越えた世界の豊穣 「一物俳句」 意味だけではない世界の豊穣 小説や詩や絵画や音楽などの芸術の世界には、あらゆる主張があり、あらゆる可能性がありうる。 しかるに、俳句は「五七五・季語」という一つの窮屈な、単純な、世界しかないと思っている人が 多い。断じてそうではない。「五七五・季語」という表面的には窮屈と思える世界から見える豊か な世界が確実にあるはずである。そして、「あらゆる主張」を、ともすると封じようとする俳壇と いうばけものが一方にいるのは事実だ。 栄枯盛衰。走馬灯。夢の世。それにも関わらず人々は死ぬまで生き続けるのだ。死ぬまで何かをや ろうとするのだ。評価云々はその先だ。 一句でも二句でも心に残る句が残せれば幸いと、捨身の気持で、深刻にならず、心柔らかく句を詠 む。 「後ろめたさついでに言えば、俳人という肩書がつくことも後ろめたいね。この頃はみんな図々し くなってえらそうにしているけど、戦前なんかは恥しいぐらいのものだったからね。だいたい、俳 句でいっぱし結構だなんていうのは、一世紀に一人や二人ですよ。あとはみなジャミ(釣で言う小 魚のこと)。そいつらがつっぱって、かっこつけているのは滑稽ですよ。それに、俳句には専門的 な要素なんてどこにもありませんよ。俳人が専門家意識を持っちゃ、おしまいです。先生、先生つ て黄色い声で言われるのは、いい気分だけどね。俳人という看板を出している以上、この点はしっ かりと自戒しておかなければならないと思うね」 (飯田龍太 「太陽」1987年3月号) 「ほかの俳人に僕の句をほめられるよりも、俳句になんの関わりもない人にほめられる方がずっと うれしいね。」 (飯田龍太) 今まで生きてきた命の中でうたう。今見つめている命の中でうたう。あらゆることを思いだして、 あらゆることをなつかしみ、いとおしみ、眼前の生を見つめて。 ちっぽけな競争より真の芸術を。 本当の意味での俳句の面白さを伝える「俳諧師」の存在も貴重だ。 「プロ同士がいくら誉め合いをしていても、興味のない人には何ら感動を与えない、それが現在の 俳句だ。俳句を知らない人にも「何か」を感じさせることができる、そんな「詩歌としての俳句」が もっとあっていい。」 (石川仁木) 「説明的な表現を捨てた、思い切りのよい俳句、そして宇宙的を感じさせるスケールの大きな俳句に もっと出会いたいし、自分もそういう句を目指したいと願っています。」 (石田郷子) 「恐ろしい戦慄が走り出ない」(宋左近) 「下手でもいいんだ。何かやっているな、と僕に感じさせてくれればいいんだがそれもすくない。」 (藤田湘子) 豊穣と明解さ。明解さと豊穣。 大丈夫。いくらあせっても大詩人はそんなに出ないのだから。当世有名詩人になるのもいいだ ろう。当世有名詩人はそれなりの需要ががあるから、供給の関係で適当の人数ぶんだけの人がな れるだろうけどね。長い人間の歴史の中で、当世有名詩人と当世無名詩人の中から、ほんの時た ま、ほんのごくごく大詩人が出るだろうね時には瓢箪から駒の様にね。(もちろん詩を書いてな い人は大詩人にはなれないよ。詩人=俳人でもよい) 「でも、いい師、本当に作品本位で遊ばせてくれる先生は一人もいなかったな。そこが淋しかっ たね。」(永田耕衣)2009.11.14. 最近句集などを読む時間をある程度とっているせいか、俳句に対する思いが蘇ってきてい る。「老年の文学」としての俳句もまんざらではない。「若者」を排除するのではない。 「青春の文学」としての俳句も栄えて欲しい。ただ、年をへてきた年代にも表現形式として は有効なものと思える。思いを凝縮する。なにげない風景の中に、何かを感じ取り、表現する。 そういう思いを背景に、金子兜太『両神』を再読する。やや不良老年っぽいが、それも良い だろう。かつて「現代俳句抄」には 大前田英五郎の村黄落す (『両神』) 酒止めようかどの本能と遊ぼうか 長生きの朧のなかの眼玉かな 森の村闘鶏場にしんと人 などを収録している。 鴨渡る昔侠客いまは石 (『両神』) 蝉時雨わが肉に濃緑がしみる 禿頭のわれと並びし羽抜鶏 を、「現代俳句抄」に付け加えようと思う。 ついでに、『東国抄』からも。 よく眠る夢の枯野が青むまで (『東国抄』) 夢の中人々が去り二、三戻る 「天地大戯場」とかや初日出づ 鳥渡り月渡る谷人老いたり 秋の花すべてが消えて初日かな おかみに螢が一つ付いていた 今、ぼくは森の中に住んでいるせいか、亀虫、画眉鳥などを臭さや他の鳥の住環境を破壊す る点で憎みつつ嫌いつつ生活しているが、兜太は一緒に遊んでいるようで、そこが、にわか自 然人とは違うようだ。 筑紫磐井『婆伽梵』 この前テレビに筑紫磐井が出ていた。そういう時代になったのかと思った。 俳句はそこまで力まなくてもいいのに、そんなに古典的学識を披露しなくてもいいのにと思う ことがあるが、タイトルからしてその筋の句集である。力んでいる。背伸びしている「青春の文 学」である。 余計なことを言わずに、あえてとるとしたら、 唇を吸はれてしまふ螢狩 『婆伽梵』 になる。 清水哲男さんは、ホームページに筑紫磐井の 俳諧はほとんどことばすこし虚子 を引用して、「自己表現を自立させるためには,「虚子すこし」を担保にしては駄目なのだ。」と 指摘されているが、エピゴーネンとしてではなく、「虚子」つまり日本人の一典型の根っこを踏ま えての出発は別の豊穣さを生む気もする。2009.11.6. 図書館の新刊欄に、『カキフライが無いなら来なかった』(幻冬舎)があった。この前の NHKの読書の番組で話題になっていた本だ。借りた。 あまりおもしろいとは思わなかった。歳をとったせいかな。最近の若い作家の小説もほと んど面白いとは思わない。穂村というひとが帯に書いているという。図書館本のゆえ、帯は ない。インターネットで調べたら、正確かどうかしらないが、帯には“「無修正の心」 をありがとう。”と書いてあるらしい。わかったようなわからないような文だ。 <妄想文学の鬼才(又吉直樹)と、お笑いコンビ「ピース」の奇才(せきしろ)が詠むセン チメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句四百六十九句。散文二十七篇と著者二人の撮影によ る写真付き。文学すぎる戯言か お題のない大喜利か>と出版元の宣伝文が続くらしい。 「お題のない大喜利か」はすこしわかるが、「文学すぎる戯言」の「文学すぎる」がわから ない。 あえてあげれば、 早くも来世にかけている だが、無理にあげることもないような気がする。境涯性が効果を高める自由律俳句の難しさだ。 肺腑を絞り出すような作業の後、突き抜けたものが明るくでてくる。 俳句雑誌では、「俳句」、「俳句界」を読んでいるが、「俳句」9月号の一句をあらためて とりあげたい。 「俊英7句」の欄にのっている句だ。作者は「沖」所属以外はわからない。 しばらくは乳出すからだ麦の秋 小林奈穂2009.10.30. 『12の現代俳人論』(角川選書)を読む。12の俳論のあとにそれぞれ対象となっている 俳人の100句が掲載されている。「現代俳句抄」に追加をとも考えた。落としている句もある かと思ってのことだ。今回は飯島晴子、佐藤鬼房、橋本多佳子、石原八束の以下の句を追加した。 気がつけば冥土に水を打つてゐし (飯島晴子『平日』) 丹田に力を入れて浮いて来い 羽抜鶏胸の熱くてうづくまる (佐藤鬼房『瀬頭』) 青蘆原をんなの一生(よ)透きとほる (橋本多佳子『海彦』) 胸先にくろき富士立つ秋の暮 天上に昇らむと蝶生まれけむ (石原八束『雁の目隠し』)2009.10.28. 最近、今まで読んだ句集を含め、いわゆる俳句再読と新しい俳句を虚心に読むことを始める。 その中の一つとして、『寺山修司俳句全集』(新書館)を読む。今回新たに「現代俳句抄」に抄出 する句はみつからなかった。すでに五十句ばかり抄出している。2009.10.27. インターネット「田舎を楽しむ72の流儀」の「11月<味>」に、ぼくの俳句、 ■牡蠣殻の山をこえきて牡蠣を食ふ(佐々木敏光) が引用されていた。未刊句集『春の空気』掲載の句だ。 説明として「この時季、海辺の屋台で立ち食いする焼きガキがうまい。ヨーロッパでは紀元前か ら養殖されていたとも。日本では広島、宮城、有明海などが有名ですね。新鮮な生ガキにレモンと タバスコをかけるフランス風「オイスター・レモン」、小さ目のカキ5〜6個をスパイスで味付けし 、トマトジュースとウオッカを注ぐカクテル「オリンピア」をお試しあれ!」とある。 須原和男『川崎展宏の百句』を読む。「現代俳句抄」に、次の句を付け加えたい。 秋しぐれ上着を銀に濡らしける 川崎展宏(『義仲』)2009.10.25. 「俳句」「俳句界」の最近号などを読む。 春の夜や寄席の崩れの人通り 子規 に、出会う。なつかしい香りが立ち上がる。良き時代の良き俳句である。今まで取り落としていた。 打ち首はまだかまだかと夏芝居 岬雪夫 (「俳句」09年9月号) おもしろい俳句をつくる人だ。調べてみたら、他にも結構面白い句をつくっている。しかし、 「現代俳句抄」にとりあげたいのは、当面この句だけである。 火の山の裾に夏帽振る別れ 虚子 もあらためて気になったが、すでに取り上げているはずであり、取り上げていた。2009.10.23. 「サライ10月号 俳句特集」の巻頭「四季の名句」を掲載する。 最近は初心者のために俳句としてどんな句が紹介されるのか、その具体例としてあげるのだ。 選はサライ編集者(取材過程で俳人にたずねたりしただろうが)と思われる。 参考文献として、小学館『新編 日本古典文学全集』、講談社『新日本大歳時記』、新書館『現代の 俳人101』、学研『名句鑑賞辞典』があげてある。 しっかりした基礎をつくるには、リズムのしっかりした俳句が必要だ。最近、口誦性を無視した俳句 が多く、万人にリズムをもって訴えかける俳句、つまり覚えやすい、愛唱句があまりつくられていない ような感じがしてならない。ここらで、そのことをあらためて認識しなければならないのではないか。 その点、次の掲載句は裏切らない。目指すべき俳句となっている。 〈春〉 行く春や鳥啼魚の目は泪 (松尾芭蕉 1644〜94) 痩蛙まけるな一茶是に有 (小林一茶 1763〜1827) 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ (杉田久女 1890〜1946) 白梅のあと紅梅の深空あり (飯田龍太 1920〜2007) 〈夏〉 夏嵐机上の白紙飛び尽す (正岡子規 1867〜1902) 短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎 (竹下しづの女 1887〜1951) 頭の中で白い夏野となつてゐる (高屋窓秋 1910〜99) 愛されずして沖遠く泳ぐなり (藤田湘子 1926〜2005) 〈秋〉 折りとりてはらりとおもきすゝきかな (飯田蛇笏 1885〜1962) 暗く暑く大群衆と花火待つ (西東三鬼 1900〜62) 鳥わたるこきこきこきと缶切れば (秋元不死男 1901〜77) 葛の花むかしの恋は山河越え (鷹羽狩行 1930〜) 〈冬〉 去年今年貫く棒の如きもの (高浜虚子 1874〜1959) 水洟や仏具をみがくたなごころ (室生犀星 1889〜1962) 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり (久保田万太郎 1889〜1963) 降る雪や明治は遠くなりにけり (中村草田男 1901〜83) ぼくの「現代俳句抄」に無いのは、 水洟や仏具をみがくたなごころ (室生犀星 1889〜1962) だけである。ぼくが犀星の句を選ぶとすれば、〈冬〉なら、 ゆきふるといひしばかりの人しづか かなと思う。犀星は選ばないかも知れない。2009.10.14. 現「鷹」同人、轍郁摩さんから、『揚田蒼生全句集』を送っていただいた。 20数年前亡くなられた元「鷹」同人、轍さんの先達、揚田蒼生さんの句集だ。 ぼくの「鷹」の同人時代と、そしてまた、ホームページ「俳句とヴィヨン」を中断する以前は、句集を 送られることは多かった。ただ、それらの句集の句をぼくの「俳句抄」にいれることは、一部をのぞきほ とんどなかった。そもそもぼくの「俳句抄」は自分の俳句の勉強のためにメモ帳であった。 おそまきにパソコンをはじめ、なんとなくホームページをつくった。ホームページをつくるにあたって、 柱を俳句とヴィヨンと決め、その際、「俳句抄」として、メモ帳を独立させた。 ホームページは好評で、コンピュータ雑誌にすぐれたホームページとして紹介されたり、リンクの申し 出も次々にきた。 思いもかけないことがおこった。簡単ではあるが、英語、フランス語でも一部読めるようにしたが、英 語がよくなかった。「一ドルで百万長者」とかそれに類する英語のジャンクメールがパソコンの立ち上げ を邪魔にするほど来はじめた。実際パソコンが立ち上がらなくなった。アメリカ人は体力がありしつこい ことを実感した。 当然のようにメールアドレスを変えること考えた。そして、ホームページのURLも。当時は、サーバー は静岡大学だった。センターに相談すると、そもそもホームページのURLが、メールアドレスに直結して いて、いくら変えても、ジャンクメールを避けることはできないとのことだった。そこで、メールアドレ スだけ変えて、ホームページは閉鎖することにした。 その結果、静岡大学に佐々木の俳句のホームページはどうなったのか等、問い合わせが続いた。「フラ ンス文学案内」といった本にも、佐々木のヴィヨンに関するホームページは貴重だが、今はどういうわけ か閉鎖されているといった記述がでたりした。その後、何年かしてURLをかえ、ホームページ再開した。 今ではかつての一時的流行はおさまっている。ぼくサイドのあたらしい情報を加えることもすくなくて、 静かすぎるぐらいだ。 話題がそれてきた。要するに「俳句抄」は、佐々木の個人的なメモであった。俳句を含む文芸には価値 判断の基準があるようで実はない。とくに俳句のような短詩型はほとんどない。結局は選択の基準は個人 の好みとしかいいようがない。もちろん時をへれば、残るものは残り、万人の好むものがあきらかになる ことはある。短詩型としての俳句の命運がつきようとしている今、俳句もお花のようにけいこごとに堕し ようとしている今、俳句の先生はテレビに、ちまたにあふれいる今、俳句がないわけではないが、実質的 にはほとんどないといっていい今、ぼくの「俳句抄」も新しくはその広がりをもたなくなっている。 もちろん、伝統的には俳句の黄金時代はあった。クラシック音楽の黄金時代があったように。そして、 胸に秘めた思いを俳句で伝えたたい人々が俳句に賭けようとするその思いも依然としてある。 ただ、藤田湘子もよんだように ゆくゆくはわが名も消えて春の暮 が、時代的にいって、客観的な俳句の運命かもしれない。 もちろん、飯田龍太がいった「俳句は無名がいい」という無名としての俳句の強さは依然としてあり、 その中で残ってゆく俳句作品もあるのは間違いない。 それた話題をもとにもどすと、要するにいただいた句集の句を久しぶりに「俳句抄」にいれようとして いるのである。 いただいた句集から選んだ例は、吉沼等外さんの句集がある。 水着踏む姦淫犯したるに似て (『笑意』) どんぐりの単純すこしづつちがふ 砲丸のドスンと寒の明けにけり おさすり場おまたぎ場とて囀れり (天城湯ヶ島 明徳寺) 傘さしてお山開に加はれり お水取悪僧面の減りにけり うららかや川が曲がれば汽車曲がる 生涯に何歩あゆむやいわし雲 その後、平易だが平凡ではない等外さんの句が、ぼくの選んだ句を中心に言及される場面にも出会った りした。よかったと思っている。 さて、『揚田蒼生全句集』であるが、轍郁摩さんが句集を送られた想い、先達への想いも十分わかる。 そこで、ぼくの「俳句抄」には、「特別席」を設けて轍郁摩さんの選出をまずのせることにした。 揚田蒼生(元「鷹」同人。現「鷹」同人、轍郁摩さんの先達。) 父いくたび東にまわり野火防ぐ (『揚田蒼生全句集』轍郁摩さん選出) 青萱ゆれ少年の手の創は華 鶏頭にふれては僧の夕狂ひ さなぶりの絵皿もちよる土佐大津 雪ぬれの竹かつぎこむ死者の家 冬暁の馬とどまれば烟るなり 残雪やまつりをとこの薄化粧 春の暮こよなく水の溶け合ふも 身に迫る愛別離苦や柘榴の実 闘病の夜明け冴えたり鼻柱 余命もし得たらひつぢ田にて逢はむ そして、佐々木選として 野遊びの一人ふえたる愁かな (『揚田蒼生全句集』佐々木敏光選出) を掲載した。ぼくは もう一人の自分、自分のドッペルゲンゲル(分身)を見いだした愁いをそこに見た。 個人の好みとしかいいようのない勝手な選である。2009.10.5. 最近読んでいる俳句雑誌は、「俳句」、「俳句界」だけである。購読しているわけではない。定年 以来、図書館にいくことが多く、蔵書スペース確保、経費節約の為もあり図書館で読んでいる。 問題は句集だが、あらためて句集を買う習慣はなくなっている。図書館に新しい句集が入っていれ ば僥倖である。そして僥倖はほとんどおとずれない。 年も年だから、新しがってもしかたない。持っている句集(蔵書スペース確保のため、人にあげた り処分した俳句全集、句集は結構多い)を読み返したりする。他にやることも多く、句集だけを読ん でいるわけにはいかないのは仕方がない。ただ、句作だけは「富士百句」を時間をたっぷりかけよう と思っている。 さて「俳句界 9月号」。特集「今こそ抒情俳句の復興を!」。「抒情俳句50句 虚子から現代 まで」がある。この50句の中からぼくのホームページの「俳句抄」に載っていない句をみつけるの は難しい。湘子の「愛されずして沖遠く泳ぐなり」もある。安堵するとともに、湘子の豊かな世界に 気づかず、この句だけを評価する俳句界のきまり切った反応に少しの疲れを覚える。またこの句をこ きおろす俳人もいて、当たり前のことだが、俳句の世界は広い。 「話題の新鋭」の記事もある。奇しくも「鷹」新編集長の高柳克弘についての記事である。「自選 十句」もある。 ことごとく未踏なりけり冬の星 つまみたる夏蝶トランプの厚さ 面白いと思った二句である。ただし、「俳句抄」で取り上げたいのは、「ことごとく未踏なりけり 冬の星」だけである。この句はすでに接したことがあるが、あらためて、理屈を超え、輝いて目にと びこんで来た。2009.9.30. 久しぶりで、「現代俳句抄」に掲載してもいい句集とであった。去年すでに一部で話題になって いたようだが、ぼくは今では、今浦島であるとしかいいようがない。 間村俊一『鶴の鬱』である。 裏山にかげろふを飼ふ女かな 人妻にうしろまへある夕立かな 天上に瀧見しことや鶴の鬱 かりがねや贋金づくりにも厭きて 悦樂園本日閉店初時雨 春深し卍に開く人の妻 湯豆腐やもうひとりゐる氣配して 二人目ものつぺらぼうなり土手の雪 饅頭の薄皮に差す冬日かな 必ずしもその方面をめざしているわけではないが、以下のぼくの句と重なる世界もあるようだ。 『春の空気』より 首長き女五月の坂おり来 まぶた閉じ落花あびゐる女かな 冬菊を壺に挿す指吸ひたしよ 毛衣や巴里女の胸の量 Tシヤツに豊胸透ける夕立かな 胸はつか見せて焚火の乙女かな 「富士百句」すこしずつ進めている。時間をゆっくりかけたい。観察を続け、熟成をまつ。 発表はしばらく御預けにしておきたい。2009.9.14. 長谷川櫂句集『富士』 ◎長谷川櫂自選10句 天上を吹く春風に富士はあり よき人のよき音をたて初湯かな 春眠や五つの欲のすこやかに 山はみな浮きつ沈みつ桜かな ごつとある富士こそよけれ更衣 やすらかに人とほしたる茅の輪かな 乾坤のぐらりと回り秋に入る 月光に転がつてゐる露の玉 煮凝やわだつみの塵しづもれる 大年の何もかも掃く帚かな 更新も、間があくと書きにくくなる。そこで、最近関心のある富士に因んで長谷川櫂句 集『富士』◎長谷川櫂自選10句を掲載してみた。(ただ「天上を吹く春風に富士はあり」 以外『現代俳句抄』にあらたに加える気がしないのはさびしい。) なにしろほとんど毎日、見える日も、見えない日も、富士のそばにいるのだ。この春、 定年を機に、朝霧高原の一隅に移り住み、半年がたとうとしている。 近頃、「富士百句」を考えている。旧作としては、 富士へ鷹駿河日和と申すべし 浮世絵のごとく初富士初御空 真つ白きマストの断てり冬の富士 舞ひ上がり富士荘厳の落花かな 風死せり富士山麓にくも殺す 正面に黒き富士立つ噴井かな はればれと桃の花あり遠き富士 真輝く雪の富士なり反省す が、あるが、根元的なところで、富士をとらえたい。前回「大森荘蔵の最晩年の文章「天地 有情」(正確には「自分と出会う」)があらためて気になって」いると書いたが、それと通 底するものを目指したい。といっても、俳句や文芸は、思想や哲学の説明のためにあるので はなく、あくまでも感動を伝えるためのものであることはこころえておかねばならない。 「事実は、世界そのものが、既に感情的なのである。世界が感情的であって、世界そのも のが喜ばしい世界であったり、悲しむべき世界であったりするのである。自分の心の中の感 情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景にすぎな い。 (中略) 簡単に云えば、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。その天地の地続きの我々 人間も又、その微小な前景として、その有情に参加する。それが我々の「心の中」にしまい 込まれていると思いこんでいる 感情に他ならない。」 (「大森荘蔵「自分と出会う」) この大森の文章について詳しく言及するのは難しい。それはそのうち別な形でおこないた い。 文脈的にはややちがうが、花鳥諷詠(自然諷詠)の俳句の高浜虚子の俳句のバックボーン に「天地有情」があるのは、『虚子俳話』などにも、「天地有情」についての文章があるの を見ても明らかである。 「天地有情といふ。(科学は関せず) 天地万物にも人間の如き情がある。 日月星辰にも情がある。 禽獣蟲魚にも情がある。 木石にも情がある。 畢竟人間の情を天地万物禽獣木石に移すのである。 詩人(俳人)は天地万物禽獣木石に情を感ずる。 (中略) 天地有情といふ。(遠き未来には科学もまたこれを認めるかもしれぬ。)」 (『虚子俳話(続)』) 稲畑汀子は『虚子百句』の「あとがき」で虚子のアニミズム的な目にふれて「そのことは 虚子のおはこのスローガン、「天地有情」を見ても明らかである」と書いているが、虚子の ひ孫の坊城俊樹氏は「虚子伝来」と副題のある「空飛ぶ俳句教室」(インターネット版)で、 「「天地有情」という言葉。 (中略) これが虚子の遺言であることは、私の勝手なる想像だけれども今まで誰も言ったことが ない。 かなりお買い得な情報と思うけれど。」と素直に述べている。気になる書き方でもある。 なお、天地有情は、禅などでよく使われるいわれる天地同根、万物一体と重なるものでも あり、別な意味で大いに気になってきたが、簡単に結論めいたことは言えない。まだ、自分 の中で醗酵させる必要がありそうだ。 現在、フランス文学の読書では、モンテーニュにしぼっている。モンテーニュを浮き立た すため、同時に東洋思想の読書もすすめているが、今、陽明学に集中していて、王陽明『伝 習録』にも「天地万物一体」がでてくるが、簡潔には、まとめられない。これもそのうちに 触れてみたい。宿題である。 いずれにしろ、天地と一体になって生きる広がりを思う。 さて、俳句とは直接の関係はないが、女房の友だちが、映画『ヴィヨンの妻』が、モント リオール映画祭で、監督賞を受賞した旨の新聞記事の切り取りを妻にわたしてくれたとのこ とだ。『ヴィヨンの妻』の映画が作られていることを知ってはいたが、監督賞とかそんな局 面にいっているとは知らなかった。『ヴィヨンの妻』は、わが著書『ヴィヨンとその世界』 の「第六章」でも扱っている。この機会にわが著書『ヴィヨンとその世界』がすこしでも関 心をもたれたらなあとついつい思ってしまう。2009.7.1. 一ヶ月のフランス滞在を終えて、二週間以上たった。 ぼちぼち俳句をよみ(読み・詠み)始めている。帰ってから、大森荘蔵の最晩年の文章 「天地有情」(正確には「自分と出会う」)があらためて気になって、大森をはじめ関連 する哲学書を、「がらにもなく」読み始めることになった。「天地有情」は豊かな文章で ある。大森がたどりついた平凡だが刺激的な境地である。だがそれ以前の大森哲学となる と疲れる。哲学はどうもにがてである。大森が言うように哲学は哲学病にかかった人がや る特殊なジャンルのようにも思えてくる。文学だってそうかも知れないが。 『虚子俳話』にも「天地有情」の文章がある。そのあたりのことは、禅を含めてそのう ちくわしく書いてみたい。 見るうちに人ふえ夏の濱となる 虚子『七百五十句』 明易や花鳥諷詠南無阿弥陀 虚子『七百五十句』(現代俳句抄収録) この池の生々流転蝌蚪の水 (現代俳句抄収録) 傷一つ翳(かげ)一つなき初御空 (現代俳句抄収録) まくなぎや人の怒を得て帰る 高柳重信 『前略十年』 エンゼル・フィッシュ床屋で眠る常識家 川崎展宏 『葛の葉』 『田中裕明全句集』、柔らかい。未見の幸のにおう句も多い。冥福をあらためて祈りたい。2009.4.25. 原点にもどっての句作。言うがやさしく、実行は難しい。 最近短歌について考えてみる機会があった。 かつて、その饒舌さに飽きて、短歌を離れた。 俳句との関係では、その素朴さ、単純さにおいて、あらためて万葉集が思われる。 日本が若かったころ、素直な心から素直な歌が生まれていた。自然との直載的な交流。 石(いは)激(ばし)る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春に なりにけるかも 志貴皇子 春の苑 紅にほふ桃の花 下照(で)る道に 出で立つ乙女 大伴家持 うらうらに照れる春日に 雲雀あがり 心かなしも 独(ひと)りし思へば 大伴家持 そして、抒情としての短歌が生き生きと立ち上ってくる。 また、斎藤茂吉の万葉調の歌も思い出される。 最上川逆白波(さかしらなみ)のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも 「白き山」2009.4.12. 桜の季節は続く。 俳句再開を自覚している。ノートに書き留め、熟成を待つ。芭蕉をはじめ、養分となりうる ものを謙虚に読む。自然を見つめ、自然はすばらしいとともに、恐ろしいという自覚を持つ。2009.4.6. 桜の季節だ。我家も視角300度にわたって、咲き満ちる桜の世界だ。 ついつい一茶の「此のやうな末世を桜だらけかな」が思い出される。 ただ、もっとポジティブなものを追求したいものだ。せっかく生まれてきたのだ。 生きていることをことほぐことがあってもいい。せめてこの自然、この大宇宙を。 このホームページに「極小歳事記」があるが、その桜の部分を引用(コピー)しておこう。 花(桜・春) (葉桜、桜の実(夏)等も、また花衣、花冷え(春)等の句も引用。 帰り花(冬)は桜とは限らないので引用しません。) 芭蕉 姥桜さくや老後の思ひ出(いで) うかれける人や初瀬の山桜 糸桜こや帰るさの足もつれ 草履の尻折りてかへらん山桜 木の葉散る桜は軽し檜木笠 命二つの中に生きたる桜哉 思ひ立つ木曽や四月の桜狩り 初桜折しも今日はよき日なり さまざまの事思ひ出す桜かな 吉野にて桜見せうぞ檜木笠 扇にて酒くむ陰や散る桜 声よくば謡はうものを桜散る 桜狩り奇特(きどく)や日々に五里六里 桜より松は二木を三月越し 夕晴や桜に涼む波の華 木(こ)のもとに汁も鱠も桜かな 年々や桜を肥やす花の塵 両の手に桃と桜や草の餅 春の夜は桜に明けてしまひけり 京は九万九千くんじゆの花見哉 春風に吹き出し笑ふ花もがな きてもみよ甚兵(じんべ)が羽織花衣 (注)「きてもみよ」:「き」は「着」と「来」の掛詞。 「羽織」は「我折り」(降参する)をもじっている。 初花に命七十五年ほど 待つ花や藤三郎が吉野山 阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍 花にやどり瓢箪斎と自(みづか)らいへり 二日酔(ゑ)ひものかは花のあるあひだ 花に酔(ゑ)へり羽織着て刀さす女 盛りぢや花に坐(そぞろ)浮法師ぬめり妻 艶ナル奴今様花に弄斎(ろうさい)ス 花にうき世我酒白く飯黒し 樫の木の花にかまはぬ姿かな 辛崎の松は花より朧にて 観音のいらか見やりつ花の雲 花咲きて七日鶴見る麓哉 花にあそぶ虻な喰ひそ友雀 花の雲鐘は上野か浅草か 二日にもぬかりはせじな花の春 紙衣(かみぎぬ)の濡るとも折らん雨の花 花を宿に始め終りや二十日ほど このほどを花に礼いふ別れ哉 花のかげ謡(うたひ)に似たる旅寝哉 日は花に暮れてさびしやあすならう なほ見たし花に明け行く神の顔 鐘消えて花の香は撞く夕哉 薦(こも)を着て誰人います花の春 種芋や花の盛りに売り歩(あり)く 一里はみな花守の子孫かや 奈良七重七堂伽藍八重ざくら くさまくらまことの華見しても来よ 四方より花吹き入れて鳰の波 年々や桜を肥やす花の塵 呑み明けて花生にせん二升樽 しばらくは花の上なる月見かな 花に寝ぬこれも類(たぐひ)か鼠の巣 蝙蝠も出でよ浮世の華に鳥 蕪村 桜狩美人の腹や減却す 苗代や鞍馬の桜ちりにけり 来て見れば夕の桜実となりぬ さくらより桃にしたしき小家哉 さくら散苗代水や星月夜 実ざくらや死のこりたる菴(あん)の主 旅人の鼻まだ寒し初ざくら 海手より日は照つけて山ざくら ゆく春や逡巡として遅ざくら 花の香や嵯峨のともし火消る時 花ちりて木間の寺と成にけり みよし野のちか道寒し山桜 花に暮て我家遠き野道かな 花ちるやおもたき笈(おひ)のうしろより 鴬のたまたま啼や花の山 ひとつ枝に飛花落葉や冬ざくら 一茶 夕桜家ある人はとくかえる 此のやうな末世を桜だらけかな 夕ざくらけふも昔に成にけり 花さくや目を縫はれたる鳥の鳴く かう活きて居るも不思議ぞ花の陰 さく花の中にうごめく衆生かな 年寄の腰や花見の迷子札 花の影寝まじ未来が恐ろしき かんこ鳥しなのゝ桜咲きにけり 《雑》 月花や四十九年のむだ歩き (注)月花:季感はない。風雅を代表する語として用いている。 『古典俳句抄』 落花枝にかへると見れば胡蝶哉 荒木田守武 花よりも団子やありて帰る雁 松永貞徳 天も花にゑへるか雲のみだれ足 野々口立圃 (注)ゑへるか:酔っているからだろうか。 やあしばらく花に対して鐘つく事 松江重頼 (注)せっかくの花ざかりなのに、鐘をつけば花が散ってしまうではないかと。 これはこれはとばかり花の吉野山 安原貞室 一僕とぼくぼくありく花見哉 北村季吟 地主からは木の間の花の都かな 同 ながむとて花にもいたし頸の骨 西山宗因 見かへれば寒し日暮の山桜 小西来山 骸骨のうへを粧(よそひ)て花見かな 上島鬼貫 花散て又しづかなり園城寺 同 花守や白き頭をつき合せ 向井去来 何事ぞ花見る人の長刀 同 一昨日(おととひ)はあの山こえつ花ざかり 同 ある僧の嫌ひし花の都かな 野沢凡兆 はなちるや伽藍の枢(くるる)おとし行く 同 苗代の水にちりうくさくらかな 森川許六 肌のよき石にねむらん花の山 斉部路通 水鳥の胸に分けゆく桜かな 浪化 世の中は三日見ぬ間に桜かな 大島蓼太 ゆさゆさと桜もてくる月夜かな 鈴木道彦 見かへればうしろを覆ふ桜かな 三浦樗良 さくら散る日さへゆふべと成にけり 同 人恋し灯ともしごろをさくらちる 加舎白雄 井戸ばたの桜あぶなし酒の酔(ゑひ) 小川秋色 桜々散つて佳人の夢に入る 上田無腸(秋成) 葉桜のうへに赤しや塔二重 唯人 『現代俳句抄』 咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 高浜虚子 ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな 村上鬼城 てのひらに落花とまらぬ月夜かな 渡辺水巴 うすめても花の匂の葛湯かな 同 ぬぎすてし人の温みや花衣 飯田蛇笏 花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月 原石鼎 山桜雪嶺天に声もなし 水原秋桜子 水の上に花ひろびろと一枝かな 高野素十 花冷えの闇にあらはれ篝守 同 空をゆく一かたまりの花吹雪 同 山叉山山桜叉山桜 阿波野青畝 城を出し落花一片いまもとぶ 山口誓子 咲きいづるや桜さくらと咲きつらなり 荻原井泉水 あすはかへらうさくらちるちつてくる 種田山頭火 風に落つ楊貴妃桜房のまま 杉田久女 むれ落ちて楊貴妃桜尚あせず 同 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ 同 夕桜あの家この家に琴鳴りて 中村草田男 夕桜城の石崖裾濃なる 同 桜の実紅経てむらさき吾子生る 同 ときをりの風のつめたき桜かな 久保田万太郎 したゝかに水をうちたる夕ざくら 同 人の世の悲しき櫻しだれけり 同 一もとの姥子の宿の遅ざくら 富安風生 まさをなる空よりしだれざくらかな 同 じやんけんの白き拳や花衣 日野草城 研ぎ上げし剃刀にほふ花ぐもり 同 満月の照りまさりつつ花の上 同 中空にとまらんとする落花かな 中村汀女 ゆで玉子むけばかがやく花曇 同 行く方にまた満山の桜かな 同 チチポポと鼓打たうよ花月夜 松本たかし さくらの芽のはげしさ仰ぎ蹌ける 石田波郷 夜桜やうらわかき月本郷に 同 花散るや瑞々(みづみづ)しきは出羽の国 同 花冷の包丁獣脂もて曇る 木下夕爾 ちるさくら海あをければ海へちる 高屋窓秋 めんどりよりをんどりかなしちるさくら 三橋鷹女 夜の桜満ちて暗くて犬噛合ふ 西東三鬼 生涯は一度落花はしきりなり 野見山朱鳥 淡墨桜風たてば白湧きいづる 大野林火 山ざくら水平の枝のさきに村 同 一燈にみな花冷えの影法師 同 落花舞ひあがり花神の立つごとし 同 田にあればさくらの蕊がみな見ゆる 永田耕衣 大脳のよろめきに照る桜かな 橋石 葉桜の下帰り来て魚に塩 細見綾子 硝子器を清潔にしてさくら時 同 相会ふも桜の下よ言葉なし 同 葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原梵 花冷えや老いても着たき紺絣 能村登四郎 ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く 桂信子 さくら咲き去年とおなじ着物着る 同 曇天の山深く入る花のころ 同 花あれば西行の日とおもふべし 角川源義 さくら咲きあふれて海へ雄物川 森澄雄 咲き満ちて風にさくらのこゑきこゆ 同 われ亡くて山べのさくら咲きにけり 同 人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太 (注)桜、林檎、梨の花など一斉に咲き乱れる。ここでは桜を主とした句として引用。 満開のふれてつめたき桜の木 鈴木六林男 遠景に桜近景に抱擁す 同 花篝戦争の闇よみがえり 同 谷川の音天にある桜かな 石原八束 遠(を)ちの枯木桜と知れば日々待たる 野澤節子 さきみちてさくらあをざめゐたるかな 同 身のうちへ落花つもりてゆくばかり 同 さくらしべ降る歳月の上にかな 草間時彦 雪山のどこも動かず花にほふ 飯田龍太 観桜や昭和生れの老人と 三橋敏雄 本丸に立てば二の丸花の中 上村占魚 小松宮殿下の銅像近き桜かな 高柳重信 空鬱々さくらは白く走るかな 赤尾兜子 晩年は桜ふぶきといふべかり 中村苑子 今頃は桜吹雪の夫の墓 飯島晴子 花筏やぶつて鳰の顔のぞく 飴山實 夕空を花のながるる葬りかな 同 花掃いて流れにすゝぐ竹箒 同 残生やひと日は花を鋤きこんで 同 光陰のやがて薄墨桜かな 宇佐美魚目 東大寺湯屋の空ゆく落花かな 同 江戸桜いらざる句々を散らしけり 加藤郁乎 家桜かざらぬひとは宝なり 同 むつつりと上野の桜見てかへる 川崎展宏 つねに一二片そのために花篝 鷹羽狩行 花冷えや昼には昼の夜には夜の 同 桜咲く磯長(しなが)の国の浅き闇 原裕 十一面観音桜見にゆかん 同 花の道つゞく限りをゆくことに 稲畑汀子 まぼろしの花湧く花のさかりかな 上田五千石 紅葉して桜は暗き樹となりぬ 福永耕二 花冷えや履歴書に押す磨滅印 同 法医学・桜・暗黒・父・自 寺山修司 睡りても大音響の桜かな 角川春樹 西方へ灯る薄墨桜かな 同 その奥も咲きてしづもる桜かな 同 いつぽんの大きく暮れて花の寺 同 いにしへの花の奈落の中に座す 同 桜散るあなたも河馬になりなさい 坪内稔典 列島をかじる鮫たち桜咲く 同 湧きかけし白湯の匂ひや夕桜 長谷川櫂 荒々と花びらを田に鋤き込んで 同 手をつけて海のつめたき桜かな 岸本尚毅 一陣の落花が壁に当る音 同 湧き立ちてしばらく見ゆる落花かな 同 今日ばかり花もしぐれよ西行忌 井上井月 春暮るゝ花なき庭の落花かな 池内たけし よき家に泊まり重ねて朝桜 高浜年尾 みよしのの百花の中やひそと著莪 及川貞 さくら咲き心足る日の遠まわり 林翔 父といふ世に淡きもの桜満つ 堀口星眠 葉桜や家出をおもひ家にゐる 中尾寿美子 廃校の母校の桜吹雪かな 山田みづえ 川のはじまりうつとりと花盛り 松沢昭 生誕も死も花冷えの寝間ひとつ 福田甲子雄 夕ざくら髪くろぐろと洗ひ終ふ 鷲谷七菜子 さくらんぼ笑(えみ)で補ふ語学力 橋本美代子 石段波の秀の高きに崩れ花の昼 斎藤梅子 花筏行きとどまりて夕日溜む 宮津昭彦 耕人に傾き咲けり山ざくら 大串章 ミス卑弥呼準ミス卑弥呼桜咲く 茨木和生 さくら咲く氷のひかり引き継ぎて 大木あまり さくら咲く山河に生まれ短気なり 同 守るべき家ありどつと花の冷え 同 わが祖国愚直に桜散りゆくよ 大井恒行 一本のすでにはげしき花吹雪 片山由美子 わたくしの骨とさくらが満開に 大西泰世 盛装し下着はつけず観る桜 江里昭彦 曇りのちさくらちりゆく大和かな 大屋達治 夜のさくらわれは全裸となり眠る 和田耕三郎 はればれとわたしを殺す桜かな 四ッ谷龍 人にまだ触れざる風や朝桜 星野高士 夜桜やひとつ筵に恋敵 黛まどか 胸そらしそのまま染井吉野かな 五島高資 母こひし夕山桜峰の松 泉鏡花 葉桜や人に知られぬ昼あそび 永井荷風 機関車の蒸気すて居り夕ざくら 田中冬二 滑り台児らがすべれば花吹雪 吉屋信子 煙草きらして花の下にて我転ぶ 清水哲男 (余白) まぶた閉じ落花あびゐる女かな (佐々木敏光) 花の塵風に流して遊びけり 花冷えや都大路を喪服きて ひとひらの落花に乗せし心かな 新幹線桜吹雪に突入す 舞ひ上がり富士荘厳の落花かな 山の子は挨拶上手桜咲く 葉桜の空日輪を愛すかな たましひの桜吹雪となりにけり2009.3.12. 俳句をもういちど素直にみてみよう。 芭蕉を、蕪村を、時間をかけてじっくり読みなおすこと。再出発のために。 また、次の二つの文章をよく噛み締めること。 「客観描写を透して主観が浸透して出てくる。」高浜虚子 「俳句の感銘というものは、きわめて直感的なもの。一読胸にひびき、六腑にしみ わたって間髪を入れないものであり、くどくど説明することによって成る程と合 点するような作品は、所詮二流品である。」飯田龍太 そして、自然とともに、この世を美しいものとして見るこころを。 角川春樹『漂泊の十七文字』。刺激的な本である。ただ、採用されている句は「不易 流行」の一時流行の一面的で決まりきった現れ(寺山忌、修司忌など)がやや突出して おり、また、一行の詩の一行の詩という観念のみが巨大化し、クリシェ化しすぎている ようで、自立した俳句としてとりあげるのは、しばらく時間をおきたい。 『俳句3月号』「実作の鏡としている10句」 湘子先生の2句 愛されずして沖遠く泳ぐなり うすらひは深山へかへる花の如 を二人の俳人が選んでいる。「鷹」に所属していたことのある書き手も何人かいたが、 湘子の句は選んでいない。それでいいのだろう。それぞれの道をゆくのみだ。 鷹羽狩行『名句案内』から、未選出の句を選出する。 鴬のけはひ興りて鳴きにけり 中村草田男「長子」 初牛の祠ともりぬ雨の中 芥川龍之介「芥川龍之介句集」 野遊びや肘つく草の日の匂ひ 大須賀乙字「乙字句集」 蜆舟少しかたぶき戻りけり 安住敦「午前午後」 水むるむ主婦のよろこび口に出て 山口波津女「馬酔木。」 春愁やかたづきすぎし家の中 八染藍子「園絵」 菜の花の暮れてなほある水明かり 長谷川素逝「暦日」 永き日のなほ永かれと希(ねが)ひけり 相生垣瓜人「明治草」 やはらかく山河はありぬ鳥の恋 井上弘美 麦笛やおのが吹きつつ遠音とも 皆吉爽雨「雪解」 世の中を美しと見し簾かな 上野泰「春潮」 夏の月いま上がりたるばかりかな 久保田万太郎「久保田万太郎句集」 長き夜のところどころを眠りけり 今井杏太郎「麦藁帽子」 星ぞらのうつくりかりし湯ざめかな 松村蒼石「老鴬抄」 廻り道して富士を見る年賀かな 五所平之助「五所亭句集」2009.3.8. 稲畑汀子『虚子百句』を読む。まだ選出していない句の中からえらぶ。 時ものを解決するや春を待つ 『五百句』 凍蝶の己が魂追うて飛ぶ 『五百句』 人間吏となるも風流胡瓜の曲るも亦(また)『五百句』 静けさに耐へずして降る落葉かな 『五百五十句』 籐椅子にあれば草木花鳥来(らい) 『五百五十句』 深秋といふことのあり人も亦(また) 『六百句』 造化又赤を好むや赤椿 『六百五十句』 明易や花鳥諷詠南無阿弥陀 『七百五十句』 この池の生々流転蝌蚪の水 『七百五十句』 脱落し去り脱落し去り明の春 『七百五十句』 傷一つ翳(かげ)一つなき初御空 『七百五十句』2009.3.2. 愚痴をいってもはじまらない。唐突だが、素直になろう。 『2008年版 俳句年鑑』「池田澄子100句選」から。 家のほか帰る場所なし春の雨 高田正子 黒揚羽三度現れ三度消ゆ 大串 章 草原のかぜ虫籠をとほりけり 高柳克弘 秋の妻数かぎりなき人の中 岸本尚毅 寒禽のしづかにゐしが立ちにけり 岩田由美 逝きし人惜しみはづしつ賀状書く 宗田安正2009.2.28. 『2008年版 俳句年鑑』からあらためて選んでみる。 猪突など遠き日のこと初日浴ぶ 林翔 お向かいの妙にしずかな三日かな 宇多喜代子 水仙が咲けば月夜も匂ふなり 星野椿 亀鳴くやみんなやさしく年とつて 黒田杏子 鷹鳩と化すやともあれ薄化粧 岩永佐保 初春や生きて伊勢えび桶の中 長谷川櫂 きちきちと鳴いて心に入りくる 大木あまり まな弟子のわれも一人や翁の忌 森澄雄 開くページから立ち上がり、ここにわれありと迫ってくる句があまりない。時代な のかなあ。一応できてますという句がほとんどだ。 といっても、頭高手低だときりかえされたら、いや頭低手低でとはぐらかすより他 はないのだが。2009.2.26. 俳句2月号特集「いま注目する俳句と俳人 ──俳壇の新しいテーマや潮流はこ れだ!──」から選んでみた。『2008年版 俳句年鑑』から主に選出されている。 選出の選出というわけだ。ただ、これらが本当に「新しいテーマや潮流」であるか どうかは、今の所なんとも言えない。作者には年輩者が結構多い。 ふらここに座れば木々の集れり 井上弘美 数へ日や一人で帰る人の群れ 加藤かな文 今もなほ敵は己や老の春 深見けん二 着膨れの中は裸よただ歩く 和田悟郎 死のひかり充ちてゆく父寒昂 正木ゆう子 花を待つひとのひとりとなりて冷ゆ 黒田杏子 人間を沈めて白し花の山 柴田佐知子 花冷や鳥打帽のひとさらひ 小澤實 湯豆腐や行くことのなき荒野見え 齋藤慎爾 ひと遠く自分も遠いとおい夏 津沢マサ子 貧しくて美しき世をこひねがふ 筑紫磐井2009.2.2. すでに、「現代俳句抄」などで、また、古典を含めけっこう抄出しているので、 やや低調と思える現俳句世界からあらたな感動をもっての抄出は難しい。しかし こころみなければならない。そのための助走、いくつか。本格的には、春が過ぎ たころになる。 富士の句を改めて選択的に集めて行きたい。富士朝霧高原の一角の森の中に定 住することになるのも動機の一つだ。今までは、ホームページ「俳句」の「極小 歳事記」に「富士」の項目として次の句をあげていた。やがて、いっそうの充実 を考えている。 富士 (四季の富士山) 芭蕉 雲を根に富士は杉形(すぎなり)の茂りかな (夏・茂り) (注)「雲を根に」:雲の上に。「杉形」:杉の木の大きくそびえたような形。 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き (秋・霧) 雲霧の暫時(ざんじ)百景を尽しけり (秋・霧) 一尾根はしぐるる雲か富士の雪 (冬・時雨) 富士の風や扇にのせて江戸土産 (夏・扇) (注)富士の風:涼しい富士颪。 目にかかる時やことさら五月富士 (夏・五月富士) 蕪村 飛蟻(はあり)とぶや富士の裾野の小家より (夏・羽蟻) 不二ひとつうづみ残してわかばかな (夏・若葉) 不二を見て通る人有(あり)年の市 (冬・年の市) 一茶 なの花のとつぱずれ也ふじの山 (春・菜の花) 夕不二に尻を並べてなく蛙 (春・蛙) 元朝の見る物にせん富士の山 山崎宗鑑 (新年・元朝) 富士に傍(そう)て三月七日八日かな 伊藤信徳 (春・三月) によつぽりと秋の空なる富士の山 上島鬼貫 (秋・秋の空) 我が門(かど)に富士を見ぬ日の寒さかな 和田希因 (冬・寒さ) 『現代俳句抄』 この道の富士になりゆく芒かな 河東碧梧桐(秋・芒) ある夜月に富士大形の寒さかな 飯田蛇笏 (冬・寒さ) 死火山の膚つめたくて草いちご 同 (夏・草いちご) 鯊釣や不二暮れそめて手を洗ふ 水原秋桜子(秋・鯊釣) 獅子舞は入日の富士に手をかざす 同 (新年・獅子舞) 眠る山或日は富士を重ねけり 同 (冬・山眠る) 初富士を隠さふべしや深庇 阿波野青畝(新年・初富士) 日本の霞める中に富士霞む 山口誓子 (春・霞) 初富士の大きかりける汀かな 富安風生 (新年・初富士) 赤富士に露滂沱たる四辺かな 同 (夏・赤富士) 初富士のかなしきまでに遠きかな 山口青邨 (新年・初富士) 夕みぞれいつもは不二のみゆるみち 久保田万太郎(冬・みぞれ) 富士秋天墓は小さく死は易し 中村草田男(秋・秋天) 初富士にかくすべき身もなかりけり 中村汀女 (新年・初富士) 梅雨富士の黒い三角兄死ぬか 西東三鬼 (夏・梅雨) 富士爽やか妻と墓地買ふ誕生日 秋元不死男(秋・爽やか) 星月夜われらは富士の蚤しらみ 平畑静塔 (秋・星月夜) 山山を統べて富士在る良夜かな 松本たかし(秋・良夜) たてよこに富士伸びてゐる夏野かな 桂信子 (夏・夏野) 富士を去る日焼けし腕の時計澄み 金子兜太 (夏・日焼) 赤富士の胸乳ゆたかに麦の秋 沢木欣一 (夏・麦の秋、赤富士) 強霜の富士や力を裾までも 飯田龍太 (冬・霜) 裏富士の月夜の空を黄金虫 同 (夏・黄金虫) 裏富士はを知らず魂まつり 三橋敏雄 (秋・魂祭) 如月も尽きたる富士の疲れかな 中村苑子 (春・如月) 冬すみれ富士が見えたり隠れたり 川崎展宏 (冬・冬菫) 山開きたる雲中にこころざす 上田五千石(夏・山開) 富士にたつ霞程よき裾野かな 井上井月 (春・霞) 傘さしてお山開に加はれり 吉沼等外(夏・山開) 遠富士に雲の天蓋雛祭 鍵和田子(春・雛祭) 赤人の富士を仰ぎて耕せり 大串章 (春・耕) 気をつけをして立つ父と夏の富士 五島高資 (夏・夏富士) 物干に富士やをがまむ北斎忌 永井荷風 (夏・北斎忌) 富士の水ここに湧き居りまんじゆさげ 田中冬二 (秋・まんじゆさげ) (佐々木敏光) 富士へ鷹駿河日和と申すべし 浮世絵のごとく初富士初御空 真つ白きマストの断てり冬の富士 舞ひ上がり富士荘厳の落花かな 風死せり富士山麓にくも殺す 正面に黒き富士立つ噴井かな はればれと桃の花あり遠き富士 真輝く雪の富士なり反省す2009.1.28. 「さて、続きや、いかん」の続きは、次ぎのようになってしまった。 山や野を歩き元日熟睡す 平畑静塔 雪嶺に三日月の匕首(ひしゅ)飛べりけり 松本たかし 雑音に耳遊ばせて日向ぼこ 竹下しづの女 現(うつ)し身をつつみて寒さ美しき 長谷川素逝2009.1.26. 毎日新聞俳句欄「季節のたより」悪いけど面白くない。 一見突飛な句もあるので、十年ひと昔だったら、結構面白がっていたかもしれない。 「不易流行」のやや遅れ気味の流行しか見てとれない。 一体、どんなのがいいのかと、改めて問いつめられても、答は用意できない。 新年1月も終りに近い。俳句再開への準備運動を、始めることにする。 人にあげたりしてかろうじて残っている段ボール箱に詰込んでいた俳書の中から、 芭蕉、蕪村、白雄、漱石、虚子 の再読から始める。まず、 あんかうや孕み女の釣るし斬 漱石 が、目に飛込む。すでに「現代俳句抄」には登録ずみ。さて、続きや、いかん。2009.1.1. 一月一日、元日。 「毎日新聞」一面「季節のたより」。今日の一句、 去年今年蟹は横行く俺も行く 車谷長吉 去年今年というと、いわずとしれた虚子の 去年今年貫く棒の如きもの である。「俺」なりに、貫くものを見つめなおしたい。そして、変るべきものも。2008.12.30 いつのまにか、現時点では、わが芭蕉二句は、 夏草や兵(つはもの)共がゆめの跡 旅に病で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る ということに、なってしまった。 蕪村はと考えると、 菜の花や月は東に日は西に が、まず浮ぶ。二句目が決らない。無理に決めることもないし、時とともに変っていく ものだと思うが、 春の海終日(ひめもす)のたりのたり哉 愁ひつつ岡にのぼれば花いばら 月天心貧しき町を通りけり と、まだまだきりなく出てきそうだ。2008.12.25 結局、芭蕉につきる。特にこのごろ。 旅に病で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る 定年を控えてというわけではないが、万感迫るものがある。2008.12.21 結局、芭蕉につきる。ぼくの定年送別会でついつい替歌もどきにして言ってしまった。 ○○や兵(つはもの)共がゆめの跡 ○○には、ぼくが所属していた、今は無き組織がはいる。つはもの共がいた。2008.12.20 結局、芭蕉につきる。蕪村も抜かせない、と、結構次々と出てくるわけであるが。 夏草や兵(つはもの)共がゆめの跡2008.12.15.(2) 毎日新聞「私が選んだ今年の秀句」 千年の樟に今年の若葉かな 正木ゆう子 大いなる夜桜に抱かれにゆく 井上弘美 の二句に、自然のしじまへ力強く広がるなにかを感じた。2008.12.15.(1) 俳句に関して、冬眠は続く。長い長い冬眠だ。来年の春に目覚めて、夏から本格的に復帰し たいなどと、勝手なことを思っている。現実にはそうは勝手に問屋がおろさないかも。 最低限として、図書館では俳句雑誌を斜め読みしている。また、「毎日新聞」の「季節のたよ り」で毎日一句を読んでいる。「季節のたより」だが、選句が悪いわけではない。説明文が悪 いわけではない。浮世絵が悪いわけではない。だが全体としては面白くないのである。感動が 伝わらないのである。うまくコラボしていないなと思うより他ない。かつて朝日新聞での選句 と文章の渾然たる旨みを味わっていただけに、残念だ。2008.11.10 すごいタイトルの本が出た。『国民的俳句百選』(長谷川櫂、講談社)である。本の帯に「「 俳句界のプリンス」が厳選した」とある。老齢化が健在化している俳句界においては五十歳代 もプリンスであろう。百選は今までも俳句誌の特集などで色々試みられてきた。百人の俳人が いれば、百の百選があるだろう。同じ俳人でも、時や場所が変れば別の百選となろう。どう言 おうとも、例えばこの書のように「その句が涼しげにそこに立っているかどうか」と言っても、 どうしても恣意的にならざるをえない。 それにしてもクラシック音楽では○○選が、珍しくないように、俳句もクラシック音楽と同じ様 に限られた作品からの鑑賞に限定されるものになってゆくのだろうか。「国民的」という形容 がなかなか斬新である。帯にはさらに「日本が誇る「十七音の世界遺産」」とあり、クラシッ ク音楽的な存在であることを知らしめる効果を上げている。フランス料理も世界無形遺産をめ ざすという。ぼくは国際理解教育という教室のメンバーであるが、ついつい授業では、欧米の 世界遺産をとりあげる。(ピラミッド、タージ・マハルも行ってはいるが、これはついでにふ れるだけである。)「十七音の世界遺産」、帯の文句としては悪くないと、かつて編集者でも あったぼくはついつい思ってしまう。 ぼくは、この本をすすめているのである。人類と同じ様に、俳句は、そしてあらゆるジャンル は、いつか弱体化する。そして黄金時代をなつかしむ。『国民的俳句百選』、「十七音の世界 遺産」はその神話化への最初の一歩かもしれない。いずれにしろ、買ったばかりだ。走り読み したばかりだ。ゆっくり読んでいこう。わがホームページであつかっている句も多い。2008.11.8 テレビの俳句番組、現代の宗匠たちが大活躍だ。感動は伝わってこない。 本人たちの何人かは、忸怩たる思いで出演しているかもしれない。 テレビに出ることに浮かれる俳人は想像したくない。 勿論、作り続けることによって救済される人々もいるのは事実だ。 芭蕉、蕪村、一茶が思われる。子規、虚子、それからと、、 声がかかって来たら、真っ先に出演するのは誰だろう。 ただ、そのことが彼らの作品をおとしめることにはならないだろう。 「いい仕事をしていた時代があった。」「小説を含め、文芸ジャンルが どんどん小さくなってゆく。」それぞれのジャンルには高揚の時期がある。 そして低調になる。バイオリンは、ストラディバリを越ええない。 クラシック音楽は、現代において乗越え不可能だ。漢詩もしかり。 俳句は、お花と同じ様な稽古事になっている。 勿論、作り続けることによって救済される人々もいるのは事実だ。2008.8.19 市立図書館。「俳壇8月号」を手にして、パラパラとめくっていると、 つぎの夏の句が目に飛込む。 浮世絵を出よ冷し酒注ぎに来よ 小澤實 特集「美味礼賛(夏)」である。 鑑賞者の言に「粋である」とある。たしかに「粋である」。 もう三、四ページ先にあるのが、つぎの句。 枝豆や三寸飛んで口に入る 正岡子規 さわやかだ。理屈なし。俳句そのものとしか言いようがない。俳句がそこにある。2008.4.22 『俳句』3月号特集は、「私という俳人を作った20句」である。 かなりの句が、当 HP/「現代俳句抄」にすでにあるのは事実だが、当然載せていない句が 気にかかる。 最初のページ、和田悟朗による菟原逸朗の句がある。波瀾万丈の俳人のようだ。 つば吐いて去りしかの地よ雪ふれりと 和田悟朗は、他には、河東碧梧桐、赤尾兜子、橋間(月)石、永田耕衣など、多くの人の偏 愛の対象となっている俳人に限ってあげている。あげられた俳人の責任ではないし、また個 性的選択としかいいようがないが、しかしその選択の中には、何か大きな豊かさが欠如して いるように思えなくはない。 以下、省略。2008.4.8 俳句復帰へのリハビリといったらよいか、たんなる隠居なのか、読む俳句雑誌は角川の 『俳句』だけだ。2月号と3月号の特集について書く。 2月号の特集は「本当に名句?−−評価の分れる有名句」である。 20句まな板にのせられているが、この20句、すべてかつて当 HP/「現代俳句抄」に 収録していた。ぼくとしては名句としてあつかっていたわけだ。 滝の上に水現れて落ちにけり 中年や遠くみのれる夜の桃 炎天の遠き帆やわがこころの帆 頭の中で白い夏野となつてゐる 新宿ははるかなる墓碑鳥渡る こんな句が作れたらと思った時期もある。 鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし あはれ子の夜寒の床の引けば寄る 羅や人かなします恋をして 決して作れない句だ。 あめんぼと雨とあめんぼと雨と 湘子先生の句だ。同じ所にとどまらないようにということで「鷹」を叱咤(激励)して きた。やや独善的な面もなかったわけではないので、優秀な人が離れたりしていった。 俳句の大きな歴史の中で、湘子の評価はどうなるか、わからない。ご自分も韜晦して ゆくゆくはわが名も消えて春の暮 と詠んでおられる。この句は、詠人しらずでよい。やがて忘れられて行く有名無名の ほとんどの俳人へのやさしい哀歌となっている。 3月号の特集はまた別の日に。2008.3.13 百年後もういないけど木の芽和え 児玉硝子 毎日新聞の一面にある「季節のたより」は坪内稔典(当 HP/「現代俳句抄」収録)が毎 日選出する俳句欄である。当 HP/「現代俳句抄」に収録の句も、適当にでてくるが、全体 に印象の薄い場合が多い。浮世絵の選択がいまいちであるせいかもしれない(なにより、ぼ くの好みにあっていない)。今日、13日は、ひさしぶりに面白かった。上掲句である。 「百年後」など、類想句はありそうだが、あれこれ理屈はやめておこう。2008.3.1 どういうわけか、久しぶり、山口誓子(当 HP/「現代俳句抄」収録)を読み直す。そし て若干「現代俳句抄」に追加。 蜥蜴出て新しき家の主を見たり (『炎晝』) ダイヴァアの頭ずぶ濡れて浮きいづる 一湾をたあんと開く猟銃音 (『晩刻』) 萬緑やわが掌に釘の痕もなし (『青女』) 蟷螂の眼の中までも枯れ尽す (『和服』) 噴水の穂さきもう行どころなく 秋の暮まだ眼が見えて鴉飛ぶ 富士山に生れて死ぬる黒ばつた (『一隅』)2008.2.25 久しぶり、飯田龍太(当 HP/「現代俳句抄」収録)を読み直す。若干「現代俳句抄」に 追加。 雪山に春の夕焼瀧をなす (『百戸の谿』) どの子にも涼しく風の吹く日かな (『忘音』) 満月に浮かれ出でしは山ざくら (『遅速』) 露の夜は山が隣家のごとくあり 子がひとりゆく冬眠の森の中 永き日のながきねむりの岩襖 (『遅速』以後) 山青し骸(むくろ)見せざる獣にも2008.2.23 旧聞に属するが、雑誌「俳句」平成19年8月号「古典となった戦後俳句」から あらためて少し選んでみた。ちなみに「古典となった戦後俳句」引用の大部分は、 当 HP/「現代俳句抄」にある。また、以下の四俳人は、そこに全員収録してある。 大部分宇宙暗黒石蕗の花 矢島渚男 (『延年』) 日輪の燃ゆる音ある蕨かな 大峯あきら (『牡丹』) 長き夜の遠野に遠野物語 倉田紘文 (『無量』) 春風の日本に源氏物語 京極杞陽 (『但馬住』)2008.2.20 「電話魔、夏石番矢の日」の活字が目に飛込んできた。たわむれに Google で、 「夏石番矢」(当 HP/「現代俳句抄」収録)を検索していた時である。 そのブログ http://banyahaiku.at.webry.info/(ブログとは一体何かがぼくにはわ かっていない)の終りに、俳句としてはどう評価していいかわからないが、 早春や修羅の会議でしゅらしゅしゅしゅ 夏石番矢 があって、この教授会風景はぼくにとっては面白い。ぼくのところでは法人化以来 修羅場は皆無だ。 別なところに「今日は、会議をさぼろうと思っていたら、朝、目が覚めてしまった。 自分で言うのもはばかれるが、根がまじめなのだろうか?」とか、なつかしい。 壮大な世界を展開する荒武者のはずだが、けっこうお茶目なところのある人のよう だ。「その性格から様々な逸話を持つ。」と、どこか別の所にだれかの解説がある。 アルコールで喉をしめらせて授業をするともある。荒武者である。 ぼくも以前、「大学の闇の深さよ青葉木莵」、「休暇果つ怠け心は生き生きと」、 「学生は口論すべし懐手」(当 HP/未刊句集「春の空気」収録)など、勝手な句をつ くっていた。今は句作は休んでいるが、そのうちまた勝手な句を適当につくって行きた い。2008.2.18 小澤實さん(当 HP/「現代俳句抄」収録)、句集『瞬間』(角川書店、2005)で 2006年の読売文化賞を受けていたことを遅ればせながら知る。(今浦島だ。) 紹介の記事の中の 蜩や男湯にゐて女の子 室町以後動かぬ石や梅雨深き わが細胞全個大暑となりにけり 神護景雲元年写経生昼寝 に、小澤さんらしい、現代の俳諧の風景を面白く思った。 他に 林中にわが泉あり初茜 に、小澤さんのすがすがしい心を感じた。2008.2.16 「攝津幸彦選集」(邑書林、2006.8)を読む。 ほとんどが再読だが(選集だ)、なかなか刺激的である。ただ、新たに一、二句書 抜こうと思ったが、かつて引用した句(当 HP/「現代俳句抄」収録)以外は、新たに 大きく響くものはなかった。
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