「俳句ノート」(「気になる俳句」改題)
「2011.2.3.以前の記事」へ 2023.7.23. さんざんななかで、7月号をだそうとしている。大丈夫かな。2023.4.25. 個人誌新刊号。 ややペースをおとすことにしていたが、それにしてもおとし過ぎだ。メモは適当にしていたが、六カ月ぶりの発行だ。 足の不都合などあれこれかさなった。 次回か、その次あたりで、一応第二期を終えたい。 この9月1日で、80歳だ。時にはまじめに、時にはなまけて、いつしか80ってわけだ。仕方がないといえば仕方ない話だ。2022.10.11.. 四か月ぶりの更新。間隔ができている、八十歳までは、なんとかやっていきたい。2023.4.25. 個人誌久しぶりの更新。去年の十二月号以来、半年ぶりだ。 お詫び申し上げます。 ぼちぼちと作り続けていたが、力が入らない時期もあった。 季刊(三か月)では発行したいとあらためて思っている。 もう一度初心に帰り、八十歳少々過ぎまでは句作を続けたい。2021.12.12. 申し訳ない。目新しい情報ではない。 2021年八月号以来、十二月号を久しぶりでだしたことを告げようとしただけ だ。 申し訳ない。それにしても久しぶりだ。2021.8.31. 久しぶりの個人誌発行。ランボーでいえば「もう秋か。それにしても,何故に,永遠の太陽を惜しむのか。」 NHKの番組「戦火のホトトギス 17文字に託した若き将兵の戦争」に触れようと思ったが、夏も過ぎてしまった。 夏は残酷だ。2021.4.18. 追加句 「佐々木敏光ページ」に一句プラス 夢の世や蝶のかたちの夢が飛ぶ 花谷清主宰の「藍」令和3年5月号にとりあげていただいた句である。 丁寧な解説で、納得のいく文であった。 お礼ととともに、感謝もうしあげる。 『富士山麓・晩年』所収2021.4.18. 思いもかけず、発刊が遅れた。最近、作句が進まなかった。耐えていた。思い悩んで もしょうがないので、かつてのネット版の絵本「スェーデンのすべり台」 http://www.haiku-tosasaki.server-shared.com/ehonn2.htmlを両面印刷で印刷し、絵本製 作をしたりしてすごした。 俳句再出発にあたって、次の六人の文に元気を得た。 (1)まず、永田耕衣、橋關ホの文 永田耕衣 俳句理念 (「耕衣五百句」) 卑俗性、俳諧性、意外性を重んじ超時代性・永遠寂寥・野(や)の精神を掲げ、定 型楽守のうちに存在の根源を追尋、観念の肉化による実存的俳句を確立。 <出会いは人間の絶景><孤独の賑い><自他救済><衰弱のエネルギー>などを自 作愛語として、俳句が人生的・哲学的であることを理想とした。 橋關ホ (「和栲あとがき」) 「荒栲」の後記で私は、「喜びも歎きも、安らぎも苦しみも、病み衰えまで含めて のいっさいに遊ぶことを、ひたすらに願ってきた。句集荒栲も、無辺際に織られゆく 遊びの布のおもてに、たまたま浮き出た微かな模様にほかならない。」と述べた。こ こにいう遊びとは、 囚われない心ざまのことである。粘着を厭う私の生きは、「和 栲」の現在も、いよいよ純化こそすれ、いささかも変わっていない。そうした明け暮 れのおもむき自体を、私なりに俳諧と称しているのである。 (2)次の文も 長谷川櫂 (「長谷川櫂の世界」) 「信条をもって俳句をつくるのは窮屈、イデオロギーをもたず、心のままに作句す る」という。 古典をふまえながら、現代の古典となるべく独自の句風をめざしている。 (3)すでに掲載した三つの文もまた。 「後ろめたさついでに言えば、俳人という肩書がつくことも後ろめたいね。この頃 はみんな図々しくなってえらそうにしているけど、戦前なんかは恥しいぐらいのもの だったからね。だいたい、俳句でいっぱし結構だなんていうのは、一世紀に一人や二 人ですよ。あとはみなジャミ(釣で言う小魚のこと)。そいつらがつっぱって、かっ こつけているのは滑稽ですよ。それに、俳句には専門的な要素なんてどこにもありま せんよ。俳人が専門家意識を持っちゃ、おしまいです。先生、先生つて黄色い声で言 われるのは、いい気分だけどね。俳人という看板を出している以上、この点はしっか りと自戒しておかなければならないと思うね」 (飯田龍太「太陽」1987年3月号) 「見事な技がかえって作品を小ぶりにしていないだろうか。」 (飯田龍太) 「こうして三十年間の句業の跡である作品を調べてみると、作法を決めたくないの が私の作法であるという観を呈している。しかしどの句も、その時の私自身に対して せい一杯忠実につくってきたつもりである。そのうちに、俳句は事前に予定すると成 功し難いという厄介なこともわかってきた。 作法は選ばず、結局私がこだわるのは言葉だけである。俳句という特殊な詩形にの せて、言葉を詩の言葉としていかに機能よくはたらかせるかという興味である。 俳句の場で、言葉、言葉というと、こころを軽視しているととられる。だが作品を なすにはまず何らかの意味でのこころが在り、最後に又何らかのこころが出ていなけ ればならないのは当然である。 (『飯島晴子読本』富士見書房) 「俳句は詩です。詩は言葉でつくります」 「詩はむりなくわかることが大切だと思います」 「俳句という詩は、ほんのささやかな営みですが、セオリーを身につけて、そして セオリーを忘れることが大切です」 (田中裕明)2021.1.16. 2021年2月号を、久しぶりで発行する。2020年9月号以来だ。その間、巻頭 に若干の句と、文章を掲載したが、句は個人誌にまとめた。文章の一部は、以下に再 掲載する。 久しぶりに次の文を思い出した。
「俳句ノート」に書いた。ずいぶん前だ。忘れていたわけではない。
2011.2.3 の記.
最近、なんとなく自分に言い聞かせている文をあげておく。空海の言である。
「詩情を保つには、大胆な発想をもって、人目をきにせず、びくびくしないこと。」
(空海『文鏡秘府論』。翻訳は『空海人生の言葉』川辺秀美編訳より)
コロナの毎日だ。高濱虚子に次の句があるのに最近気づいた。虚子の果てしない茫洋さを感じる。
コレラの家を出し人こちへ来りけり
芥川龍之介が、「これほど恐ろしい句は知らない」と言ったことがあるようだ。
なお、『現代俳句抄』には虚子の句として初期からすでに掲載している
コレラ怖ぢて綺麗に住める女かな
がある。
同じ『五百句』には、
コレラ船いつまで沖に繋かかり居る
があるが、「いつまで」かわからないコロナのこれからを考えると『現代俳句抄』に
取り上げてもいいと思える。
2020.11.30. 九月号以来、更新のなし、準備中。とりあえず最近の句(2020..11)から 蜩(ひぐらし)や熟しそめたる我が五衰 青空へ魂(たま)屹立す雪の富士 龍雲を二つはべらせ雪の富士 枯蟷螂さつきは居りし今不在2020.11.11. 喜寿を迎えて、俳句をあらためて考え直している。変化の予兆があるとすれば、次の句などにあるのかな。
一切は空の世界や初山河
コスモスの花揺れてゐる宇宙かな
胸底の枯野と菜の花畑かな
2020.10..29. 久しぶりに次の文を思い出した。「俳句ノート」に書いた。ずいぶん前だ。忘れていたわけではない。. 2011.2.3.の記 最近、なんとなく自分に言い聞かせている文をあげておく。空海の言である。 「詩情を保つには、大胆な発想をもって、人目をきにせず、びくびくしないこと。」 (空海『文鏡秘府論』。翻訳は『空海人生の言葉』川辺秀美編訳より) ***最近の句(2020.9-.10)から****** コスモスの花揺れてゐる宇宙かな 胸底の枯野と菜の花畑かな 水輪湧く透けて見ゆるは秋の鯉 踏切の鳴るや子供となりて待つ シヤツターにやさしく西日そそぐ街 我が庭のすすきの上の望の月 秋雨や祈り静かに庭の面(おも) 天高しトランプヒトラーと背比べ(敏光)2020.9.16. 俳句個人誌2020九月号、「「百八句」へ向けて(とりあえずの候補)」の配列を入れ替えて、 まず、次の6句を最初に置く。 遠近の雷や静かに読む老子 厭離穢土彼岸へ泳ぐ蛇の首 ふくろふの観てゐる人の幸不幸 蜩の朝鳴き夕鳴く森に住む 自虐するわれへとつくつくぼふしかな 死に至る病の地球大銀河2020.9.1. 『角川俳句』 恩田侑布子「偏愛俳人館」をすすめる。飯田蛇笏と橋關ホを特に。 4月号「角川俳句」の新連載、恩田侑布子「偏愛俳人館」は、個性的な俳人による「偏愛」の 俳人コレクションということで、興味をもってのぞんだ。はたして4月号は飯田蛇笏で、ぼく にとっても五指に入る、特別の思いがある俳人であり、第一回目にしてなるほどと思わされた。 タイトルというか、副題というか「エロス・タナトスの魔境」には堂々と論を張る著者の立ち 姿がみてとれた。それから、竹久夢二、阿波野青畝、久保田万太郎、林田紀音夫、芝不器男と 堂々たる論の連続である。(ちなみに、竹久夢二、林田紀音夫は今まであまりなじみがなかっ たと正直にのべておこう) 特に九月号は橋關ホで、この七,八年特に気になっている俳人で、老年にいたっての作品の質 の急上昇の秘密を知りたく思っていたこともあって、(ぼくはぼくなりにある種の断念(思い っきりよさ)が關ホをして、老齢の自由闊達な境地を開いたと思ってはいたが、文学部に入っ てそうそうに荘子の毒気をあびたが、その後齢経ての老子再発見と、四十代後半までの小説や 詩、日本文学、西洋文学、フランス文学は専攻までし、中世フランス語まで読んだりしたなど 呑気な格闘をへてのやがて長いものへの断念から、俳句への傾斜となった)深い興味を持って 読んだ。重要な点をおさえた予想を裏切らない立派な論であった。 細かいことは書かないが、『和栲 』は、やわらかな見事な句集であった。これが蛇笏賞をもら う前段階で、關ホは飯田龍太などの間では、それまでは名も知らなかったが、実に興味深い俳 人であるとのうわさがたったようだ。ぼくもその後、沖積社『橋關ホ俳句選集』を入手したが、 読んでいて平凡な句の羅列にうんざりした。『荒栲』『卯』からおやおやと思った。 『和栲 』にいたってあらためてその独自な世界を納得した。その後、沖積社『橋關ホ全句集』 を手にいれた。『荒栲』以前の句は読む気力を失せるものであった。 ただ、ぼくのホームページの「現代俳句抄」には、それなりに努力して『荒栲』以前も若干掲 載した。 いわく、 秋の湖真白き壺を沈めけり (『雪』) 雪降れり沼底よりも雪降れり 柩出るとき風景に橋かかる (『風景』) 七十の恋の扇面雪降れり (『荒栲』) 渡り鳥なりしと思う水枕 である。なんとなく与太ごとをかきかねないので、これ以上はかかない。 ただ、恩田さんの論での橋の引用文、芭蕉の根本精神は「中世芸道をつらぬく、「余情」「幽玄」 の哲理」とともに、「具象が象徴の力をおび幻影となるまでに単純清澄になる」は適切で、論を 引き締めている。 さて、われらは齢をとってまで、誰かのエピゴーネンになることもないであろう。關ホの句 關ホひとりであっていい。それはそれでそれなりに狭い世界でもある。壺中之天かもしれない。 われらはわれらの老年をいきるほかない。2020.8.13. コロナの毎日だ。高濱虚子に次の句があるのに最近気づいた。 虚子の果てしない茫洋さを感じる。 コレラの家を出し人こちへ来りけり 芥川龍之介が、「これほど恐ろしい句は知らない」と言ったことがあるようだ。 なお、『現代俳句抄』には虚子の句として初期からすでに掲載している コレラ怖ぢて綺麗に住める女かな がある。 同じ『五百句』には、 コレラ船いつまで沖に繋かかり居る があるが、「いつまで」かわからないコロナのこれからを考えると『現代俳句抄』に取り上げてもいいと思える。2020.6.19. 対象を大事に見つめる ***************************** 夏草や兵どもが夢の跡 俳諧は、滑稽だけがその持ち味ではない。まして素人がつくってレッスンプロが採点す るだけの短詩だけではない。死者を鎮魂するというすごい力をもってなのだ、それを芭 蕉はここで証明してみせたわけです。 (安田登『役に立つ古典』) ***************************** シンプルで強さのある作品 ***************************** 真理は体得するもの 真なる観念の存在が、真といえるための規範を方法にあたえる。 (上野、スピノザの方法) ***************************** あるものを知るためには、いっさいのものを知らねばならない。しかし、あるものにつ いて語るためには、大多数のものを無視しなければならない。 (ジョーン・ロビンソン) ***************************** 〇(詩が)うまれてくるときって理性ははたらいてないんです。 (谷川俊太郎) 〇からっぽにすると言葉が入ってくる。2020.6.1. 『個人誌 富士山麓』次号を用意しなければと思っている。不定期な刊行に完全に はまっている。 雑誌「俳句」は一人での俳句つくりの陥穽を意識するためにも読んでいる。 前回は恩田侑布子「偏愛俳人館」を紹介した。 今回は白濱一羊「現代俳句時評」を。俳句の基本に立ち返って、骨太に論じてい て、なかなか刺激的である。初心者だけでなく、ベテランにも何かを与えてくれる ものだと思いたい。2020.4.15.. 四、五ヵ月振りの『個人誌 富士山麓』(五月号)発刊である。作句遅々として すすまなかった。 芭蕉をはじめ、俳句関係の本は適宜よんではいたが、なかでも「角川俳句」の新 連載、恩田侑布子「偏愛俳人館」は、飯田蛇笏、竹久夢二、阿波野青畝となかなか 面白い。中でも蛇笏の句で、ついつい見落としていた 「歔欷(すすりな)くこゑ閨中に大椿樹」(『山響集』) が取り上げられていて、エロス・タナトスの面にもしぼっていてさすがだと思っ た。 蛇笏俳句では、そこでも引用されているが、 「薔薇園一夫多妻の場を思ふ」 (『椿花集』) の方が上質だと思うが、余計な感想かもしれない。2019.12.12. 三ヶ月振りの『個人誌 富士山麓』(十二月号)発刊である。2019.10.15. 金子兜太『百年』をあらためて読み、抜粋してみた。 ついでに、「現代俳句抄」のその部分を改定する。 「現代俳句抄」の大部の改定は実に久しぶりのことだ。 『百年』金子兜太 二〇〇八年 昭和通りの梅雨を戦中派が歩く 縁ありてわが枕頭に兜虫 二〇〇九年 粋がつて生きております笑初 声美し旅の隣の姫始め 稲稔り奇声とばして人暮らす 定住漂泊メモばかりして青葉づけ 眼の奥に陽光溜めて猪(しし)撃たる 二〇一〇年 わが猪(しし)の猛進をして野につまづく 鬱にして健健にして鬱夏のおでき 二〇一一年 雑煮食(た)ぶ九十一歳やや過食 津波のあとに老女生きてあり死なぬ 被曝の牛たち水田に立ちて死を待つ 被爆の人や牛や夏野をただ歩く 二〇一二年 父泳ぎ母眺めいし鮎の川 弱者いたぶる奴等狼に喰わす 二〇一三年 白寿過ぎねば長寿にあらず初山河 大寒の奥に被爆の山河あり 緑陰に津波の破船被爆せり 暗闇の大王烏賊と安眠す 山葵田を眺めることも生きること 干柿に頭ぶつけてわれは生く 二〇一四年 サーフインの若者徴兵を知らぬ ひぐらしの広島長崎そして福島 「大いなる俗物」富士よ霧の奥 人ら老い柿黙黙と熟れて落つ 二〇一五年 狂いもせず笑いもせず餓死の人よ 朝蝉よ若者逝きて何の国ぞ 二〇一六年 戦あるな人喰い鮫の宴(うたげ)あるな 草田男有り詩才無邪気に溢れて止まぬ 草田男の自信満々季語に遊ぶ 雪の夜を平和一途の妻抱きいし 妻よまだ生きます武蔵野に稲妻 二〇一七年 谷に墜ち無念の極み狐かな 狂とは言えぬ諦めの捨て切れぬ冬森 二〇一八年 秩父の猪よ星影と冬を眠れ 雪晴れに一切が沈黙す 犬も猫も雪に沈めりわれらもまた 河より掛け声さすらいの終るその日 陽の柔わら歩ききれない遠い家2019.10.5. 金子兜太がなくなり、最近最後の句集『百年』がでた。 最後の詠は 陽の柔わら歩ききれない遠い家 わが猪(しし)の猛進をして野につまづく 人は生き他を謗(そし)り且つ満たされず 河より掛け声さすらいの終るその日 犬も猫も雪に沈めりわれらもまた と、中には『現代俳句抄』にとりあげた句などもあるが、とりあえず四句を付け加えておく。 「最後まで演技で死んだ兜虫」と演技派の筑紫磐井が兜太をよんだようだが、ちゃめっ気には演技性が必要だ。そして戦争糾弾を大きく叫ぶには別の演技性が要求される。2019.8.31. 六月号を発行し、今回九月号である。隔月刊行になっていない。 八月末のベニス、ウィーンの旅が言訳になるわけではない。 もう一度俳句についてあれこれ考えていたのだが、考えてすぐ結論が出るわけではない。 その間、能を見ていた。平家物語を初め、驕れるものたちの悲しい運命を含むだけではないが、日本 的一大伝統劇だ。そこに何を見るか、資質がとわれる。 芭蕉の「無惨やな甲の下のきりぎりす」の「無惨やな」は「実盛」にあらわれる。 時代の流行にのった勢力、それはそれでいいだろう。俳句の世界の商業的背景にのった勢力の変転は 限り無い。 合掌。2019.6.1. 『現代俳句抄』今までも更新する機会は結構多くあったが、あえてしなかった。 あたりまえのことだが、自分の句を自分なりにつくることを優先しようと思ったのである。 ただ、その背景の姿勢は前号で書いた三つの引用文にあらわれているので、それをあらためて引用 する。 「後ろめたさついでに言えば、俳人という肩書がつくことも後ろめたいね。この頃はみんな図々しく なってえらそうにしているけど、戦前なんかは恥しいぐらいのものだったからね。だいたい、俳句でいっ ぱし結構だなんていうのは、一世紀に一人や二人ですよ。あとはみなジャミ(釣で言う小魚のこと)。 そいつらがつっぱって、かっこつけているのは滑稽ですよ。それに、俳句には専門的な要素なんてどこ にもありませんよ。俳人が専門家意識を持っちゃ、おしまいです。先生、先生つて黄色い声で言われる のは、いい気分だけどね。俳人という看板を出している以上、この点はしっかりと自戒しておかなけれ ばならないと思うね」 (飯田龍太 「太陽」1987年3月号) 「見事な技がかえって作品を小ぶりにしていないだろうか。」 (飯田龍太) 「こうして三十年間の句業の跡である作品を調べてみると、作法を決めたくないのが私の作法である という観を呈している。しかしどの句も、その時の私自身に対してせい一杯忠実につくってきたつもり である。そのうちに、俳句は事前に予定すると成功し難いという厄介なこともわかってきた。 作法は選ばず、結局私がこだわるのは言葉だけである。俳句という特殊な詩形にのせて、言葉を詩の 言葉としていかに機能よくはたらかせるかという興味である。 俳句の場で、言葉、言葉というと、こころを軽視しているととられる。だが作品をなすにはまず何ら かの意味でのこころが在り、最後に又何らかのこころが出ていなければならないのは当然である。」 (『飯島晴子読本』富士見書房) 「俳句は詩です。詩は言葉でつくります」 「詩はむりなくわかることが大切だと思います」 「俳句という詩は、ほんのささやかな営みですが、セオリーを身につけて、そしてセオリーを忘れる ことが大切です」 (田中裕明)2019.4.5. 久しぶりの更新。詳しくは四月号を。後記に最近の様子などを書いている。2019.2.1. 久しぶりの更新。 句集、俳句誌、俳書は読んでいるが、実作を中心をおいていて、そのあたりの紹介の更新はほとんど おこなっていない。 『俳句の水脈を求めて 平成に逝った俳人たち』角谷昌子著、などのすぐれた本の紹介なども、積極 的には行わない。 今回の年賀状には全部ではないが、次の文をのせたものもある。老年への準備といってよい。 「後期高齢者になりました。虚子の句につぎのようなものがあります。 不精にて年賀を略す他意あらず それにならって、来年の年賀状は失礼します。よろしくお願いします、」 どうしたわけか、追加一句 能村登四郎 曼珠沙華天のかぎりを青充たす 『民話』2018.10.13.. 個人誌を中心に更新してゆく。他の項目は原則として更新しない。と以前書いたわけだが、唐突的に 更新しないと言い切ったわけではなかったようで、今回唐突的に更新する。それに伴い、「現代俳句抄」 も更新する事になる。 静岡市の書店に『九月』(長谷川櫂)はあった、手にとり開いたページは輝いていた。月の光に。 思わず買ってしまった。家で最初のページから読んでみる。そのうちに出会った。 この月の月を近江の人々と やわらかな空気が流れる。 どこをどう行かうが月の浮御堂 不思議な空間が開ける。 月光に溺れんばかり舟の人 湖の上にも溢れる光。 森々と心の奥へ月の道 月孤独地球孤独や相照らす 以上、芭蕉への思いが結実した句と思える。 今回例外的に、このページを更新する。2018.10.2.. 更新皆無と言った現状である。 雑誌や句集もそれなりに読んではいる。 これからも、ネットなどひろげるのではなく、選択するというか、やるべきことを少なくし、後期高 齢者時代にそなえたいと思ってる。実作を中心とした生活と思いたい。 芭蕉が大きくなっている。現時点でぼくに訴えかける芭蕉の短文を、ひいてみる。引用は、復本一郎 さんの『新・俳人名言集』(春秋社)、芭蕉の二つの名言全文と復本さんの解説の文の一部を勝手に引 用する。 俳諧は無分別なるに高みあり。 (芭蕉は「理屈」を嫌ったので,いきおい「無分別」を称揚することになるのであるが、実作者 にとって「無分別」とは、そう簡単なことではない。) 点者すべきよりは乞食(こつじき)をせよ。 (人の作品に批評を加える暇があったら、「乞食行脚」をして、鍛錬に励めよというのであ る。) 手前味噌的な引用になったかもしれないが、心して受け入れたい言葉である。 「プレバト」というテレビショー的な俳句番組が放送されている。NHK教育の俳句講座もある。地方に 行って俳句合戦をする番組もある。ドキュメンタリだが。俳句甲子園という番組もある。それぞれ俳句 をひろげるのには役立っているだろうと、内容については疑問もないわけでもないが、目くじらをたて ることもないだろうと思う。 それらの中で、東国原英夫の次の句がでてきたときは、ある程度のレベルの句として、好き好きもあ るとはおもうが、看過できない句もでるものだなと思った。 鰯雲仰臥の子規の無重力 東国原英夫2017.12.28. 次を加える ネット紹介 千野 帽子『人はなぜ物語を求めるのか』 「そして負けたさうなるはずの戦争を」 (『 富士山麓・晩年』)」2017.12.22. 新聞 コラム 佐々木敏光「美しき雉の戦ふ冬田かな」【讀賣新聞朝刊 長谷川櫂「四季」】2017.12.17. 続 佐々木敏光句集『富士山麓・晩年』(邑書林)に関する ネット紹介 筆まか勢 「続・佐々木敏光句集「富士山麓・晩年」を読んで」 大井恒行の日日彼是 「佐々木敏光「冬の沼おぼろなるものたちのぼる」(『富士山麓・晩年』)」 閑中俳句日記(別館) −関悦史− 【十五句抄出】続佐々木敏光句集『富士山麓・晩年』2017.11.10. 続 佐々木敏光句集『富士山麓・晩年』(邑書林) 11月30日発売2017.10.20. 『富士山麓』休止中でもうしわけありません。 一句だけ 角川俳句賞から一句 (はいくしょう を 変換したら 俳苦笑 となった。味がある変換) 月野ぽぽの 耳たぶに何も無き日よ草の花2017.9.14. 『富士山麓』休止中。再開後のことおぼろげながら、少しは見えてきた。 再開前には、お知らせします。 「現代俳句抄」追加 高橋睦郎 摺足に白進み来る初山河 (『十年』) こゑなくて晝の櫻のよくさわぐ 餘り乳(ち)の碗(金偏、まり)にひびくや明易き 漱(くちすすぐ)水に血の香や今朝の冬 正木ゆう子 虹を呼ぶ念力ぐらゐ身につけし (『羽羽』) 真炎天原子炉に火も苦しむか 十万年のちを思へばただ月光2017.9.4. 続佐々木敏光句集『富士山麓・晩年』 準備中 「晩年や前途洋洋大枯野」に由来するタイトルです。 「現代俳句抄」追加句 森澄雄 見渡してわが晩年の山櫻 (『白小』) 角川春樹 詩は魂(たま)の器なりけり雲に鳥 五島高資 加速するものこそ光れ初御空 (『蓬莱紀行』) 高柳克弘 まつしろに花のごとくに蛆湧けり (『未踏』) 紙の上のことばのさみしみやこどり ビルディングごとに組織や日の盛 (『寒林』) 津川絵里子 立ち直りはやし絵日傘ぱつと差す (『和音』) 北大路翼 キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事 (『天使の涎』) 小津夜景 あたたかなたぶららさなり雨のふる (『フラワーズ・カンフー』)2017.7.29. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(八月号) 発行この8月号で、しばらく休刊とします。4,5カ月、最大半年間です。 過去5年間の句をまとめる時間をとりたいと思います。 再刊後は、季刊となるかもしれません。よろしくお願いします。 準備する句集については、次のような点を考えています。 1)最初の号から時系列に掲載する。 2)各号の「後記」は省略する。 3)句の掲載数は、大胆に絞り込む。、 4)「二十代に書いた短編のレジュメ前書き付き俳句」を最後の章とする。 5)タイトルは『富士山麓・晩年』とする。 他の項目は「適宜」更新しますので、よろしく。
2017.6.29. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(七月号) 発行
2017.6.13. 久しぶりの追加である。いたずらに「現代俳句抄」が膨張しないようにということは何度か書いたが、 なまけごころもないではない。 今回は、新しい比較的あたらし句集からと、またあれこれ読んでいるうちに出会った気分転換になり うる句をつけくわえることにする。 高橋睦郎 八方の原子爐尊(たふと)四方拜 (『十年』) おほぞらの奥に海鳴る涅槃かな 死ぬるゆゑ一ト生(よ)めでたし花筵 永き日も日暮はありて暮永し 正木ゆう子 出アフリカ後たつた六万年目の夏 (『羽羽』) 富安風生 大らかに孕み返しぬ夏のれん (『村住』) 渡辺白泉 終点の線路がふつと無いところ 原田浜人 火の如き弟子一人欲し年の暮 星野立子 皆が見る私の和服パリ薄暑 京極杞陽 蛤のうす目をあけてをりにけり 鯉屋伊兵衛 蚊をうちし吾が肉いまだよき音す 稲畑汀子 冷蔵庫又開ける音春休 田辺和香子 万緑にひそむ山彦若からむ2017.5.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(六月号) 発行
2017.4.29. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(五月号) 発行
2017.4.5. 「佐々木敏光」ページに 二十代に書いた短編のレジュメ前書き付き俳句(2017.4.5.) を追加。2017.3.31. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(月刊) 発行
2017.3.23. このところ、更新はきわめて少なくなっている。 句集、俳論はそれなりに読み続けている。ただ、力の配分を自身の句作にかけているつもりである。 「現代俳句抄」の充実はきりがない。気がむいたときにということにしている。 久しぶりの「現代俳句抄」の更新。 久保田万太郎 鶯に人は落ちめが大事かな (『春燈抄』) 中村苑子 母の忌や母来て白い葱を裂く (『水妖詞館』) 橋間石(橋關ホ) 何か呼ぶ吹雪の奥へ帰りたし (『和栲』) 波多野爽波 真白な大きな電気冷蔵庫 (舗道の花時代) 田中裕明 夏鶯道のおはりは梯子かな (『先生から手紙』) 高橋睦郎 むらぎもの色に燃えけり古暦 (『荒童鈔』) 神野沙希 食べて寝ていつか死ぬ象冬青空 (『光まみれの蜂』)2017.2.28. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(月刊) 発行小澤實と中沢新一の「俳句はアニミズム(精霊信仰)である」をテーマにした本はおもしろい。刺激的 だ。 また「俳句2月号」の小澤の「凩のけだもの」も面白いし、何かから解放されたような句が続いている。 きりがないので、今回の引用は 床の間に据ゑ本棚や冬籠 心棒の頭を突き抜けし案山子かな のやや個人的な好みの二つにとどめる。
2017.2.21. 追加句 漱石 溜池池に蛙闘ふ卯月かな 梅の奥に誰やら住んで幽かな灯 金子兜太 被曝の人や夏野をたた歩く (「WEP俳句通信89号」2015.) 緑陰に己が愚とあり死なぬ 海に雲(あおくも)生き死に言わず生きんとのみ2017.1.29. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2017年二月号)発行。 『現代俳句抄』追加 金子兜太 老母指せば蛇の体の笑うなり (『日常』) 正木ゆう子 もうどこも痛まぬ躰花に置く (『羽羽』) 被災した子供たち 人類の先頭に立つ眸なり 恩田侑布子 男来て出口を訊けり大枯野 (『夢洗ひ』) ゆきゆきてなほ体内や雪女 わが視野の外から外へ冬かもめ 吊し柿こんな終りもあるかしら 高柳克弘 標無く標求めず寒林行く (『寒林』) 蟻強しこゑもことばも持たぬゆゑ ぶらんこに置く身世界は棘だらけ 短日や模型の都市の清らなる 見てゐたり黴を殺してゐる泡を 枯蓮や塔いくつ消え人類史 月野ぽぽな 途中下車してしばらくは霧でいる (「俳句」2017.1) 陽炎はとてもやわらかい鎖 竹鼻瑠璃男 人生寒し風の迅さの捨馬券 (『ななかまど』) 瀧落ちて水のなかまと遭遇す 阿弖流為の心臓のごと柿一つ 井上井月 翌日しらぬ身の楽しみや花に酒2016.12.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2017年一月号)発行。2016.12.24. 遅ればせばがら、一昨日「俳句年鑑 2017年版」を購入、読んでいる。 それぞれ第一線で活躍している俳人の最近の様子が拝見できて面白かった。 中でも、若井新一の次の俳句が紹介されていて、 「夕焼雲飯田龍太の振り向かず」 大谷弘至さんの論評の中で、作者の若井新一さんからのハガキでは「昨今の俳句のレベルダウンにつ いてそのままで良いのか俳人に問いかけた句であるとのことだった。」とあった。 ぼくは第一線でやっているわけではないが、恥ずかしくなった。自分では第何線かしらないが、自分 なりにやってゆくより仕方ない。 久しぶりに、「現代俳句抄」追加。 正木ゆう子 唸り来る筋肉質の鬼やんま (『羽羽』) 富安風生 蝶低く花野を何か告げわたる (『愛は一如』) 愛は一如草木虫魚人相和し 以下「俳句年鑑 2017年版」より 金子兜太 朝蝉よ若者逝きて何の国ぞ (「俳句年鑑 2017年版」) 鷹羽狩行 発つときは灯をともすとき暮の秋 (「俳句年鑑 2017年版」) 高橋睦郎 姫始阿のこゑ高く吽低く (「俳句年鑑 2017年版」) 岸本尚樹 黒き蝶赤きところを見せにけり (「俳句年鑑 2017年版」) 長谷川櫂 人類に愛の神あり日向ぼこ (「俳句年鑑 2017年版」) 中原道夫 血で血を洗ふ絨毯の吸へる血は (「俳句年鑑 2017年版」) 池田澄子 同じ世に生れ合わせし襖かな (「俳句年鑑 2017年版」) 一生は呼気で了らん春告鳥 友岡子郷 子らの子のいくたり生れさくらかな (「俳句年鑑 2017年版」) 長瀬十悟 ふくしまの子として生まれ入園す (「俳句年鑑 2017年版」) 若井新一 夕焼雲飯田龍太の振り向かず (「俳句年鑑 2017年版」)2016.12.19. 俳句関係の本、適度によんでいるが、どうも刺激がすくない。老化によるものだろうか。 ところで、最近ネットで外国の俳句ページをちょこっと覗いてみた。 フランスとハンガリーのサイトで、芭蕉などと並んで、ぼくの俳句が紹介されているのを見つけた。 ホームページを作りはじめてからしばらくのこと、二十数年前だが、フランス語の簡単な俳句ページ を作った。芭蕉などを含め、あまり多くないが、具体的な俳句を紹介した。最後にぼくの句を十句前後 のせた。いわゆる初期の作品である。仏訳し、当時同僚だったジュゴンというフランス人にも不自然な 訳でないようにみてもらった。実は、そのページはその後手をいれていないのである。 そのページは HAIKU である。 フランスのサイト HAIKU 自転車に春の空気を入れてみる 雨の日は雨の中ゆく遍路かな ハンガリーのサイト HAIKU 自転車に春の空気を入れてみる 雪山に火焚けば雪の香りけり 蛍火よはるか昔の汽車の灯よ カーニバル君の乳房は揺れに揺れ 氷山が俺の頭に頑とゐる ちなみに、これはすべて 他選『富士・まぼろしの鷹』の句 にす でにはいっているのを今回確認した。2016.11.29. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2016年十二月号<新刊>)発行。 夏目漱石 海嘯(つなみ)去つて後すさまじや五月雨 どこやらで我名よぶなり春の山 秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ 本名は頓とわからず草の花 川端茅舎 兜虫み空を兜を捧げ飛び 富安風生 端然と坐りて春を惜しみけり 『愛は一如』 星野立子 凍蝶にかがみ疲れて立上る 高野ムツオ 揺れてこそ此の世の大地去年今年 『片翅』 死者二万餅は焼かれて脹れ出す 正木ゆう子 能村登四郎に「老残のこと伝はらず業平忌」あれば 絶滅のこと伝はらず人類忌 『羽羽』 夏井いつき 密会やさるとりいばら棘をはれ2016.11.11. 「現代俳句抄」 若干追加 玻璃窓を鳥ゆがみゆく年の暮 西東三鬼 ラゝラゝと青年うたひ年暮るる 山口青邨 冬ぞらへわが家の微塵のぼりゆく 阿部青鞋 よく晴れて気の散る秋の体かな 池田澄子2016.10.28. 十一月号刊行。佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(月刊) 追加二句 蕪村 炭団法師火桶の穴より窺ひけり 橋閒石 芹の水言葉となれば濁るなり (『微光』)2016.10.1. 橋閒石 追加一句 ついでに「現代俳句抄」橋閒石の箇所を若干整理 二階から降りて用なき石蕗日和 (『卯』)2016.9.30. 十月号刊行。佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(月刊) 「現代俳句抄」追加句 尾崎紅葉 芋虫の雨を聴き居る葉裏哉 (『紅葉句帖』) 中村草田男 「日の丸」が顔にまつはり真赤な夏 (『大虚鳥』) 初鴉大虚鳥(おほをせどり)こそ光あれ 橋間石 冬死なば烏百羽は群がるべし (『卯』) 吐くだけの息を吸うなり大根畑 (『微光』以後) 星野立子 いつの間にがらりと涼しチョコレート (『立子句集』) 八田木枯 春を待つこころに鳥がゐてうごく (『鏡騒』) 深見けん二 梨の花蜂のしづかににぎはへる (『花鳥来』) 摂津幸彦 鍵かけてしばし狂ひぬ春の山2016.9.20. 「現代俳句抄」 若干追加 飯田蛇笏 花弁の肉やはらかに落椿 (『心像』) 夏蝶のやさしからざる眸の光 (『椿花集』) 加藤楸邨 山ざくら石の寂しさ極まりぬ (『颱風眼』) 八田木枯 汗の馬なほ汗をかくしづかなり (『汗馬楽鈔』) 外套のままの仮寝に父の霊 あを揚羽母をてごめの日のくれは (『於母影帖』) ねころべば血もまた横に蝶の空 (『あらくれし日月の鈔』) 天袋よりおぼろ夜をとり出しぬ (『天袋』) うしろとは死ぬまでうしろ浮き氷 晝寝より覚めしところが現住所 (『夜さり』) ひるからは顔とりかへて櫻見に (『鏡騒』) 禿を嘆く粉ナ屋が霧の通夜にきて (『「鏡騒」以後』) 冬帽子晩年あをく澄みゐたる チンドン屋踊る生生流転かな2016.8.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2016年九月号)発行。2016.8.25. 以下追加句。追加句は「無限増殖」をさけて極めておさえめである。 小林一茶 秋の夜やしやうじの穴が笛を吹 我星はどこに旅寝や天の川 夕暮や鬼の出さうな秋の雲 秋風にあなた任せの小蝶哉 露の世の露の中にてけんくわ哉 今迄は踏れて居たに花野かな 送り火や今に我等もあの通り 飯田蛇笏 夏来れば夏をちからにホ句の鬼 (『家郷の霧』) 飯田龍太 短日やこころ澄まねば山澄まず (『山の木』) 加藤郁乎 知られようなどと思はじこぼれ萩 和田悟朗 戦争をせぬ国なれば平泳ぎ (『風車』) 寺井谷子 原爆投下予定地に哭く赤ん坊 (『夏至の雨』) 小川軽舟 楠若葉団地全棟全戸老ゆ (『手帖』) 谷雄介 開戦や身近な猿の後頭部 (「気分はもう戦争」)2016.7.22. 古典俳句も掲載している。たとえば、一茶は、 古典俳句抄 (一茶、蕉門な ど)。芭蕉 芭蕉句集、蕪村 蕪村句集 (俳詩掲載) 一茶を追加する。 小林一茶 天に雲雀人間海に遊ぶ日ぞ 我好(すき)て我する旅の寒(さむさ)哉 斯(か)う居るも皆がい骨ぞ夕涼 春立(たつ)や菰(こも)もかぶらず五十年 犬どもが蛍まぶれに寐たりけり 夏山の膏(あぶら)ぎつたる月よ哉 祝ひ日や白い僧達白い蝶 はいかいの地獄はそこか閑古鳥 穀(ごく)つぶし桜の下にくらしけり 金の糞しそうな犬ぞ花の陰 秋風やあれも昔の美少年 山畠やそばの白さもぞつとする (しなのぢやそばの白さもぞつとする) 「現代俳句抄」追加。 久保田万太郎 鳴く虫のただしく置ける間なりけり 安住敦 葱坊主子を憂ふれば切りもなし 大野林火 雪山に春のはじめの滝こだま 雪ふる夢ただ山中と思ふのみ 橋閒石 渡り鳥なりしと思う水枕 しばらくは風を疑うきりぎりす 細胞のひとつひとつの小春かな 木枕に秋のあたまを頼むかな 高屋窓秋 霧の中太陽一個考える 雪月花不幸な列車どこへ行く 能村登四郎 裏返るさびしさ水母くり返す 金子兜太 雪中に飛光飛雪の今がある (『東国抄』) 妻病みてそわそわとわが命あり 暁闇を猪(しし)やおおかみが通る ☆ 緑陰に津波の破船被曝せり 津波のあと老女生きてあり死なぬ 中村苑子 睡蓮や聞き覚えある水の私語 (『吟遊』) 藤田湘子 郭公の日暮や北は永遠(とは)に北 (『てんてん』) 柿本多映 炎帝の昏きからだの中にゐる 高野ムツオ 残りしは西日の土間と放射能 (『萬の翅』) 瓦礫より出て青空の蝿となる 江里昭彦 狼の滅びし郷(くに)のぼたん雪 北大路翼 杉花粉飛ぶ街中が逃亡者 (『天使の涎』)2016.6.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2016年七月号)発行。 句集、俳書、俳句雑誌など俳句は読んでいる。ただ、すでに「現代俳句抄」が重くなりすぎているの で、積極的に増やすつもりはない。 たとえば『私の好きなこの一句』(柳川彰治編、平凡社、2012年)の108位までの句はすべて 「現代俳句抄」にはいっている。それ以下は、好みがあらわれてか掲載しない句も適当にある。 今回は、それとは関係なく追加一句。 矢島渚男 着ぶくれて賢者の相の羊たち (『冬青集』)2016.6.21. 追加 山口誓子 おほわたへ座うつしたり枯野星 (『凍港』) 日野草城 雪の夜の紅茶の色を愛しけり (『草城句集』) 加藤楸邨 安達太良の瑠璃襖なす焚火かな (『雪後の天』) 一本の鶏頭燃えて戦(いくさ)終る (『野哭』) 寂として万緑の中紙魚は食ふ 汗垂れて昔こいし顔昼寝 (『起伏』) 鉄の刃の鉄を裁りとる夏まひる (『山脈』) 炎天や真のいかりを力とし (『吹越』) 蛇の頭はわれより軽げ太陽よ 陽炎の中にて財布のぞきゐる (『怒濤』) 西東三鬼 クローバーに青年ならぬ寝型残す (『変身』) 金子兜太 少年一人秋浜に空気銃打込む (『少年』) 眼を開けては光入れ眠り聖者の旅 (『暗緑地誌』) 麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人 (『詩經國風』) 心臓に麦の青さが徐徐に徐徐に (『両神』) 芸妓駆け来て屍(かばね)にすがる菜の花明り 二階に漱石一階に子規秋の蜂 熊ん蜂空気につまづき一回転 木や可笑し林となればなお可笑し (『日常』) ここに居て風雲(かざぐも)数十個を飛ばす 眠気さし顔とりおとす夏の寺 夏遍路欲だらけなりとぼとぼとぼ 蜃気楼旅人にフリーターも混じり 一生怠けて暮した祖父の柿の秋 いじわるな叔母逝き母に虎落笛 大航海時代ありき平戸に朝寐して 神生彩史 羽抜鳥しづかに蛇を跨(また)ぎけり 櫂未知子 白梅や父に未完の日暮あり (『蒙古斑』) 金澤明子 君だつたのか逆光の夏帽子2016.5.31. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2016年六月号)発行。2016.5.27. 西東三鬼 寝がへれば骨の音する夜寒かな (『旗』) 金子兜太 夜ふかく三日月で梳くみどりの髪 (『暗緑地誌』) 鷹羽狩行 熱中も夢中のときも過ぎて秋 (『十五峯』) なんとなく尋ねて泣かれ年忘 大峯あきら 麦熟れて太平洋の鳴りわたる (『短夜』) 深見けん二 春燈のふえて暮れゆく淡海かな (『菫濃く』) 矢島渚男 マフラーの少年よ聴け星のうた (『冬青集』) 加藤静夫 水着なんだか下着なんだか平和なんだか (『中略』) 高柳克弘 見てゐたり黴を殺してゐる泡を (『寒林』) 火の如く一人なりけり落葉踏み もう去らぬ女となりて葱刻む2016.5.25. 「現代俳句抄」追加。 石田波郷 椎若葉さわぎさやぐは何思ふか (『鶴の眼』時代) 生き得たりいくたびも降る春の雪 (『酒中花以後』) 能村登四郎 霧をゆく父子同紺の登山帽 (『合掌部落』) 飯田龍太 奥甲斐の夜毎の月の猿茸(ましらたけ) (『山の影』) 橋閒石 水母から便りありたる薄暑かな (『微光』) しろがねの噂好きなる尾花かな 混沌の落し子なりやかたつむり 矢島渚男 ちらばりし遺伝子たちへお年玉 (『冬青集』) 銀河系銀河ちひさしただ寒し あをぞらに波の音する春の富士 永劫の時死後にあり名残雪 攝津幸彦 ひんやりとしゆりんと朱夏の宇宙駅 (『鹿々集』) 繃帯の人と食ふべし茸飯 高澤晶子 地獄見し男と遊ぶさくらかな2016.5.23. 「現代俳句抄」追加。 飯田蛇笏 鷹まうて神座のたかねしぐれそむ (『山響集』) 桐一葉月光むせぶごとくなり (『心像』) 父祖の地に闇のしづまる大晦日 (『雪峽』) 惨として飛翔かたむく蟷螂かな (『家郷の霧』) 荒潮におつる群星なまぐさし (『椿花集』) 原石鼎 大空と大海の辺に冬籠る 永田耕衣 朝顔や死神は少年であつて欲し (『自人』) 金子兜太 最果ての赤鼻の赤魔羅の岩群(いわむれ) (『えんえん』) 三橋敏雄 蛍火のほかはへびの目きつねの目 (『巡禮』) 能村登四郎 すこしづつ死ぬ大脳のおぼろかな (『長嘯』) 森澄雄 白地着てつくづく妻に遺されし (『餘日』) 古澤太穂 本漁ればいつも青春肩さむし (『古澤太穂句集』) 深見けん二 人ゐても人ゐなくても赤蜻蛉 (『水影』) 飯田龍太 裏返る蟇の屍(かばね)に青嶺聳(た)つ (『今昔』) 眠る嬰児(やや)水あげてゐる薔薇のごとし(『山の木』) 源流を夢みてねむる蛍の夜 山椒魚(はんざき)の水に鬱金の月夜 夏すでに海恍惚として不安 (『童瞳』) 大峯あきら 花野よく見えてゲーテの机かな (『夏の峠』) 長谷川櫂 虚空あり定家葛の花かほる (『虚空』)2016.4.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2016年五月号)発行。 上記の五月号の「後記」を再録しておく。 「後記」 とにかく句作するよりほかない。句は理屈でつくるのではない。発想の現場に出会う。実際に作るの はあとにしても、そこからだ。抽象的な出会いもありうる。 といってもそれなりに客観性を獲得させるため(といいわけして)、俳論なども積極的に読んではい る。 あらためて、虚子への信仰はすさまじい。ぼくも虚子の巨大さは常に感じている。大きな世界だ。だ が、俳句作りが虚子一辺倒になったら、虚子信者ばかりになったら、俳句の世界は表面的な豊かさとと もに、多様性のない荒涼としたものになるはずだ。(社会性俳句、前衛俳句の否定など) すべては説明のしかただ。虚子信者ではないはずだが、五島高資が、かならずしも虚子だけの世界で はないが「天人合一」を使って、金子兜太の世界を説明している。ぼくも俳句だけではなく表現の世界 には、「天地同源」「万物一体」といった視点も必要と思い、それについての文章も書いたりしている。 (「天地同源」「万物一体」) 五島も俳句表現をすべて「天人合一」に集約しようとはしていない。芭蕉にも通じる俳句世界の通奏 低音の一つであるものとして、それなりに豊かな世界とも思えるのである。 五島の引用をしておく。 「天人合一」 金子兜太が辿りついた至境(五島高資) 天と人間との関係をどうとらえるかという問題は,中国思想史を貫く大きなテーマであるが,天・ 人を対立するものとせず,本来それは一体のものであるとする思想,あるいはその一体性の回復を目 ざす修養,または一体となった境地を〈天人合一〉と呼んでいる。 すでに《荘子》において表明されているが,これを盛んに唱道したのは宋代の道学者であった。朱 子学でいう〈天理を存し人欲を去る〉という命題もひとつの天人合一論ということができる。 虚子世界としては、最近読んだものでは、『虚子と現代』(岩岡中正)が、ただ、反省の辞にもかか わらず、間違って読むと虚子教になりかねない懸念を含みつつも、おもしろかった。 次の稲畑汀子の文は、虚子の魅力をわかりやすくのべている。ただ、俳句全体をかんがえると、その 世界だけに安んじているのはいかがなものかな、と自戒を含めて思うのである。 稲畑汀子 (『高浜虚子の世界』) 小諸から帰った虚子は、救済の文学という考えを打ち出す。 虚子は自我を脱ぎすぎたのである。 軽々と自由に、何物にも執着せず、自然と挨拶を交わし、すべてを善しと肯定して生きる虚子の姿が 浮かんでくる。そこでは空気は甘く光に満ち、動物も植物も喜びにあふれて遊んでいる。生も死もその ままでよいのである。 ところで、最近禅会場にいくことはない。今まで間欠的にではあるが禅は五十年近く続けている。 「人間禅」というグループがあることは、ネットはじめて以来知っていたが、今回あらためて覗いて みると、丸川春潭老師の講演録に次のようなものがあり、目新しさはないが、基本的というか自戒の意 味もあって引用しておきたい。(最近自戒することが多い) 「知識の集積だけでは創造はできない。感性が不可欠。」(丸川春潭) セレンディピティとは、思いがけないひらめきであります。理論に加え、いろいろな知識経験を 総合しても所詮人知であり、隠れた宇宙の真理はまだ大部分が未知であります。その未知の存在に 気がづくには、人知を越えたひらめきが必要であり、このひらめきは知性ではなく感性の働きであ ります。(丸川 春潭)2016.4.29. 「現代俳句抄」若干追加 富澤赤黄男 玉ねぎが白くて風邪をひいてゐる (『魚の骨』) 虹を切り 山脈(やま)を切り 秋の鞭 (『蛇の笛』) 和田悟朗 死ぬほどに愛していしがかき氷 (『疾走』) 高野ムツオ 心臓も木瓜もくれない地震の夜 (『萬の翅』) 坪内稔典 友だちのいない晩夏の貨物船 (『ヤツとオレ』) びわ食べて君とつるりんしたいなあ2016.4.21. 「現代俳句抄」若干追加 高浜虚子 さまよへる風はあれども日向ぼこ (『五百五十句』) 我が庭や冬日健康冬木健康 (『七百五十句』) ☆ 春来れば路傍の石も光あり 夏目漱石 大和路や紀の路へつづく菫草 大野林火 薄墨桜風立てば白湧きいづる 福田蓼汀 目つむれば我も石仏山眠る 木村蕪城 鷹のほか落暉にそまるものもなし 高屋窓秋 南風や屋上に出て海を見る (『白い夏野』) 星月の昏き曠野をゆきまよふ 西東三鬼 葡萄あまししづかに友の死をいかる (『旗』) 月夜少女小公園の木の股に 野見山朱鳥 運慶の仁王の舌の如く咳く (『曼珠沙華』) 磔の釘打つ如く咳きはじむ 吹雪く夜の影の如くにわれ病めり 鶏頭の大頭蓋骨枯れにけり 永田耕衣 池を出ることを寒鮒思ひけり (『驢鳴集』) 森澄雄 しばらくは藻のごときとき年を越す (『鯉素』) 能村登四郎 すべて黴びわが悪霊も花咲くか (『枯野の沖』) 鷹羽狩行 新妻の靴づれ花野来しのみに (『誕生』) わが而立握り拳を鷹も持つ 阿部青鞋(せいあい) かあかあと飛んでもみたいさくらかな (『火門集』) かたつむりいびきを立ててねむりけり 空蝉もたしかに鳴いて居りにけり 空たかくのびてしまいし二人のキス 橋閒石 まさしくは死の匂いかな春の雪 (『和栲』) 眉白く虹の裏ゆく旅人よ 春浅き二階へ声をかけて出る 草の根を分けても春を惜しむかな たましいの玉虫色に春暮れたり いたずらに僧うつくしや二月の山 ☆ 日の沈むまで一本の冬木なり 河原枇杷男 外套やこころの鳥は撃たれしまま (『鳥宇論』) 冬暗き渚は鈴を秘蔵せり 流木の一つは深夜を飛行せり 梨の木に老虚無栖んで暮らしけり 上田五千石 冬薔薇の花瓣の渇き神学校 (『田園』) 鳥雲に西方の使者帰りけり みみず鳴く日記はいつか懺悔録 有馬朗人 なまけものぶらさがり見る去年今年 攝津幸彦 うしろより地球濡れるや前かがみ (『鳥屋』) 白象に苦しむ姉に江戸の春 してゐる冬の傘屋も淋しい声を上ぐ 子宮より切手出て来て天気かな ある夜の桜に懸る飛行服 高野ムツオ 白鳥や空には空の深轍 奥年の途中の一日冬菫 (「俳句」2015) 太宰治 首くくる縄切れもなし年の暮2016.3.31. 若干追加。またあらためて。 攝津幸彦 人の鼻つまみし覚えなき聖夜 (『鹿々集』) 人生を視る術なくて平目かな 光部千代子 日本に目借時ありセナ爆死 (俳誌「鷹」) 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2016年四月号)発行。2016.3.13. 「現代俳句抄」追加とともに、最後に「近代俳句抄」(今回は大島蓼太と一茶)の追加 高濱虚子 我心漸(やうや)く楽し草を焼く (『五百句』) 芽ぐむなる大樹の幹に耳を寄せ 巣の中に蜂のかぶとの動く見ゆ 宝石の大塊のごと春の雲 (『五百五十句』) 尾は蛇の如く動きて春の猫 (『六百句』) 犬ふぐり星のまたたく如くなり 悔もなく誇もなくて子規忌かな (『六百五十句』) 下萌の大磐石をもたげたる 昼寝して覚めて乾坤新たなり (『七百五十句』) 苔寺を出てその辺の秋の暮 風雅とは大きな言葉老の春 ☆ 草萌の大地にゆるき地震かな 此谷の梅の遅速を独り占む 河東碧梧桐 しだり尾の錦ぞ動く金魚かな 川端茅舎 此石に秋の光陰矢の如し 星野立子 くる煙よけつつ落葉焚いてをり 相生垣瓜人 先人は必死に春を惜しみけり 西東三鬼 強き母弱き父田を植ゑすすむ (『変身』) 豊胸の胸の呼吸へ冬怒濤 薔薇の家犬が先ず死に老女死す 巨大な棺五月のプール乾燥し 露けき夜喜劇と悲劇二本立 (『変身』以後) 地震来て冬眠の森ゆり覚ます 這い出でて夜霧舐めたや魔の病 永田耕衣 夜なれば椿の霊を真似歩く (『悪霊』) 少年を噛む歓喜あり塩蜻蛉 (『葱室』) 上村占魚 春の水光琳模様ゑがきつつ 野澤節子 峠路を行かばそのまま雪をんな 草間時彦 こだはらず妻はふとりぬシクラメン 森澄雄 子のこゑのことに女(め)の子の春の暮 (『四遠』) さくらよしり少し色濃し桜餅 (『所生』) 飯田龍太 春の雲人に行方を聴くごとし (『麓の人』) 手毬唄牧も雪降るころならむ (『山の影』) 鈴木しづ子 黒人と踊る手さきやさくら散る 河原枇杷男 身のなかの逢魔が辻の蛍かな (『閻浮提考』) 死はひとつ卵生みけり麦の秋 蝶吹雪こころは枝の如く在り (『蝶座』) 死にごろとも白桃の旨き頃とも思ふ (『喫茶去』) 家霊みな嫗のかほや稲の秋 安井浩司 キセル火の中止(エポケ)を図れる旅人よ (『中止観』) はこべらや人は陰門(ひなと)にむかう旅 (『蜜母集』) 深山菫慟哭しつつ笑いけり (『氾人』) 月光や漂う宇宙母(ぼ)あおむけに (『空なる芭蕉』) 師と少年宇宙の火事を仰ぎつつ (『宇宙開』) 和田悟朗 秋の入水眼球に若き魚ささり (『七十万年』) 即興に生まれて以来三輪山よ (『即興の山』) トンネルは神の抜け殻出れば朱夏 (『風車』) 吉岡実 湯殿より人死にながら山を見る 対馬康子 乳与う胸に星雲地に凍河 (『戦後生まれの俳人たち』) マフラーをはずせば首細き宇宙 仙田洋子 記紀の山よろこぶごとくふぶきけり (『戦後生まれの俳人たち』) 夏井いつき 木枯を百年聞いてきた梟 (『戦後生まれの俳人たち』) 照井翠 夏草や根の先々の髑髏(されこうべ) (『戦後生まれの俳人たち』) 西山睦 バス降りてまたバスを待つ鰯雲 (『戦後生まれの俳人たち』) 「近代俳句抄」 大島蓼太 筆取てむかへば山の笑ひけり 小林一茶 春風の国にあやかれおろしあ船2016.2.28. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2016年三月号)発行。2016.2.25. 「現代俳句抄」追加 飯田蛇笏 雁仰ぐなみだごころをたれかしる (『雪峡』) 飯田龍太 炎天に樹々押しのぼるごとくなり (『百戸の谿』) 大仏にひたすら雪の降る日かな 今昔? 寺山修司 駒鳥いる高さに窓あり誕生日 野澤節子 霜の夜の眠りが捕ふ遠き汽車 上田五千石 冬空の鳶や没後の日を浴びて 福永耕二 わがための珈琲濃くす夜の落葉 ☆ なお、久しぶりに「他選 『富士・まぼろしの鷹』の句 」に一句追加 たつぷりと酒あるけふの夜長かな 佐々木敏光2016.2.16. 例によって、追加はすくない。あれこれと読んではいるのだが、ついついこのページと連動している 「現代俳句抄」のページがいたずらに巨大になること、つまりカオス状態になることを警戒している点 もあるのである。 飯田蛇笏 黒衣僧月界より橇に乗りて来ぬ (『山廬集』) 三橋鷹女 藤垂れてこの世のものの老婆佇つ (『橅/ブナ』以後) 赤尾兜子 心中にひらく雪景また鬼景 (『玄玄』) 飯田龍太 しぐる夜は乳房二つに涅槃の手 (『忘音』) 家を出て枯れ蟷螂のごとく居る (『遅速』) 飯島晴子 はくれんのひしめく真夜をさめてをり(『儚々』) 高柳重信 八雲さし 島ひとつ いま 春山なり (『日本海軍』) 平井照敏 秋の道あとをつけくるわれの闇 (『夏の雨』) 夏石番矢 南の大魚の夢に入りて叫びたし (『人体オペラ』)2016.1.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2016年二月号)発行。 最近、更新はきわめて少ない。「現代俳句抄」のページがいたずらに巨大になることに、つまりカオ ス状態になることを警戒している面もある。 句会にでていない分だけ、句集、俳論、俳句雑誌などを積極的に読み、おまけにテレビの俳句番組(玉 石混交であるが)まで見てはいるが、具体的な句の引用はまあいいっかととりあげないことが多い。 そのきわめて少ない更新。 飯田蛇笏 濠の月青バスに乗る河童かな (『霊芝』) はたと合ふ眼の悩みある白日傘 (『山響集』) 寒の闇匂ふばかりに更けにけり (『家郷の霧』) 原石鼎 あるじよりかな女が見たし濃山吹 (『花影』) とんぼうの薄羽ならしし虚空かな 前田普羅 我が思ふ孤峰顔出せ青を踏む (『普羅句集』) 阿部みどり女 鈴虫のいつか遠のく眠りかな (『雪嶺』) 飯田龍太 外風呂へ月下の肌ひるがへす (『百戸の谿』) 横溝正史 やや反語的な辞世句 どん栗の落ちて虚(むな)しきアスファルト2015.12.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(2016年一月号)発行。 また、久しぶり「現代俳句抄」追加。 中村草田男 春草は足の短き犬に萌ゆ (『長子』) 諸手さし入れ泉にうなづき水握る (『母郷行』) 富澤赤黄男 蝶ひかりひかりわたしは昏くなる (『天の狼』) 川崎展宏 すみにけり何も願はぬ初詣 (『冬』) 大峯あきら 大木の静かになりてしぐれけり (『短夜』) 蘇我入鹿亡びし夏野歩きけり 和田悟朗 瞬間はあらゆる途中蓮ひらく (『疾走』) 本当は迷える地球夏に入る 高齢は病いにあらず朴の花 水中に水見えており水見えず この卵どんなひよこか卵呑む なつかしき太平洋を泳ぐなり 奥坂まや 万緑の山高らかに告(の)りたまへ (『縄文』) 大谷弘至 春の水大塊となり動きけり (『大旦』)2015.12.8. 久しぶり「現代俳句抄」に追加句を。 その前に、最近思わず抜き書きした三冊の本をあげておく。 まず、赤尾兜子『歳華集』巻末のの大岡信の「赤尾兜子の世界」より。 兜子の句、「大雷雨鬱王と会うあさの夢」など衝撃的な句もあり、喚起的な句もあるが、大部分の句 になじめなかった。なにかイメージが固く、息苦しさを感じ、しっくりいかなかった。次の文を読み、 納得。 「しかし私は、これらの句があまりにも息苦しいと感じる。(中略)この種の句について論じようと思 えば、結局のところそれぞれの人間の趣味のちがいということを言わざるを得ないのである。趣味など というと、それだけで批評を放棄したようにみなす人もいるだろう。しかし、趣味は批評の本質をなす ものであって、ただそれをくだくだしく説明するのは面倒だから省略するのである。」 つぎに、筑紫磐井 『戦後俳句の探究』 103ページから数ページ。社会性俳句についてのまとめ 的なページ。ぼくが考えていたことが、うまく表現されている。 ●すぐれた思想は、すぐれた俳句を生むとは限らない。すぐれた俳句は常にすぐれた思想をもつもので はない。すぐれていない思想が、しばしばすぐれた俳句を生むこともある。我々は虚子からそれをすっかり学んでいる。 ●望ましいたった一つの俳句の方向があるのではない。俳句にはたくさんの方向がある。 ●俳句はこれしかないときめつけること――統制――は悪である。 ●だれでもやっているということは、結果もたかが知れているということである。 ●優れた表現は、作品の中からのみ発見される。すぐれた思想から生まれるのではない。 ●社会性の本質とは未知の創造ではない。共感なのである。 最後に、吉本隆明『吉本隆明 最後の贈りもの』から。吉本も最晩年には、どうかなという発言も多 くなったが、これもどうかなとおもいつつも、俳句だものなとついついそうだともおもってしまう。 ●(「俳句は一行の詩だ」という考え方に対して) 本来的に言うと俳句は主観性と客観性が一句の中に入っていることの方が重要だと僕は思います。 現代俳句、近代俳句が一行の詩にしちゃったということは、五七五の俳句形式としてやるんなら長持ち はしないですよ。きっと、「これはのっぺらぼうだ。一行で何をいっているのか」と思われる時代が必 ず来ると思います。 「現代俳句抄」追加句。 夏目漱石 生き返へるわれ嬉しさよ菊の秋 朝寒や生きたる骨を動かさず (吐血した朝) 飯田蛇笏 大空に富士澄む罌粟の真夏かな (『山廬集』) 旅終へてまた雲にすむ暮春かな (『白嶽』) 原爆忌人は弧ならず地に祈る (『家郷の霧』) 川端茅舎 白樺の霧にひびける華厳かな 山口誓子 驟雨来ぬ?は両眼濡らし啼く (『七曜』) 木蔭より総身赤き蟻出づる 鬼灯を地にちかぢかと提げ帰る (『激浪』) やはらかき稚子(ちご)の昼寝のつづきけり たらたらと縁に滴るいなびかり 駆け通るこがらしの胴鳴りにけり (『遠星』) 寒月に水浅くして川流る 寒き夜のオリオンに杖挿し入れむ (『晩刻』) 水枕中を寒柝うち通る (『青女』) ひぐらしが啼く奥能登のゆきどまり (『青銅』) 大枯野日本の夜は真暗闇 (『大洋』) 加藤楸邨 学問の黄昏さむく物を言はず (『寒雷』) 冬の浅間は胸を張れよと父のごと (『山脈』) 天の川鷹は飼はれて眠りをり (『砂漠の鶴』) バビロンに生きて糞ころがしは押す (『鸛と煙突』) 今もなほ絵踏みや何か踏みつづけ (『怒濤』) 霜柱どの一本も目ざめをり あらがへる背骨一本青あらし 黴の中一本の径(みち)通りをり (『望岳』) 海底に何か目ざめて雪降り来 陽炎と共に時計の中をゆく (「寒雷1993」) 三橋鷹女 椿落つむかしむかしの川ながれ (『樵』) 山口青邨 わが机古しこほろぎ来て遊ぶ (『露団々』) 永田耕衣 百合剪るや飛ぶ矢の如く静止して (『吹毛集』) 秋雨や空盃の空溢れ溢れ (『悪霊』) 両岸に両手かけたり春の暮 (『殺佛』) 物感として頭脳在り秋の暮 (『殺祖』) 鈴木真砂女 蛍をいのち預けし人とみる (『紫木蓮』) 金子兜太 霧中疾走創る言葉はいきいき吐かれ (『蜿蜿』) 中村苑子 狐面つけて踊りの輪の中に (『花隠れ』) 車椅子ぽつねんとあり死後の秋 桂信子 往生に「大」をつけたし今朝の春 (『草影』以後) 波多野爽波 大根の花や青空色たらぬ (『舗道の花』) 川崎展宏 箸置に箸八月十五日 (『秋』) 成田千空 佞武多みな何を怒りて北の闇 (『百光』) 森田峠 春光のステンドグラス天使舞ふ 坪内稔典 春風に母死ぬ龍角散が散り (『落花落日』) 長谷川櫂 みちのくの山河慟哭初桜 (『震災句集』) わが眠る氷の庵たづねこよ (『柏餅』) 今年また愚かにをれば春立ちぬ 寝て覚めて桜や花の宿 (『吉野』) 死神のとなりと知らず日向ぼこ (『沖縄』) 魂の銀となるまで冷し酒 ☆ 地球自滅以後の沈黙天の川 石田郷子 若水を夫汲みくれよ星あかり (『草の王』) 生きてゆくための沈黙かたつむり 山口優夢 投函のたびにポストへ光入る 石牟礼道子 花ふぶき生死のはては知らざりき (『石牟礼道子全句集』) 蕪村未確認句(最近発見された)に二句追加 さくら咲いて宇宙遠し山のかい (「宇宙」は当時全空間全時間(時間も内包している)を指していた) 一輪の月投入れよ谷の水2015.11.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(十二月号)発行。2015.11.18. 久しぶり「抄」に追加。 渡辺水巴 秋風や眼を張つて啼く油蝉 (『水巴句集』) 村上鬼城 花ちりて地にとどきたる響かな 原月舟 リリリリリチチリリリチチリリと虫 久保田万太郎 懐手頭を刈つてきたばかり (『流寓抄』) ものの芽のわきたつごときひかりかな (『流寓抄以降』) 高浜年尾 お遍路の静かに去つて行く桜 (『年尾句集』) 山口青邨 雲の中滝かがやきて音もなし (『雪国』) 中村汀女 春宵や駅の時計の五分経ち (『汀女句集』) 洗髪月に乾きしうなじかな 童等のふつつり去りし夕落葉 星野立子 春めくと覚えつつ読み耽るかな (『笹目』) 失せものにこだはり過ぎぬ蝶の昼 いふまじき言葉を胸に端居かな 激情を日焼けの顔の皺に見し (『実生』) 赤とんぼとまればいよよ四方澄み (『続立子句集』) 西東三鬼 不眠症魚は遠い海にゐる (『荊冠』) 三橋鷹女 女一人佇てり銀河を渉るべく 渡邊白泉 馬場乾き少尉の首が跳ねまわる (『白泉句集』) 赤く青く黄いろく黒く戦死せり 石塚友二 原爆も種なし葡萄も人の知恵 (『玉縄抄』) 金子兜太 鶴の本読むヒマラヤ杉にシヤツを干し (『蜿蜿』) 佐藤鬼房 秘してこそ永久(とわ)の純愛鳥渡る (『愛痛きまで』) 鈴木六林男 夏の季語らし「戦友」の二人消え (『一九九九年九月』) 富澤赤黄男 めつむれば虚空を黒き馬をどる (『天の狼』) 高屋窓秋 やはらかき小径とおもふ月あかり (『白い夏野』) 雪つもる国にいきもの生れ死ぬ 阿部青鞋 台風後かまきり蝶をくひにけれり (『ひとるたま』) ひるねからさめたるうしろ頭かな 野見山朱鳥 虚空より鶴現はるる遠嶺かな (『天馬』) 天に祈る人に廃墟に天の川 (『荊冠』) 遠きより帰り来しごと昼寝覚 (『愁絶』) 仰臥こそ終の形の秋の風 林田紀音夫 月光のをはるところに女の手 (『林田紀音夫句集』) 三橋敏雄 裾野枯れのけぞり光る厭な富士 (『まぼろしの鱶』) 高柳重信 早鐘の吉野をい出て海に立つ (『山川蝉夫句集』) * いま 我は 遊ぶ鱶にて 逆さ富士 * 灰が降る 丘の酒場に 身を焼く薪 (『伯爵領』) * 火渡周平 (1912-1944) セレベスに女捨てきし畳かな (『匠魂歌』) 月天心くりかへし自爆くりかへし 上田五千石 麦秋やあとかたもなき志 (『琥珀』) 加藤郁乎 渋うちは一見詩人烏合の衆 (『江戸櫻』) 茨木和生 どぶろくはぐいぐいと呑め鎌祝 (『真鳥』) 蛇も迂闊われも迂闊や蛇を踏む 正木浩一 すれ違ふべき炎天の人はるか (『槇』) 江里昭彦 生(あ)れてなお屈葬型に眠る児よ (『ラディカル・マザー・コンプレックス』) 夏石番矢 夏の浪中上健次大むくろ (『楽浪』) 本の海の本の沖には神の孤独 (「俳壇」2015.11.)) 高野ムツオ 俳句またその一花なり黴の花 (「俳壇」2015.11.) 室生犀星 秀才の不治の病や冬薔薇 ☆ 「古典俳句抄」 高尾 君は今駒形あたり時鳥 蕪村 底のない桶こけ歩行(ありく)野分哉 (『楽日庵句集』)2015.10.31. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(十一月号)発行。2015.10.24. 夏目漱石 凩に裸で御(お)はす仁王哉 思ふ事只一筋に乙鳥(つばめ)かな 星一つ見えて寐られぬ霜夜哉 春暮るる月の都へ帰り行(ゆく) 長けれど何の糸瓜とさがりけり 詩を書かん君墨を磨れ今朝の春 菜の花の遥かに黄なり筑後川 吾妹子を夢見る春の夜となれり 漱石(俳句的詩句 漢詩の一行) 孤愁 鶴を夢みて 春空に有り 阿波野青畝 閑かさにひとりこぼれぬ黄楊の花 (『萬両』) 補陀落は地ひびきすなり土用浪 (『不勝簪』) 佐藤鬼房 北溟二魚有リ盲ヒ死齢越ユ (『枯峠』) 大高翔 胸の奥に風だけ吹いて夏の果 (『17文字の孤独』)2015.10.16. 蕪村の新発見の句。 最近与謝蕪村の未確認の212句の俳句発見という記事がでた。 とりあえず記事からそれの句の一部ををとりあげる。全貌はそのうち出版されるであろう書籍による ほかない。 傘(からかさ)も化(ばけ)て目のある月夜哉 (「夜半亭蕪村句集」) 我焼(やき)し野に驚(おどろく)や屮(くさ)の花 蜻蛉(かげらう)や眼鏡をかけて飛歩行(とびあるき) ところで、石牟礼道子と渥美清と俳人ではない句を追加する。句集をあらためて読んだことによる。 すでにそれぞれ一句ずつ「現代俳句抄」にとりあげている。 いわく 祈るべき天と思えど天の病む (石牟礼) お遍路が一列に行く虹の中 (渥美) 今回追加句は、次の通り。 石牟礼道子 さくらさくらわが不知火はひかり凪 (『石牟礼道子全句集』) 渥美清 赤とんぼじっとしたまま明日どうする (『赤とんぼ』) ただひとり風の音きく大晦日2015.10.14. 「現代俳句抄」の追加句を。 高濱虚子 木々の芽のわれに迫るや法(のり)の山 (『五百句』) 静さに耐へずして降る落葉かな (『五百五十句』) 日ねもすの風花淋しからざるや 実朝忌由井の浪音今も高し 深秋といふことのあり人も亦 (『六百句』) 人の世も斯く美しと虹の立つ (『六百五十句』) 河東碧梧桐 髪梳き上げた許りの浴衣で横になつてるのを見まい (『八年間』) ☆ 鷹鳴いて落花の風となりにけり 飯田蛇笏 あな痩せし耳のうしろよ夏女 (『山廬集』) 洟かんで耳鼻相通ず今朝の秋 秋の草全く濡れぬ山の雨 炭売の娘(こ)のあつき手に触りけり 奥嶺よりみづけむりして寒の渓 (『白嶽』) 谷梅にとまりて青き山鴉 (『心像』) 空林の霜に人生褸の如し (『家郷の霧』) 百合の露揚羽のねむる真昼時 (『椿花集』) 水原秋櫻子 焼岳のこよひも燃ゆる新樹かな (『新樹』) ぜすきりしと踏まれ踏まれて失せたまへり わがきくは治承寿永の春の雨か (『秋苑』) 七十路は夢も淡しや宝舟 (『殉教』) 加藤楸邨 砂暑し沈黙世界影あるき (『死の塔』) 頬杖の何を見てゐる冬銀河 冬の薔薇すさまじきまで向うむき (『怒濤』) 雲の峯巨大な崩壊見をわりぬ 富安風生 彳(た)つ人に故郷遠し浮寝鳥 (『草の花』) 日向ぼこ笑ひくづれて散りにけり 清閑になれて推書裡夏来る (『冬霞』) 春禽の声も万物相の中 しみじみと妻といふもの虫の夜 (『母子草』) 書淫の目あげて卯の花腐しかな (『朴落葉』) 人われを椋鳥と呼ぶ諾はん (『晩涼』) かげろふと字にかくやうにかげろへる ほつとして何となけれど春夕べ (『愛日抄』) 人間所詮誰も彼も我執丙午の春 (『傘寿以降』) 露の世の子を抱き給ふ地蔵尊 藤田湘子 雪の夜のしづかな檻の中にをり 本宮哲郎 父と子と豪気な雪を下ろしけり あたたかき乳房がふたつ雪女 長男に生れて老いて雪下ろす2015.10.3. 「古典俳句抄」(一句)、「現代俳句抄」(複数)追加句 榎本星布 散花のしたにめでたき髑髏哉 内藤鳴雪 俎に薺のあとの匂ひかな (『内藤鳴雪俳句集』) 夏目漱石 蟷螂(とうろう)の何を以つて立腹す 奈良の春十二神将剥げ尽せり 船出るとののしる声す深き霧 朝顔や咲た許りの命哉 君が名や硯に書いては洗ひ消す 寺田寅彦 美しき女に逢ひし枯野哉 橋本多佳子 濃き墨のかわきやすさよ青嵐 (『信濃』) 橋間石 顔剃らせいて梟のこと思う (『微光』) 飯島晴子 西国は大なめくじに晴れてをり (『春の蔵』) 大峯あきら 元日の山を見てゐる机かな (『短夜』) 金銀の木の芽の中の大和かな 昼ごろに一人通りし深雪かな 和田悟朗 親鸞と川を距てて踊るかな (『櫻守』) 夏至ゆうべ地軸の軋む音すこし (『少間』) 藤の花少年疾走してけぶる (『坐忘』) 荻原朔太郎 枯菊や日々に覚めゆく憤り 神保光太郎 サンルーム花と光のさざめける 寺山修司 生命線ほそく短し秋日受く ねじめ正一 チューリップ明るいバカがなぜ悪い2015.9.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(十月号)発行。2015.9.27. (前回続き) 角川の俳句関係の読本といえば、高柳重信の読本が、勘違いしたせいか二冊ある。 今回、「石田波郷読本」(角川、平成16年)を入手したこともあり、手持ちの他の角川の俳人読本 も読みなおしたが、ついでに高柳重信も読みなおしてみた。前回いれなかった龍太も追加。 高柳重信 健康がまぶしきときの女たち (『前略十年』) 飯田龍太 永き日の水照(みで)りはばたくばかりかな (『山の木』) 商業俳句雑誌「角川俳句」からは、高野ムツオさんの連載「俳句の時空」の九月号の引用句 から、橋閒石の句を。ついでに、橋間石再読追加。 橋閒石 葛の花帰りこしもの未だ無し ☆ 陽炎を隔てて急ぐものばかり (『和栲』) お浄土がそこにあかさたなすび咲く2015.9.25. 「石田波郷読本」(角川、平成16年))を手に入れたのを機会に、すでに手持ちの読本のなかか ら加藤楸邨、飯田龍太、中村草田男、飯島晴子を読みなおしたり、ついでに読本ではないが水原秋桜 子、山口誓子などもざーと読みなおした。読み直しながら、「現代俳句抄」追加の句として入れても いいかなと思った句もなくはなかったが、安易にそうすれば、「現代俳句抄」の句がいたずらに増殖 することになりかねないので、抑えに抑えたので、今回の追加はきわめて少なくなった。 水原秋桜子 雷鳥もわれも吹き来し霧の中 (『葛飾』) 芥子咲くやけふの心の夕映に (『霜林』) 加藤楸邨 おぼろ夜の身を貫ける骨一つ (『吹越』) 渡り鳥消えし虚空を君渡る (悼む) 石田波郷 名月や格子あるかに療養所 (『惜命』) 不眠者のベツドきしみて枯野星 山口誓子 全山の雪解水富士を下(くだ)りゆく (『不動』) 巨き船出でゆき蜃気楼となる 蛍火の極限の火は緑なる 中村草田男 鰯雲百姓の背は野に曲る (『火の島』) 銀河の下ひとり栄えて何かある (『来し方行方』) 飯島晴子 腸のよろこんでゐる落椿 (『八頭』) 大雪のわれのニコニコ絣かな 漲りて一塵を待つ冬泉 (『寒晴』) 商業俳句雑誌は、「角川俳句」「俳句界」「俳壇」に目をとおしているが、よっぽどでないと 「現代俳句抄」には抜き出さない。 極めて例外的に抜き出すときは、あ面白いと、そのときの勢いで、かならずしもこれこそ追加句 だというわけでもない。次の句もそうだ。元「鷹」の小澤さんという思いもある。 小澤實 花火いま連射連発照りに照る (2015「俳壇」9月号)2015.9.8. 昨日の流れの中での「現代追加抄」追加。 飯島晴子 初夢のわが野に放つ一悍馬 (『平日』) 正木ゆう子 千年の楠に今年の若葉かな (『夏至』)2015.9.7. 「現代追加抄」追加。ついでに「古典俳句抄」も一句。 夏目漱石 限りなき春の風なり馬の上 なあるほどこれは大きな涅槃像 思ふ事ただ一筋に乙鳥(つばめ)かな 山門や月に立つたる鹿の角 中村苑子 父母遥か我もはるかや春の海 (『吟遊』) 上田五千石 火の鳥の羽毛降りくる大焚火 (『琥珀』) 飯島晴子 雪吊を見てゐて酷なことを云ふ (『八頭』) 岡本眸 芥子散るや音なくすすむ物思ひ (『知己』) 正木ゆう子 太古より宇宙は晴れて飾松 (『静かな水』) クロールの夫と水にすれ違う 大石悦子 眼の力曼珠沙華にて使ひきる (『百花』) 池田澄子 元日の開くと灯る冷蔵庫 (『空の庭』) 湯ざましが出る元日の魔法瓶 前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル (『たましいの話』) 夕月やしっかりするとくたびれる 先生の逝去は一度夏百夜 戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ 蓋をして浅蜊あやめているところ (『拝復』) よし分った君はつくつく法師である 奥坂まや 大いなる鰭欲し春の夕暮は (『縄文』) ☆ 高井几菫 (きとう)(1741-1789) おちぶれて関寺謡ふ頭巾哉2015.8.29. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(九月号)発行。2015.8.28. 「現代追加抄」追加。「俳句」(2015.8)「澤」創刊15周年の記事より。 小澤實 槍烏賊の直進水を強く吐き なお上記記事に中沢新一の記念講演への言及がある。あまり俳句サイドからの自画自賛になること もないが、こころしていいことと思う。 「人類十万年の歴史のなかで途切れることなく続いた詩を、短い俳句という型にここまで洗練させ たのは日本人だけである」 「俳句を作るとき、私たちは大きな叡知の歴史のなかにいる」(中沢新一)2015.8.21. 「現代俳句抄」追加。あくまで備忘録的メモであり、無理をしてまで追加しないのが、基本となっ ている。 芥川龍之介 雪どけの中にしだるる柳かな (岩波文庫『芥川竜之介俳句集』) 花薊おのれは我鬼に似たるよぞ 草の実や門を出づれば水暗し 秋風や人なき道の草の丈 仁平勝 片足の皇軍ありし春の辻 櫂未知子 簡単な体・簡単服の中 今橋真理子 若葉して光は光影は影 (『戦後生まれの俳人たち』) 井上弘美 大いなる夜桜に抱かれにゆく (『戦後生まれの俳人たち』) 佐藤文香 夕立の一粒源氏物語 (俳句甲子園 最優秀句) 遺影めく君の真顔や我を抱き (『君に目があり見開かれ』)2015.8.14. 「古典俳句抄」「現代俳句抄」追加。あらたに読んだり、読みなおしたりした句で、自分のため メモっていた方がいいものを書き留めるというのが、出発時からの方針である。図書館の本もずいぶん 利用した。 最近、手許に当然あると思った本が、なかなか見つからないケースが増えている。最近では、岩波文 庫の『芥川竜之介句集』が見つからない。よみなおしのため当座、市立図書館でかりてきた。 蕪村 水にちりて花なくなりぬ岸の梅 (『蕪村句集』) 揚州の津も見えそめて雲の峰 古庭に鴬啼きぬ日もすがら (『歳旦帖』) 夏目漱石 かたまるや散るや蛍の川の上 (『漱石俳句集』) 虫遠近病む夜ぞ静かなる心 芥川龍之介 銀漢の瀬音聞こゆる夜もあらむ (岩波文庫『芥川竜之介俳句集』) 枯芝や庭をよこぎる石の列 埋火の仄に赤しわが心 (恋) 春の夜や小暗き風呂に沈み居る 秋風や尻ただれたる女郎蜘蛛 切支丹坂を下り来る寒さ哉 迎火の宙歩みゆく龍之介 福永耕二 薫風のみなもとの樟大樹なり (『踏歌』) 川崎展宏 晩年を隈なく照らす今日の月 夏石番矢 あめんぼの吹き溜りにて目覚めけり (『猟常記』) 森の議会すべての雨粒が議員 (『ターコイズ・ミルク』) 地球より重たいミルクの最後の一滴 父と子のあいだの山・川・火の港 強風や原発の底に竹の根 (『ブラックカード』(2012)) ☆ 鴉と一緒に夕日は叫んでみたくなる 飯島晴子 枯葦の流速のなか村昏るゝ (「馬酔木」時代) 死の如し峰雲の峰かがやくは (『平日』) 星野石雀 妄想は老の逸楽飛花落花 (『鷹』2015.8)2015.7.28. 日曜美術館「与謝蕪村 無限の想像力 西洋美術とあう」(Eテレ2015年7月19日 )を見た。 北川健次の『美の侵犯』に触発されての番組であった。蕪村と西洋絵画のコラボ。 蕪村の句に誘発され浮かぶ絵画を出席者があれこれ上げてみる企画だった。お遊びではいいのだが、 だんだん退屈になってきた。 ただ、番組でも紹介されたが、『美の侵犯』にあるルオーの「郊外のキリスト」を使っての 「月天心貧しき町を通りけり」 との取り合わせはぼくにとっては秀逸に思えた。 参考に、その絵を。 「郊外のキリスト」 ********** 金子兜太の追加句。 兜太はすでに多くの句を掲載しているが、発想の自由さは大いに参考になる。ただ、単なる追従者 になってもつまらない。 熊蜂とべど沼の青色を抜けきれず (『少年』) 黒部の沢真つ直ぐに墜ちてゆくこおろぎ (『猪羊集』) 禿頭の悪童もいるすももの里 雪の家房事一茶の大揺(おおゆ)すり (『皆之』)2015.7.24. 「現代俳句抄」追加句。 高濱虚子 大風に沸き立つてをる新樹かな 高野素十 お降りといへる言葉も美しく (『雪片』) 高柳重信 富士は 白富士 至るところの 富士見坂 (『山海集』) 渡辺白泉 ふつつかな魚のまちがひ空を泳ぎ わが胸を通りてゆけり霧の舟 永田耕衣 秋雨や空杯の空溢れ溢れ 朝顔や我を要せぬ我である 木下夕爾 一片の雲ときそへる独楽の澄み (『遠雷』) 金子兜太 暁闇に褌(たふさぎ)代えて初日待つ (『東国抄』) 三好潤子 行きずりに星樹の星を裏返す (『澪標』) 深見けん二 俳諧の他力を信じ親鸞忌 (『日月』) 福永耕二 燕が切る空の十字はみづみづし 和田吾朗 アマゾンを地球の裏に年の市 黒田杏子 まつくらな那須野ヶ原の鉦叩 (『一木一草』) 大木あまり 蜥蜴と吾どきどきしたる野原かな2015.7.19. 「現代俳句抄」追加句。 山口誓子 赤エイは毛物のごとき眼もて見る (『凍港』) 西東三鬼 聖燭祭工人ヨセフ我が愛す (『旗』) 父のごとき夏雲立てり津山なり (『変身』) 鶯にくつくつ笑ふ泉あり 堀徹 夜学書のなだれ落ちたる音なりし 飯田龍太 隼の鋭き智慧に冬青し (『百戸の谿』) 寺山修司 西行忌あおむけに屋根裏せまし 福永耕二 いわし雲空港百の硝子照り 大峯あきら 大きな日まいにち沈む雪間か (『短夜』) 片山由美子 命あるものは沈みて冬の水 (『香雨』) 小川軽舟 かへりみる道なつかしく夏野行く2015.7.9. 「現代俳句抄」追加句。 高濱虚子 思ふこと書信に飛ばし冬籠 (『六百句』) 山口誓子 み仏の肩に秋日の手が置かれ (『不動』) 加藤楸邨 鵙たけるロダンの一刀われに欲し (『野哭』) 大鷲のつめあげて貌かきむしる 正木浩一 永遠の静止のごとく滝懸る 正木ゆう子 ものさしは新聞の下はるのくれ (『静かな水』) 岩岡中正 春の海かく碧ければ殉教す (『春雪』) 渡辺誠一郎 人間はものにすがりて春の月 (「小熊座」平成27年5月号) 春愁の炉心の底の潦 山田露結 たましひが人を着てゐる寒さかな2015.6.23. 「現代俳句抄」追加。余計なことは書かない。 俳句的一行 谷、響を惜しまず、明星来影す 空海(『三教指帰』) 高濱虚子 家持の妻恋舟か春の海 阿波野青畝 一点は鷹一線は隼来 (『あなたこなた』) 山口誓子 俯向きて鳴く蟋蟀のこと思ふ (『七曜』) 山口青邨 ともしびにうすみどりなる春蚊かな (『雑草園』) 阿部みどり女 めまぐるしきこそ初蝶と言ふべきや まなうらは火の海となる日向ぼこ 京極杞陽 短夜や夢ほどはやき旅はなく (『さめぬなり』) 高屋窓秋 花の悲歌つひに国歌を奏でをり (『花の悲歌』) 右城暮石 妻の遺品ならざるはなし春星も (『虻峠』) 佐藤鬼房 齢(よわい)来て娶るや寒き夜の崖 永田耕衣 人寂し優し怖ろし春の暮 橋間石 風呂敷をひろげ過ぎたる秋の暮 鷹羽狩行 人の世に花を絶やさず返り花 (『十二紅』) 高柳重信 友よ我は片腕すでに鬼となりぬ (『山川蝉夫句集』) 真鍋呉夫 露ふたつ契りしのちも顫へをり 三村純也 幽霊が出る教室も夏休み (『常行』) 高野ムツオ 白鳥や空には空の深轍 (『雲雀の血』) 山下知津子 抱擁を待つや月光なだれ込む (『髪膚』) たつぷりと闇を吸ひたる熟柿かな (『髪膚』以降) 奥坂まや 芒差す光年といふ美しき距離 (『縄文』) 兜虫一滴の雨命中す 小川軽舟 一塊の海鼠の如く正気なり (『呼鈴』) 川口真理 葱買うて木村拓哉のさみしき目 (『双眸』) 夫 骨肉の透きてゆきたる十二月 佐藤文香 セーターをたたんで頬をさはられて (『君に目があり見開かれ』)2015.6.26. やや早いが、七月号準備中の報告をしておく。仮発行だ。最終的には発行は三十日だ。 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』(月刊)2015.6.20. 「現代俳句抄」追加 虚子 来る人に我は行く人慈善鍋 (『五百句』) 蝿叩手に持ち我に大志なし (『七百五十句』) 飯田蛇笏 旧山廬訪へば大破や辛夷咲く (『山廬集』) 大木を見つつ閉(さ)す戸や秋の暮 霜とけの囁きをきく猟夫(さつを)かな うらうらと旭(ひ)いづる霜の林かな 京極杞陽 浮いてこい浮いてこいとて沈ませて (『くくたち上』) 春風や但馬守は二等兵 (『くくたち下』) 二串の花見団子の三色かな (『但馬住』) 月一つ見つづけて来しおもひあり (『花の日』) かなしみのむかごめしでもたべやうか (『さめぬなり』) 金子兜太 屋上に洗濯の妻空母海に (『少年』) 日の夕べ天空を去る一狐かな (『狡童』) 海鳥が撃突おれの磨崖仏 (『旅次抄録』 ) この入江にひとり棲む鳶ひとり舞う (『詩經國風』) つばな抱く娘(こ)に郎朗と馬がくる たつぷりと鳴くやつもいる夕ひぐらし (『皆之』) 語り継ぐ白狼のことわれら老いて (『両神』) 福島 被曝の牛たち水田に立ちて死を待てり (「海程」2011年11月) 森澄雄 餅焼くやちちははの闇そこにあり (『花眼』) 浮寝していかなる白の浮 (『浮』) ? はるかよりの女(め)ごゑ西行忌 (『鯉素』) 淡海いまも信心の国かいつむり 若狭には佛多くて蒸鰈 昼酒もこの世のならひ初諸子 (『游方』) 亀鳴くといへるこころをのぞきゐる 飲食(おんじき)をせぬ妻とゐて冬籠 (『所生』) 人の世は命つぶてや山櫻 (『餘日』) 雪の夜のわれも路通か余呉に寝て 死にぎはの恍惚おもふ冬籠 (『花間』) 藤田湘子 春の草孤独がわれを鍛へしよ (『てんてん』) 飯島晴子 氷水東の塔のおそろしく (『朱田』) 山かぞへ川かぞへ来し桐の花 春嵐足ゆびをみなひらくマリア (『八頭』) 愛居はも春の吹雪の忽ちに 大空はいま死者のもの桐の花 (『寒晴』) 郭公や吾が石頭たのもしく (『儚々』) 子どもうせ天神さまの泉かな 豆ごときでは出て行かぬ鬱の鬼 萍のみんなつながるまで待つか わが闇の何処(いづく)に据ゑむ鏡餅 (『平日』) 今井聖 春風や舳先に立てば出る涙 (「俳句」2015.4.) 俳句的一行 万有引力とはひき合う孤独の力である 谷川俊太郎(『二十億光年の孤独』)2015.6.11. 「現代俳句抄」追加 夏目漱石 神の住む春山白き雲を吐く 寺田寅彦 老子虚無を海鼠と語る魚の棚 哲学も科学も寒き嚔(くさめ)哉 松瀬青々 元日の庭に真白の椿かな 高野素十 蛇泳ぐ波をひきたる首(こうべ)かな (『初鴉』) 久保田万太郎 亡き人に肩叩かれぬ衣がへ 三橋鷹女 けものらの耳さんかくに寒明けぬ 富澤赤黄男 蚊帳青し水母にもにてちちぶさは 山口誓子 螢谿足音の無き人が来る 片山桃史 兵隊の町に雪ふり手紙くる 京極杞陽 テームスのふなびとに寄せ窓の薔薇 (『くくたち上』) 百日紅佛蘭西風と見れば見ゆ 風車とまりかすかに逆まはり 花石榴燃ゆるラスコリニコフの瞳 炎天に鼻を歪めて来りけり 鶏頭を撲ち撲つ雨の白き鞭 西東三鬼 鏡餅暗きところに割れて座す 山口青邨 お供餅の上の橙いつも危し 安住敦 ある朝の鵙聞きしより日々の鵙 瀧春一 絶対に甘柿と言ふ苗木買ふ 佐藤鬼房 赤光の星になりたい穀潰し 三橋 変更 こちら日本戦火に弱し春の月 (『しだらでん』) 阿部青鞋 人生をにくんで泳ぐプールかな (『ひとるたま』) 綿菓子屋をらねばならぬ祭かな 海溝を貝の墜ちゆく夏の夢 淋しさや竹の落葉の十文字 (「補遺」) 元朝のねりはみがきをしぼりだす 桂信子 ゆくゆくは骨撒く洋の冬怒濤 (『花影』) 川口重美 渡り鳥はるかなるとき光りけり 中村苑子 放蕩や水の上ゆく風の音 ゆふべ死んで炎天を来る黒い傘 寺山修司 稲妻に目とじて神を瞠(み)ざりけり 仙田洋子 百年は生きよみどりご春の月 (『子の翼』) 野口る理 小瑠璃飛ぶ選ばなかつた人生に (『しやりり』)2015.6.4. 忘れていたことだが、 かつて「芭蕉句集」のページをつくったころ は、『奥の細道』の尿前の句、 蚤虱馬の尿(しと・ばり)する枕もと に、二通りの読み方をのせていた。尿前(しとまえ)の読み方ととともに、まだまだ「しと」とルビを つけたテキストが多かったことにもよる。四、五年前考え直し、当地の言い方を生かした、臨場感のあ る「ばり」にした方がいいと思ったが、「芭蕉句集」のページはついつい訂正することを忘れていた。 蚤虱馬の尿(ばり)する枕もと と、そのページに余計な説明はくわえずに、変更しておく。2015.5.30. 「現代俳句抄」若干追加。 『富士山麓』六月号準備中。 富澤赤黄男 黒い手が でてきて 植物 をなでる 飯田龍太 満目の秋到らんと音絶えし (『童眸』) 晩年の父母あかつきの山ざくら 柚の香はいづれの世の香ともわかず (『今昔』) 中村苑子 枯野光わが往く先をわれ歩く (『四季物語』) 炎天下貌失ひて戻りけり (『吟遊』) むかし吾(あ)を縛りし男(を)の子凌霄花(のうぜんくわ)(『花隠れ』) 飯島晴子 目張鮨割つてわれらが国見かな (『寒晴』) 諾ふは寒の土葬の穴一つ (『儚々』) 月見草ここで折れてはおしまひよ (『平日』) 遙かなる筍堀の挙動かな 攝津幸彦 淋しさを許せばからだに当る鯛 (『鳥屋』) 新聞紙揉めば鳩出る天王寺 (『鹿々集』) 田中裕明 夏の旅みづうみ白くあらはれし (『山信』) 初雪の二十六萬色を知る (『桜姫譚』)2015.5.28. 久しぶりに「現代俳句抄」追加。 『富士山麓』六月号準備中。 三橋敏雄 知合の神様は無し独活の花 (『しだらでん』) 流星や生れし覚えなき嬰児 飯田龍太 鏡餅ひとごゑ山に消えしまま (『山の影』) 淑気来る誰ひとり居ぬ小径より (『遅速』) 大峯あきら 春の雪眺めてをれば積りけり (『短夜』) 静かなる盤石に夏来たりけり 京極杞陽 ががんぼのタツプダンスの足折れて トトトトと鳴る徳利や桜鯛 ひとり酌む李白は月に吾は虫に 人生は秋晴もあり野菊も咲き 文挟夫佐恵 鰯雲美しき死を夜に誓ふ 反戦の一人の旗を巻く朧 文挟夫佐恵 反戦の一人の旗を巻く朧 (『時の彼方』) 香水は「毒薬(ポアゾン)」誰に逢はむとて (『青愛鷹』) ☆ 鰯雲美しき死を夜に誓ふ 小原啄葉 フクシマの片仮名かなし原発忌 (『無辜の民』) 小澤實 盃をコップに代へよ春の雪 (『瞬間』)2015.5.19. 「現代俳句抄」追加。 和田悟朗 大空の自由をわれと蜜蜂と (『俳句界』2015.2月号) 臼田亞浪 草原や夜々に濃くなる天の川 (『旅人』) 久保田万太郎 なにがうそでなにがほんとの寒さかな (『冬三日月』) 室積徂春 月あらば乳房にほはめ雪をんな (『定本室積徂春句集』) 眼つむれば我れも虫なる虫時雨 仁智栄坊 射撃手のふとうなだれて戦闘機 (注:射撃手絶命) 野村泊月 名月やどこやら暗き沼の面 (『旅』) 相生垣瓜人 死にきらぬうちより蟻に運ばるる (『明治草』) 高屋窓秋 核の冬天知る地知る海ぞ知る (『花の悲歌』) 永遠と宇宙を信じ冬銀河 篠原鳳作 一塊の光線(ひかり)となりて働けり(「海の旅」現代俳句集成六) 西東三鬼 女学院燈ともり古き鴉達 (『旗』) 三階へ青きワルツをさかのぼる 渡邊白泉 秋の日やまなこ閉づれば紅蓮の国 (『渡邊白泉全句集』) 富澤赤黄男 黒豹はつめたい闇となつてゐる (『天の狼』) 永田耕衣 物書きて天の如くに冷えゐたり (『驢鳴集』) 橋關ホ 見えているだけで安堵や冬大樹 (『和栲』) 河原枇杷男 淵に来てしばらく水の涼むなり (『鳥宇論』) 桂信子 まんじゆさげ月なき夜も蘂ひろぐ (『女身』) 三好潤子 稲妻の翼が吾を羽交締め (『夕凪橋』) 鷹羽狩行 山みちはみな山に消え西行忌 噴煙のごときを上げて氷河崩(く)ゆ 稲畑汀子 皆花野来しとまなざし語りをり (『汀子第二句集』) 今井杏太郎 初空のなんにもなくて美しき (「麦藁帽子」) 辻田克己 毛布にてわが子二頭を捕鯨せり (『明眸』) 寺井谷子 秋灯かくも短き詩を愛し 横光利一 摘草の子は声あげて富士を見る2015.5.12. 「現代俳句抄」追加。 大峯あきら 金銀の木の芽の中の大和かな (『短夜』) 草枯れて地球あまねく日が当り 九天に舞ひはじめたる落葉かな 齋藤慎爾 病葉を涙とおもふ齢かな (『俳句』2015.2月号) 高野ムツオ 人間の数だけ闇があり吹雪く (『俳句』2015.3月号) 西村我尼吾 のどけしや破壊はすべて消えてゆく (『俳句あるふぁ』2015.2,3月号) 角川源義 起伏(おきふしの)丘みどりなす吹流し (『ロダンの首』) 殿村菟絲子 烈風の辛夷の白を旗じるし (『樹下』) 夏目漱石 鶯や障子あくれば東山 高濱虚子 蟻這ふや掃き清めたる朝の土 臼田亞浪 こんこんと水は流れて花菖蒲 篠原鳳作 一碧の水平線に籐寝椅子 篠原梵 やはらかき紙につつまれ枇杷のあり 西島麦南 木の葉髪一世(ひとよ)を賭けしなにもなし 原石鼎 鹿二つ立ちて淡しや月の丘 山口誓子 音立てて落つ白銀の木の葉髪 星野立子 月の下死に近づきて歩きけり 鈴木六林男 歯朶の原女怒涛の如く寄る 能村登四郎 まさかと思ふ老人の泳ぎ出す 井上弘美 卒業の空のうつれるピアノかな 関悦史 天使像瓦礫となりぬ卒業す (『六十億本の回転する曲がつた棒』)2015.5.2. 「現代俳句抄」追加句を。 あれこれ句集、選集、俳書、俳句雑誌などを読んでいる。「俳句抄」がいたずらにカオス的にならな いように自分なりに厳選している。(といっても、あらゆる芸術と同じで、結局は好みの問題になるの で、勝手な厳選といわれても仕方がない) 最近、こんな本があるのかと面白かったものがある。 『子どもと楽しむ短歌・俳句・川柳』(あゆみ出版)である。故高柳重信の妹の高柳美知子と重信の 娘の高柳蕗子による編著である。高柳の名にそうように、自由と言うか、奔放というか、面白い選になっ ている。 すでに「現代俳句抄」にはいれているが、元「鷹」の先輩であった四ッ谷龍の 「はればれとわたしをころすさくらかな」 と言う句もはいっている。 高濱虚子 玉の如まろぶ落花もありにけり 花の雨強くなりつつ明るさよ 門を出る人春光の包み去る 立子けふボストン日本花盛り 踏みて直ぐデージーの花起き上る 園丁の指に従ふ春の土 燕(つばくら)のゆるく飛び居る何の意ぞ いつの間に霞そめけん佇ちて見る 春昼や廊下に暗き大鏡 ぼうたんの花の上なる蝶の空 理学部は薫風楡の大樹蔭 一匹の蝿一本の蝿叩 線と丸電信棒と田植笠 美しい蜘蛛居る薔薇を剪りにけり 羽抜鳥卒然として駈けりけり 風鈴に大きな月のかかりけり 橋裏を皆打仰ぐ涼舟 秋の蝿うてば減りたる淋しさよ ダンサーの裸の上の裘(かはごろも) 飯田蛇笏 日輪にきえいりてなくひばりかな 川端茅舎 寒月や穴の如くに黒き犬 永井荷風 捨てし世も時には恋し若かへで 日野草城 砂山をのぼりくだりや星月夜 山口誓子 月光が皮手袋に来て触るる 秋元不死男 靴裏に都会は固し啄木忌 百合山羽公 急流のごとき世なれどおでん酒 吉野義子 海底山脈山頂は島冬耕す 金子兜太 夕狩の野の水たまりこそ黒眼(くろめ) (『暗緑地誌』) 髭のびててつぺん薄き自然かな (『狡童』) 人さすらい鵲(かささぎ)の巣に鳩眠る (『詩經國風』) 人間に狐ぶつかる春の谷 春光漆黒わが堂奥に悔の虫 (『日常』) 桂信子 啓蟄やこの世のもののみな眩し 能村登四郎 月明に我立つ他は箒草 (『羽化』) 石原八束 素顔さへ仮面にみゆる謝肉祭 橋關ホ 送り出てそのまま春を惜しみおり (『微光』) 鷹羽狩行 昼は日を夜は月をあげ大花野 福田甲子雄 春雷は空にあそびて地に降りず 渋沢渋亭 春の水靨(ゑくぼ)を見せて流れをり 久米三丁 朱に交り鬼灯市に無頼たり 川崎展宏 あとずさりしつつわたしは鯰です (『観音』) 上田五千石 硝子戸に洗ひたてなる春の闇 河原枇杷男 身のなかを身の丈に草茂るかな 十三夜畳をめくれば奈落かな 松本旭 一両の電車浮き来る花菜中 眞鍋呉夫 雪 桜 螢 白桃 汝が乳房 中嶋秀子 流燈となりても母の躓けり 江國滋 おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 柿本多映 回廊の終りは烏揚羽かな 宇多喜代子 わが死後を崩るる書物秋きらら (『象』) ☆ 半身は夢半身は雪の中 高野ムツオ 詩の神を露一粒となって待つ (『萬の翅』) 仁平勝 いじめると陽炎になる妹よ 稲田眸子 炎天や別れてすぐに人恋ふる 久保純夫 山櫻人体も水ゆたかなる 正木ゆう子 青萩や日々あたらしき母の老 奥坂まや 曼珠沙華青空われに殺到す 藺草慶子 花言葉輝くばかり種を蒔く 大高翔 体じゆう言葉がめぐる花火の夜 (『17文字の孤独』) 三木露風 赤蜻蛉とまっているよ竿の先 (童謡「赤とんぼ」の第4節には三木露風が13歳の頃に作った「赤蜻蛉とまっているよ竿の先」の俳 句が歌い込まれている)2015.4.29. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』五月号 (2015年) を今日発行した。2015.4.24. 『笑う子規』(天野祐吉編集、筑摩書房)のときもそうだったが、今回『笑う漱石』(南伸坊、七つ森 書館)を読み、前もって追加候補としていた句を含めて、漱石のおかしな俳句をもうすこし追加しても いいかなと思い追加を実行する。 漱石 凩や真赤になつて仁王尊 落つるなり天に向つて揚雲雀 端然と恋をしてゐる雛(ひいな)かな 名月や無筆なれども酒は呑む 老たん(耳偏に冉)のうとき耳ほる火燵(こたつ)かな 老たん=老子 むつとして口を開かぬ桔梗かな 瓢箪は鳴るか鳴らぬか秋の風 菜の花の中に糞ひる飛脚哉 海見えて行けども行けども菜畑哉 本来の面目如何(いかん)雪達磨 温泉や水滑らかに去年の垢 行けど萩行けど薄の原廣し 馬の背で船漕ぎ出すや春の旅 秋高し吾白雲に乗らんと思ふ 温泉湧く谷の底より初嵐 酒なくて詩なくて月の静かさよ 雪隠の窓から見るや秋の山 山の温泉(ゆ)や欄に向へる鹿の面 鐘つけば銀杏(いちょう)ちるなり建長寺 家も捨て世も捨てけるに吹雪哉 ついでに子規も再々々々々(?)追加。 正月や橙(だいだい)投げる屋敷町 一日は何をしたやら秋の暮 弘法は何と書きしぞ筆始 猫老て鼠もとらず置火燵 睾丸の大きな人の昼寝かな 春風や象引いて行く町の中 夕立や蛙の面に三粒程 忍ぶれど夏痩にけり我恋は 夏草や嵯峨に美人の墓多し 無精さや蒲団の中で足袋をぬぐ 蒲団から首出せば年の明けて居る 行水や美人住みける裏長屋2015.4.19. 最近は俳句生活にしぼっている。今まで色々な事をやってきた。わがウエブサイトでも俳句の他、 ヴィヨンとモンテーニュのページがある。 ただし、ヴィヨンとモンテーニュのページの更新は最近ほとんど行っていない。また俳句以外のペー ジの更新は、これからもほとんど行われないだろうと思っている。俳句中心にしぼった結果である。 モンテーニュの言葉を使わせてもらうと、すでに他の箇所で引用している次の文と重なる思いである。 俳句を通じてぼくもぼくなりに晩年を楽しく(?)充実させて生きることを考えている。 私の意図は、余生を楽しく暮らすことで、苦労して暮らすことではない。そのために 頭を悩まそうと思うほどのものは何もない。学問だってどんなに価値があるにしても、 やはり同じことである。私が書物に求めるのは、そこから正しい娯楽によって快楽を得 たいというだけである。勉強するのも、そこに私自身の認識を扱う学問、よく死によく 生きることを教える学問を求めるからに他ならない。(モンテーニュ『エセー』IIー10) 今回、モンテーニュに関して久しぶりの更新をしたので、俳句以外の活動の記録として、下記の文を ここに残しておくことにする。 「ヴィヨン」 「モンテーニュ『エセー』(随想録)*東洋の知恵(智恵)」 「森の中のモンテーニュ」 ************************************* 「森の中のモンテーニュ」 『寝るまえ5分のモンテーニュ』(コンパニョン著、山上・宮下訳、白水社、2014年11月)を薦め る。 この頃は、俳句を中心とした生活をしている。かねてより残り少ない人生は、自分なりに創作に関わ る活動を中心にすごしたいと思っていた。そして今句作とともに読書なども含めてそうしているのであ る。 読書生活においても、モンテーニュの比重は極端にちいさくなっている。ヴィヨンはもっと少ない。 直接俳句俳句に関わるものでなくともその刺激になるものは比較的読んではいる。たとえば詩や短歌、 漢詩などは、詩人の辻征夫や西脇順三郎、万葉集、陶淵明などそれなりに読んでいる。禅や老荘思想の 本も多い。 さて、モンテーニュであるが、最近彼について書くことはなかった。そしてこれが最後になりそうで ある。俳句生活にしぼっているのである。 最近読んだモンテーニュに関わる本では、入門的な本とはいえ、しっかりとモンテーニュをとらえて いる本だと感心した本がある。 『寝るまえ5分のモンテーニュ』である。若い時代ぼくが勤めていたことのある白水社発行の本であ る。 四十のテーマを引用文を適切につかいながら、モンテーニュの世界をうまくまとめて紹介している。 帯に「本格派の入門書」と書いてあるが、その表現にふさわしい本となっている。 フランス16世紀という乱世の時代に生き、鋭い洞察力を柔軟な文体で表現したモンテーニュの基本 的な問題をうまくまとめて紹介している本書の細かい記述はやめておくが、最後の40の章の最後には、 「竹馬に乗ったとて、どっちみち自分の足で歩かなければいけないではないか。いや、世 界でいちばん高い玉座の上にあがったとしても、われわれはやはり、自分のお尻の上にす わるしかない。」 というモンテーニュの文章を引用し、 「彼(モンテーニュ)は、裸一貫の人間、自然に従い、おのれの運命を受け入れる、われ らの兄弟である。」 という文で閉じていることを書いておく。 最後にもういちど。『寝るまえ5分のモンテーニュ』(白水社)を薦める。 *************************************2015.4.17. 「現代俳句抄」の追加句。 夏目漱石 ゆく春や振分(ふりわけ)髪も肩過ぎぬ 春の川を隔てて男女哉 高濱虚子 その辺を一廻りしてただ寒し 芥川龍之介 明眸の見るもの沖の遠花火 中塚一碧樓 夫人よ炎天の坂下でどぎまぎしてよろしい (『一碧樓第二句集』) 川端茅舎 朴の花猶青雲の志 室生犀星 少女らの白妙の脚かぎろへり 中村草田男 この世の未知の深さ喪に似て柘榴咲く (『銀河依然』) 神生彩史 抽斗の国旗しづかにはためける 鈴木六林男 おかしいから笑うよ風の歩兵達 (『荒天』) 三橋敏雄 死の国の遠き桜の爆発よ (『まぼろしの鱶』) ☆ 山深く隠るる山やほととぎす 能村登四郎 敵手と食ふ血の厚肉と黒葡萄 高柳重信 目醒め がちなる わが盡忠(じんちゆう)は 俳句かな 飯島晴子 ひとの死へ磨く黒靴朧の夜 橋間石 枕から外れて秋の頭あり 折笠美秋 天体やゆうべ毛深きももすもも (『虎嘯記』) 福田甲子雄 稲刈つて鳥入れかはる甲斐の空 (『白根山麓』) 眞鍋呉夫 大昼寝湖の底抜けんとす (『雪女』) 河原枇杷男 春の道わが家まで来て昏れゐたる 矢島渚男 やあといふ朝日へおうと冬の海 八木三日女 初釜や友孕みわれ涜(けが)れゐて (『紅茸』) 友岡子郷 ただひとりにも波は来る花ゑんど (『翌(あくるひ)』) 戸恒東人 寒禽しづかなり震度7の朝2015.4.12. まず「古典俳句抄」、次いで「現代俳句抄」の追加句 夏目成美 銭臭き人にあふ夜はおぼろなり 朝の雪おなじ文こす友ふたり 橋一つ越す間を春の寒さかな 小林一茶 穀値段どかどか下るあつさ哉 ************************** 正岡子規 蝿を打ち蚊を焼き病む身罪深し 夏目漱石 溜池に蛙闘ふ卯月かな 梅の奥に誰やら住んで幽(かす)かな灯 手向(たむ)くべき線香もなくて暮の秋 (子規追悼句、倫敦にて) 村上鬼城 綿入や妬心もなくて妻哀れ 鹿の子のふんぐり持ちて頼母(たのも)しき 馬に乗つて河童遊ぶや夏の川 新しき蒲団に聴くや春の雨 砂原を蛇のすりゆく秋日かな 原石鼎 襟巻に一片浮ける朱唇かな (『花影』) 松村蒼石 木の葉降る闇やはらかと思ひ寝む 盆の月遥けきことは子にも言はず 星野立子 ペリカンの人のやうなる喧嘩かな (『立子句集』) 下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 三橋鷹女 夕日が来て枯向日葵に火を放つ (『羊歯地獄』) 林原耒井 満員電車巾着(きんちやく)切りも汗すらむ 渡辺白泉 秋霖(しうりん)の社会の奥に生きて食ふ 中村苑子 重信忌いまも瑞瑞しき未完 森澄雄 阿修羅あり雲雀あがれる興福寺 桂信子 かりがねや手足つめたきままねむる (『月光抄』) 春燈のもと愕然と孤独なる 雁なくや夜ごとつめたき膝がしら ☆ いつの世も朧の中に水の音 能村登四郎 うららかや長居の客のごとく生き 富澤赤黄男 暗闇に座れば水の湧くおもひ (『天の狼』) 津田清子 命綱たるみて海女の自在境 橋關ホ 木の股の猫のむこうの空気かな 西田幾多郎のごとく冬帽掛かりいたり 寺山修司 春の虹手紙の母に愛さるる2015.4.9. まず「現代俳句抄」、ついで「古典俳句抄」の追加句 森鴎外 春の海おもちやのやうな遠き舟 夏目漱石 帰ろふと泣かずに笑へ時鳥 (『漱石俳句集』) 初夢や金も拾はず死にもせず どこやらで我名よぶなり春の山 名月や十三円の家に住む 日あたりや熟し(じゆくし)の如き心地あり 湧くからに流るるからに春の水 若葉して籠りがちなる書斎かな 先生の疎髭(そぜん)を吹くや秋の風 三階に独り寝に行く寒かな (倫敦) 雲の峰雷を封じて聳えけり 秋の蚊のささんとすなり夜明方 甦(よみが)へる我は夜長に少しづつ 逝く人に留まる人に来る雁 決闘や町をはなれて星月夜 尾崎放哉 犬よちぎれるほど尾をふつてくれる 阿部みどり女 九十の端(はした)を忘れ春を待つ 加藤楸邨 蝸牛いつか哀歓を子はかくす 能村登四郎 老残のこと伝はらず業平忌 (『咀嚼音』) みほとけの千手犇(ひしめ)く五月闇 (『天上華』) 三橋敏雄 桃咲けり胸の中まで空気満ち 上村占魚 天上に宴ありとや雪やまず 伊丹公子 思想までレースで編んで 夏至の女 栗林千津 ぼけぬという保証はどこにもない春だ 下田実花 寒紅や暗き翳ある我が運命 八田木枯 洗ひ髪身におぼえなき光ばかり 平井照敏 (1931-2003) おさへねば浮き出しさうな良夜なり (『天上大風』) 高橋悦男 実朝の海あをあをと初桜 石寒太 一期は夢一会はうつつ旅はじめ 五島高資 海峡を鮫の動悸と渡るなり 俳句的一行 馬 軍港を内蔵してゐる 北川冬彦 高篤三 浅草は風の中なる十三夜 ******「古典俳句抄」******* 池西言水 行く我もにほへ花野を来るひとり 志太野坡 夕すずみあぶなき石にのぼりけり 行く雲をねてゐてみるや夏座敷 榎本星布 蝶老てたましひ菊にあそぶ哉2015.3.29. あちこち飛び回って蜜をあつめる。仕事はあまり熱心ではないが、とにかく飛び回っている。 「現代俳句抄」追加。 飯田蛇笏 はかなきは女人剃髪螢の夜 富安風生 夏空へ雲のらくがき奔放へ 武原はん かげろふの羽より淡し舞衣 飯田龍太 遺されて母が雪踏む雪あかり 草間時彦 父ほどの放蕩出来ず柚子の花 三橋敏雄 春深き混沌君われ何処へ行く 八田木枯 裸にてさみしきことを為すべきか 岡田日郎 雪渓の水汲みに出る星の中 塚本邦雄 天命を待ちくたびれて枯紫苑 河原枇杷男 君とねて行方不明の蝶ひとつ 池田澄子 月の夜の柱よ咲きたいならどうぞ2015.3.24. 「現代俳句抄」、更新は極めて減っている。すでに十分重くなっていると思い、あまり情報過多にし たくないという思いがあるのである。そして、何より句作に専念する。ただ、世界をひろげるため、詩 などを含めての幅広く読書は続ける。 その極めて少ない更新が、以下。 正岡子規 故郷やどちらを見ても山笑ふ 人にあひて恐しくなりぬ秋の山 高濱虚子 椿艶これに対して老ひとり 京極杞陽 美しきひと美しくマスクとる 三橋鷹女 人の世のことばに倦みぬ春の浪 安住敦 過ぎし日は昨日も遠し浮寝鳥 秋元不死男 満開の花の中なる虚子忌かな 森澄雄 秋山と一つ寝息に睡りたる 中尾寿美子 旅人はぱつと椿になりにけり 有馬朗人 初夏に開く郵便切手ほどの窓 攝津幸彦 夏草に敗れし妻は人の妻 小川国夫 その腋も潔しわが行手の海鳥 ☆「古典俳句抄」も 各務支考 涼しさや縁より足をぶらさげる2015.3.7. 「現代俳句抄」追加 最近は辻征夫の詩や俳句を読みなおすことが多い 岩波文庫『辻征夫詩集』が二月に出た 『俳諧辻詩集』からも八篇掲載されている 加藤楸邨 ユダの徒もまた復活す労働歌 (『野哭』) 星野立子 朝寝して吾には吾のはかりごと 十六夜や地球の上に我家あり 大野林火 銭金や遠くかかれる夕の虹 山田みづえ いつか死ぬ話を母と雛の前 永井荷風 夏帯やつくつもりなき嘘をつき 永井東門居(龍男) 如月(きさらぎ)や日本の菓子の美しき 小川軽舟 自転車に昔の住所柿若葉 辻征夫 つゆのひのえんぴつの芯やわらかき (『貨物船句集』) 物売りが水飲んでいる暑さかな 新樹濃し少年の尿(いばり)遠くまで 房総へ浦賀をよぎる鬼やんま わが胸に灯いれよそぞろ寒 雉は野へ猿は山へと別れゆき 春雨や頬かむりして佃まで 葱坊主はじっこの奴あっち向き 冬の雨若かりしかば傘ささず にぎわいはなみばかりなる冬の浜 西瓜ひとつ浮かべてありぬ洗濯機 少々は思索して跳ぶ蛙かな 夏館燻製のごとき祖父と立つ2015.2.28. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』三月号 (2015年) を今日発行した。2015.2.24. 「現代俳句抄」追加句 原石鼎 水餅や混沌として甕の中 橋本多佳子 春空に鞠とどまるは落つるとき 神生彩史 先頭の男が春を感じたり 深淵を蔓がわたらんとしつつあり 久保田万太郎 運不運人のうへにぞ雲の峰 寒き日やこころにそまぬことばかり 星野立子 若者はどこにでもゐる炎天にも 銀河濃し枕に頬を埋め寝る 目の前に大きく降るよ春の雪 悲しみを互にいはずストーヴに 深川正一郎 星空へ蛙は闇をひろげたり 「古典俳句抄」追加句 向井去来 舟にねて荷物の間(あひ)や冬ごもり 森川許六 大髭に剃刀の飛ぶさむさかな 山口素堂 われをつれて我影帰る月夜かな 山本荷兮 秋の日やちらちら動く水の上 堀麦水 秋の螢露より薄く光りけり 榎本星布 池の鴨空なる声をさそふかな 与謝蕪村 思ふこといはぬさまなる生海鼠(なまこ)かな 加舎白雄 冬近き日のあたりけり鳶の腹2015.2.15. 亡くなっても、輝きを失わない数少ない俳人 桂信子の追加句 ひるのをんな遠火事飽かず眺めけり (『月光抄』) 閂をかけて見返る虫の闇 男臥て女の夜を月照らす 香水の香の内側に安眠す (『晩春』) ひとの死へいそぐ四月の水の色 (『新緑』) 明日は死ぬ寒鮒の水入れ替る 呪文とけ冬日の亀が歩き出す (『初夏』) 秋水や鯉のねむりは眼をはりて 海流は夢の白桃のせて去る (『緑夜』) 傘さしてまつすぐ通るきのこ山 (『草樹』) 闇のなか髪ふり乱す雛もあれ (『花影』) 初御空いよいよ命かがやきぬ (『草影』) 亀鳴くや身体のなかのくらがりに2015.2.10. 「現代俳句抄」追加句。 吉屋信子 秋灯机の上の幾山河 仁平勝 酔い痴れて櫻地獄で父に逢う 初夏の白いシーツを泳ぎ切る 高濱虚子 さまざまの情のもつれ暮の春 病葉や大地に何の病ある 松本たかし 真つ白き障子の中に春を待つ 正岡子規 芭蕉忌や我に派もなく伝もなし 茨木和生 傷舐めて母は全能桃の花 寺山修司 方言かなし菫に語り及ぶとき 秋元不死男 蛇苺黒衣聖女の指が摘む 斎藤玄 菜の花の波の中ゆく波がしら 正木浩一 刃のごとき地中の冬芽思ふべし 吉岡実 あけびの実たずさへゆくやわがむくろ 芥川龍之介 怪しさや夕まぐれ来る菊人形2015.1.30. 佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓』二月号本日発行 「現代俳句抄」追加句 永井荷風 極楽に行くひと送る花野かな 渡辺水巴 元日やゆくへもしれぬ風の音 中村汀女 春潮のまぶしさ飽かずまぶしめる 宇多喜代子 父のため母仰向きぬ十三夜 長谷川櫂 初富士やまだ清らかな闇の中 (「俳句」2015年1月号 「宇宙」)2015.1.27. 大木あまり 追加句 牡丹鍋みんなに帰る闇のあり まだ誰のものでもあらぬ箱の桃 頬杖や土のなかより春はくる2015.1.23. 久しぶりの追加句である。それぞれのページがいたずらにカオス化、巨大化するをさけようとする思 いが、ブレーキをかけている。 「古典俳句抄」 追加句 江戸期の俳人 鉾にのる人のきほひも都哉 榎本其角 長尻の客もたたれし霙哉 中村史邦 「現代俳句抄」 追加句 枯芒ただ輝きぬ風の中 中村汀女 ピカソ虚子ともに逞しその忌なり 林翔 月光の分厚きを着て熊眠る 高野ムツオ(『萬の翅』) 知らない町の吹雪のなかは知つている 佐藤文香(『新撰21』)2015.1.8. 流れゆく薄つと立つ河童淵 佐々木敏光(『季語別鷹俳句集』ふらんす堂、2014年「鷹創刊五十周年記念」) この句は去年(2014年)7月発行の『季語別鷹俳句集』にある。「鷹」を2003年やめているが、 「鷹」時代の句である。本屋でパラパラめくっている時にであった。「鷹」のふところの深さをあらた めて感じた。 あれこれ余計な感想は書かないが、「鷹創刊五十周年記念」の発行で鷹の歴史をみつめようとする現 執行部の真摯な姿勢を感じた。